自己啓発本が大して役に立たない理由

どうも、武信です。(No473) 

 

2017年の記事です。

 

自己啓発本が大して役立たないと言われて、読者のなかには「それはその通り」と思う人もいれば、「自分はよく読んでいたけど、間違っていたのか」と思う人など、いろいろ感じる人がいるでしょう。

 

その理由を、具体例をたくさん用いながら、説明していきたいと思います。

 

詳しく知りたい方は、続きをお読みください。

 

 

1 記事の紹介&苫米地氏の主張に対する僕の意見。

 

僕は以下の記事で、自己啓発本は僕の記事を読めばもうほぼ読む必要はないと書きました。

 

「「自己啓発本を不要にする成功法則」引き寄せ成功PART1」というタイトルです。

「自己啓発本を不要にする成功法則」引き寄せ成功 PART1

 

 「「自己啓発本を不要にする成功法則」引き寄せ成功PART2」というタイトルです。

「自己啓発本を不要にする成功法則」引き寄せ成功 PART2

 

苫米地英人氏の動画や本で「自己イメージを上げろ」と言われており、仕事などで成果が出たら、「かなり大げさなぐらい褒める」といいらしく、失敗したら「自分らしくない」で終わらせろと言っています。

 

しかし、将棋ウォーズで僕は最近、1級に上がったのですが、負けると、なかなか「自分らしくなかった」と割りきれません。

 

「ああすればよかった」とか「この手が見ていなかった」とか「ミスをした」とか、気になる点はかなりにのぼります。 

 

2 自分との闘いと相手との闘い&苫米地氏の主張に対する僕の意見2

 

勉強は自分との闘いですから、相手に負けるということがあまりないです。

 

以下に、自分との闘いと相手との闘いについて記事を書いています。

 

「人生とは闘いである」

我が闘争「人生とは闘いである」

 

相手との闘いが一番、難易度が高いのです。

 

勝負事の世界では負けたら、悔しいですし、反省点がかなり出てきます。

それは真剣で真面目であればあるほど出てきます。

 

いい加減で向上心がなく、真剣じゃない人(遊び気分な人)は将棋で負けても、「ま、いいか」で終わらせて、悔しいことはありません。

 

僕は将棋は、1日3回までしかやりません。

「無料でできるのは、3回まで」だからです。

 

そして、その3回は真剣にやるのですが、限られた時間しか研究などに投入していないので、どうしても上達が遅く、負けることもそれなりに多いです。

 

そうすると悔しいわけですが、ここで苫米地氏が言うように、「自分らしくなかった」で終わらせることが僕にはなかなかできません。

 

記憶力がいいのと、悔しさが半端無いからです。

けっこう引きずります。とはいっても、せいぜい15分ぐらいですが。 

 

3 自己啓発本でよく言われていること

 

自己啓発本って、結局、「自己イメージを上げろ」「外野の意見、つまり自己イメージを下げる意見は聞くな」というものが多いです。

 

しかし、自己イメージだけ上がっても、スキルや実力が伴わなければ、やはり成果は出ず、その間、勘違い野郎になります。

 

または、スキルが上がらない間は自己イメージだけ上がる、つまり「勝って当たり前」が先に来るので、負けると(負ける場合も多い)、かなり悔しく、気分も悪いのです。

 

この気分の悪さを早く払拭し、実力やスキルを上げて、自己イメージと合致させないと、「かなり苦しい」と思います。

 

自己イメージと現在の実力、スキルが合致していれば、心の中は安泰です。

 

将棋で言えば、1級で満足していれば、もはや言うことがないでしょう。達成したわけですから。

 

これが、自己イメージが6段とかになると、なかなかそこまで到達しませんから、苦しい闘いが長く続くことになります。

 

以下の記事でも書きましたが、世の中はピラミッド構造であり、勝者はほんのひと握りであり、難易度クリア事業なのです。

 

「世の中はピラミッド構造」

「世の中はピラミッド構造」(世の中の不都合な真実) 

 

4 自己啓発本の厄介な点。

 

自己啓発の厄介な点は、自己イメージだけ上がって、現実の地道な苦しい限界的練習や努力が伴わないか、自己イメージと現在の実力が合致しない間、ずつと精神的には不全感があることです。

つまり、満たされないということです。

 

ボクシングで言えば、世界チャンピオンが目標なら、日本チャンピオンにようやくなれても、まだ満たされません。過程ということになります。

その間、不全感、満たされない感が続くのです。

 

世界チャンピオンになった後は、防衛記録をどこまで伸ばせるか?に目標の軸足が変わるでしょう。

そして、5回以上などを掲げると、また不全感に逆戻りです。達成されるまでです。 

 

5 楽して成功はない

 

このように、人生は難易度クリア事業なので、基本的に「楽して、高い目標が達成されることはない」のです。

そりゃ、そうですよね。

考えれば誰でももわかることです。

 

楽して達成される程度の目標なら、ほとんどの人が到達し、希少性がなくなり、価値が落ちます。

誰もが、99%の人がなれない場所に到達するからこそ、価値があるわけです。

 

なので、「成功者」を崇める、目指すのは人それぞれですが、「楽な道は決してない」とだけは考えておくべきです。

 

修行のような日々を過ごす、それこそ死ぬか生きるかの努力を伴うというプロセスを経て、達成されると見ていたほうが無難でしょう。

 

「僕ならできる」と安易に言う人がいますが、それは自己イメージが上がっただけであり、地道な限界的練習(その分野が嫌いになるほどの努力)をしてないのなら、その思考は偽物です。

 

「僕は成功します」と言う人の、99%が失敗するのが世の常です。

その人の行動を見るべきです

 

「実際に限界的練習をこなしているか?」が最低ラインです。

それでも成功するかは、未知数なのですから。 

 

6 自己啓発本は自己イメージだけ高い人を量産する危険性がある。

 

自己イメージだけ高い人は、「自己のプライドも高くなる」ので、非常に扱いづらいです。

「英検1級」を取っていないうちから、「俺なら、楽勝」とか言うのです。

 

もちろん、1級ぐらいなら猛勉強すれば取れると思いますが、それでも「やってないうちから、苦労してないうちから、楽勝」という発言は信用性がありません。

達成した後に、「楽勝だったよ」と言ってもらいたいものです。

 

自己啓発本は「自己イメージだけ高い人を、量産する危険性がある」と思い、危険性を感じています。

 

とはいっても、「自己イメージがまず高くないと、努力もしない」ですから、必要な要素ではあるのですけどね。

 

しかし、世の中、「自己イメージが高い人」や「自己のプライドが高い人」が散見されます。

 

彼らは当事者やプレイヤーよりも、自分の方が上手くやれると信じ込んでいるから、政治家批判や経営者批判をするのでしょう。

 

ほとんどの人が、安倍さんより上手くやれませんし、ホリエモン(今のところ成功者かは微妙)レベルでも真似できるか?も難しいでしょう。

 

まぁ、批判勢力あってこその、当事者やプレイヤーですし、有名税なのですよね。

要は、嫉妬ということです。

 

自己イメージだけ高く、実力が伴わない人になると、当事者やプレイヤー批判をするようになります。

 

なぜなら、彼らは当事者やプレイヤーよりも上手くできると思い込むほどの、自己イメージ、自己プライドの高さだからです。

 

実際にそういう人達に、政治家や経営者をやらせたら、悲惨なことになるでしょう。

 

そういう人達に是非、実際にやってもらい、体験してもらい、今度は批判される側になってほしいものです

 

ですが、そういう立場にならないと思っているからこそ、つまり、外野だからこそ、安易に批判できる見方もあります。

かなり、ズルいのです。

 

7 ある人のツイート。

 

凡人は ①普通意識高い系(意識だけで行動伴っていない) ③意識高い人(意識高いし、行動できはじめて、少し成果出始めた人) ④すごい人(意識高く見えないんだけど、ほんとは意識高くて、めっちゃ成果だしてる人) みたいなのを、順番に進んでいくと思ってるので、凡人は必ず②を通ると思ってる。以上、ここまで。

 

こういう見方もあり、自己啓発本を完全に否定するわけじゃありません。

タイトルにあるように、「大して役に立たない理由」ですからね。

 

意識を上げる効果は自己啓発本にはあり、やる気も一時的には出ますが、その後の行動は本人次第ということです。

 

8 プレイヤー批判はさむい&2018年の追記。

 

僕は以下の記事でも書いたようにプレイヤー批判は基本的にカッコ悪いと思っているので、批評家や評論家としての立場としてなら、精度の高い情報発信をし、プレイヤーが採用してもらえるように促すことだけをすればいいと思っています。

 

「「だったらお前がやれ!」という話について」

理論と実践 「だったらお前がやれ!」という話

 

「自分に甘く、他人に厳しい人」だらけだから、世の中は。

そう思っています。

 

自分が当事者になったら追及されるけど、そういう立場にならないと思っているからこそ、批判しまくるのです。

芸能人の悪口を言いまくる人は、芸能人に自分はならないか、TVに出ないと思っています。

 

将来、芸能界に行こうとしている人は、身近に感じており、批判を戒めと見ています。

自分事なのです。

 

最後に2018年で、追記。

 

プレイヤー批判はさむいことだと僕はある程度思っていますが、よく考えたら、高給をもらっているプロは、それなりの仕事をするべきですね。

もし、高給に見合っていない成果しか出せないなら、「給料泥棒」です。

 

そういう意味では、ある程度の政治家批判もやむを得ないでしょうね。

彼らは高給をもらっており、プロなのですから。

 

批判を一切受けたくない人は、無給でボランティアでやればいいのです。

少なくとも「給料泥棒」とは言われないですし、ボランティアでやっている人に文句を言う人は頭がおかしいですからね。

 

ではこの辺で。(4649文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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