「権力・権威論」人は権威の話を聴くのもっと深い議論。

どうも、武信です。(No533)

 

2017年の記事です。

 

「人は権威の話を聴く」のはよく聞かれる話ですが、さらにこのテーマについて深く切り込んでいきます。

 

興味がある方は、続きをお読みください。

 

 

1 前置き。

 

以前に、以下の記事で、様々な議論をしました。

 

「権力・権威論」9割の人は「誰が言うのか」、つまり権威のことしか聞かないという話

「権力・権威論」9割の人は「誰が言うのか」、つまり権威のことしか聞かないという話 

 

「権力・権威論」人は肩書を見る生き物である

「権力・権威論」「人は肩書を見る生き物である」

 

「人は肩書などで、基本的に判断する生き物」だという話です。

 

僕はSKYPE上で身元を謎の人で通したら、20代前半の社会人女性の悩みごとを解決する手助けをできましたし(その女性には過去、聴いたアドバイスで1番役立ったと言われました。僕が言ったアドバイスをしてくれた人は過去に1人もいなかったそうです)、20代の男には「フィクサーによる日本の教育改革本」含め、執筆物をかなり評価されました。(その男性はビジネス書をけっこう多読していました)

 

また僕の知り合いの敏腕営業マンも学歴をなるべく隠し、営業しています。

 

それで成果を出しています。前にいた証券会社の名前を出したら、とたんに「この人は信頼できる」と態度を変えられ、契約に至ったこともあるそうです。

 

逆に身元を明かした場合や、僕の実力をあまり知らない身内は僕の言うことをほとんど聞きません。(これで人は肩書で判断する生き物だと証明されたと言えるでしょう。だって同じことを言っていても、身元次第で反応が変わるのですから)

 

2 ZZさんとの議論。

 

で、ですよ。こういう議論をある人としました。

 

ZZさんとしましょう。

 

僕。 上記の話をしました。これで理解してくれるだろうと思ったからです。ですが、以下のような反応をされました。

 

ZZさん。 「肩書で意見を聴くかどうか判断しているんじゃないよ。悩みごとを解決したいというニーズを解決してくれる相手なら、肩書関係なく聴いてくれるよ」

 

僕。 「いや、肩書で判断されるよ」

 

ZZさん。 「じゃ、モデル例を出そう。「権威ある男」と「フリーター」と「正社員」の3人と、「悩みごとを相談したい相談者」がいるとする。その相談者は確かに、3人の中で選ぶなら、権威ある男を選ぶであろう。じゃあ次に、フリーターと相談者しかいないとする。そうなるとフリーターの言うことでも聞いてくれるよ。」

 

僕。「そもそもフリーターと相談者しかいないというモデル自体が現実的じゃない。相談者はもっと選べる選択肢があるのが普通。その相談者がよほどコミュ障で、誰も頼る人がいないなら別だけど、そんな現実の例はかなり少ないはず」

 

ZZさん。「だから、言ってるだろ。3人の中なら権威ある男を選ぶんだよ。」

 

僕。 先ほどの説明を再度したが、理解してもらえず。

 

僕。「つまり、相談者は基本的に選べる選択肢がある程度あるのだから、わざわざフリーターの意見より、もっとまともなことを言いそうな人に聴くよ。悩みごとを解決してくれる人とのマッチングしか選択肢がないならともかく、選択肢があるなら権威ある人の言うことを聴くよ」

 

僕。「仮に、フリーターの1人しか相談相手がいなくて相談者が聞かざるを得ない状況下だと仮にしても、その相談者が「中身で判断する人」であり、なおかつ「中身で判断できる能力」がない限り、意見を採用しないかもしれないよ。

 

また、そもそも中身で聴く人なら、3人の中から選ぶとしても、権威ある人ばかりを選ばないで、フリーターも選ぶ可能性がある。そのフリーターが実力者でまともなことを言っていて、なおかつ相談者がそれを理解できる場合に限るけどね」

 

ZZさん。「言っていることがよくわからん」「権威ある人の言うことを聴くなんて常識だろ。」

 

僕。 無言で立ち去る。議論おしまい。

 

3 ZZさんとの議論の食い違いの分析結果。

 

ZZさんは相談者の悩みを解決してくれそうな人なら「肩書、権威に限らず、聴く」というのです。

 

しかし、相談者も悩みが深刻なら、説得力が欲しいですから、肩書や結果を出した人や経験者の意見を聞きたいはずです。

 

そして、相談者が「まったく権威のない、説得力も薄いフリーターなどの意見を聴くか?」となるとかなり疑問符です。(相談者はコミュ障で、頼る人がそのフリーター以外いないという、現実離れしたモデルを採用しています)

 

つまり、ここで僕の事例に移しますが、肩書がほぼない僕の言うことなんて説得力がないと、一蹴されてしまう事態をよく理解してないのです。

 

僕は身元を軽く知られている人(僕のビジネス書最低約5000冊読破の肩書軽視の人か、僕のブログもほぼ読んでない人)には、意見をあまり聞いてもらってないです。

 

これが現実なのです。

 

同じことを言っていても肩書があるかないか、身元が判明しているかしてないかで、説得力が変わるという現実を理解できない人がいます。

 

4 何を言うのかを積み重ねて地位・立場を作ったり、書評家や有名ブロガーの紹介により一気に有名になる話。

 

ここで話しを展開させます。

 

今は肩書がある人「誰が言うのか」の人も、「何を言うのか」を積み重ねて、「誰が言うのか」の肩書、地位を手に入れたのにです。

 

無名時代から「何を言うのか」で調べて、執筆してきて蓄積して、有名作家になった人は三橋貴明氏がいます。

 

今は彼は肩書がありますが、無名時代はまさに、「何を言うのか」だけで発言していたわけです。

 

その時代の実力と今の実力では、今の方がある程度上がっているでしょうが、大幅に変わっているとまでは思いません。

 

または、書評家や有名ブロガーなどに無名人が発掘、紹介されてブレークすることもあります

 

この無名人は紹介される前と紹介された後で、発言内容が変わったのでしょうか?

 

何も変わっていません。単に推薦されて、権威やお墨付きがついただけです。

 

ですが、売れたりするわけです。

無名人でも内容を見ないことの怖さがわかりますよね。

 

無名人でも実力者なら、いきなり紹介などでブレークする可能性がありますし、「何を言うのか」の積み重ねで、ブレークすることもあるからです。

 

無名人で肩書がないからといって、内容を大して見ずにバカにしていたら、いきなりその人が出世した、という話はありそうです。

 

そりゃ、そうです。

実力は既にあったわけであり、後はチャンス、きっかけがあるかないか?だけだったのですから

 

5 中身を見ないことの怖さ。

 

権威や肩書ばかり重視して、中身を軽視することの怖さが分かったのではないでしょうか?

 

また、権威といえどもたまに間違えます。確率は低いですけどね。

 

中身で判断する癖をつけた方がいいのは、「権威に騙されず、無名人の実力者も軽視しないので、判断の精度が上がるなど良いことづくめ」だからです。

 

もちろん、中身で判断できるようになるためにはその分野での相当な勉強が必要です。

 

そして、大多数が中身で判断できるほど勉強してないので、権威を頼るわけです。

 

権威を盲信するということは、「自分にはその分野では判断軸がありません」という告白と同じです。

 

もちろん、全ての分野を把握するのは不可能なので、誰もがときには権威を頼りますけどね。

 

最後にそれほどの実力があるなら、なぜ、僕の執筆物が商業出版されないのか?という疑問があるでしょうが、それはいろいろと問題があるのですがこれは割愛します。(深い問題なので。陰謀論に近いです。普通の人には想像もできない理由です) 

 

ここまで分かりやすく書いても、理解できない人がいると僕は個人的に思っています。(おそらく、一定数、いるんだろうなぁ。と書いていたら、本当にいたことを書いておきますw)

 

ではこの辺で。(3526文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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