どうも、武信です。(No310)
皆さんは、「頭がよい人」と聞いて、どんな人を思い浮かべますか?
今回は、「頭がよい人」というより、「頭がよくなる手段として何があるか?」を中心に述べていきます。
頭が良くなりたい人は、僕の記事を読むと、とっかかりになるかもしれません。
また、「頭がよい人」のさらなる深い定義も最後に書いたので、よかったら、続きを読んでください。
1 動画の要約
まず、以下の動画の一部を簡単に要約します。(消されたようです)
この動画で、ホリエモンは中国・インドの学生は、めちゃくちゃ頭がいいと言っており、どうして頭が良くなったか?というと、自分の頭で考える訓練をしており、それの手段として、論文を書いては叩かれるのを繰り返してきたからだと言います。
それに対して、日本の学生は正解主義で、試験ばかりだと言います。
2 論文の効用
僕はこの視点は大事だと思っており、そのために大学入試のシステムとして、以下の「日本論文プラットフォーム」を提唱しました。
正解を当てるペーパー試験というのは、知識の確認のために使われるべきだと思います。
ITの資格試験は、基本的にそのようになっていると思います。
ペーパー試験で、「思考力まで見よう!」という視点は難しいのではないか?と。
理系は分かりませんが、文系では思考力、思考過程を見るには、論文、小論文が一番です。(または、長時間の面接です)
また、論文の利点は仮説を立てる訓練になることです。
仮説をとりあえず立てて、それを論拠や根拠やデータなどで補強し、後で仮説が実証されます。
その訓練がなされるからこそ、頭がが良くなると思うのです。
僕はとりあえず、仮説を立てて、自分の主張をする訓練、つまり、論文などをたくさん書かせた方がいいと思います。
3 僕の事例
僕の事例で言えば仮説は、「エシュロンがある説」や「ASKAさんが薬物をやってない説」や「衆議院選挙の自民党圧勝」、そして小さな例ですが、「知り合いや元知り合いが僕のブログを閲覧しに来ている事実」やロシアW杯を暴きました。(これらは過去のブログのときに暴きました。または、的中させました)
全て仮説を立てて、それらが実証されました。
まだ実証されていない仮説も僕は立てています。
「日本論文プラットフォーム」はその例です。
僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本」も、その例に入るでしょう。
全ては仮説であり、後で実証されたら正しさが証明されます。
その訓練をしている人と、してない人では、主張が当たる精度が変わるのは当然ですよね?
訓練により、何事も精度は高まりますから。
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4 権威や肩書きの話
加えて、ここから話が変わりますが、権威や肩書で、議論をするのは愚かだと感じます。
議論をするからには中身が重要です。
中身だけで議論をするからこそ、「誰が言ったか」のバイアスがかからず、仮説の精度が上がるのです。
僕は以下の記事「僕が「わざわざ不快な感情、人間」を身近に置くワケ」でも述べたように、レッドチームが必要だと考えています。
レッドチームを機能させるには、肩書や「誰が言ったか」のバイアスを取り除かなければなりません。
じゃないと、萎縮して自由闊達に議論できません。「僕が「わざわざ不快な感情、人間」を身近に置くワケ」というタイトルです。
「結果主義者」は、「結果をだしていない人」の意見を聞かない傾向にあります。
ですが、「本当にできる人」ほど、中身で判断しようとするので、「誰が言ったか」のバイアスを取り除き、中身の議論をつめて、精度を高くし、成功へ導くと考えます。
以下の記事でも述べましたが、人間の9割は権威主義者です。残念な事実です。
それが仮説の精度を下げていることも、分からないのですから。(レッドチームを機能させないからですね)
「9割の人は「誰が言うのか」、つまり権威のことしか聞かないという話」というタイトルです。
https://hontonomedia.com/powerauthority90ofpeoplesaywhosaysthatisonlylistentoauthority/
5 頭が良い人の話
最後に、僕は以下の記事で、頭が良い人の要素を述べました。
「頭の良さとは表現力(アウトプット)である」というタイトル記事です。
https://hontonomedia.com/whoissmartsmartnessisexpressivenessoutput/
頭が良い人とは、表現力(アウトプット)であり、それらは「文章、話すこと、プログラミング、数式」で良いと書いています。
また、推論能力がある、問題解決能力がある、意思決定力がある、も付け加えています。
ここに、アウトカム(結果)の視点が抜けていると指摘した人がいましたが、僕が結果を入れなかったのは、以下の理由からです。
まず、結果とは知的な分野での結果を出した人が、頭が良いという前提条件が必須でしょう。
じゃないと、筋肉だらけの陸上のボルト選手まで、頭が良いということになってしまいます。
また、その知的な分野でもたくさんの分野があり、経営者まで入れるとすると、経営者でも、体育会系のコミュ力重視派の経営者もいるわけですから、混乱します。
どの知的分野か?を定めるのは、意外と難しいのです。
さらに、知的な分野で結果を出している人が皆、頭がいいのだと仮にしても、その結果が永続的に続く保証はありませんし(つまり、一発屋も頭がいいに含めるのかという話になる)、まだ結果を出していないけれど、近い将来、結果を出す頭のいい人もいることでしょう。
つまり、時間軸の視点を考慮に入れるのが、難しいのです。
このように、「知的な分野で結果を出した人=頭がいい人」という定義だと、複雑になりすぎですし、混乱します。
果てには、東大生は結果を出したのだから、頭がいい人となりますが、東大生でも落ちぶれる人がいるのです。
その東大生は頭がいいのでしょうか? ペーパー試験の学力面限定で、頭が良かったと言えるだけでしょう。
「結果面からしか見ない人」は、このようなことまで想定して、指摘しているのでしょうか?
僕は結果を出してない状態まで想定して、頭がいい人の要素を考えました。
これなら分析しやすくなります。
頭がいい人の要素は他にもあるかもしれませんが、僕はとりあえず、上記の要素を備えている人を、頭がいい人としました。
ではこの辺で。(3178文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・Youtube動画などを基にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。