どうも、武信です。(No858)
皆さんは「おせっかいをしてくる人」がいたら、どのように思いますか?
例えば「僕たちが求めてもいないのに、助けようとしたり、アドバイスしたりしてくる人達」のことを指します。
DaiGoの動画でも、やってはいけない親切として、「求めてもいないのに、助けたり、アドバイスすること」だと言っています。
実は迷惑がられる【やってはいけない親切】とは?
結婚したいと思ってない人に、「婚活しないの?私が紹介してあげるわよ」と言ったら、言われた人達は「うざい!」と思うことでしょう。
もっと詳しい内容はDaiGoの動画を見てください。
今回はこのテーマについて深堀りしていきます。
興味がある人は続きをお読みください。
1 人を助ける・アドバイスするときは、相手に求められたとき限定である。
まず、人を助けたり、アドバイスするときは「相手に求められたとき限定」という条件が第一です。
求めていないのに、頼んでいないのに、困ってもいないのに、アドバイスしてくる人がいます。
これこそ、まさに「おせっかい」です。
困っていたり、悩んでいて、求めていたときに、助けてくれる人がいたら、その人に感謝しますよね?
しかし、僕たちが求めていないのに、アドバイスしてきたら、うざいですよね?
また、これと似たような部類として、「大して聞きたくもない話を延々とする人」の例があります。
聞きたい話なら、積極的に知りたいですし、有料でも仕方ないと思うときもあるでしょう。
士業の人達は先生と呼ばれますが、それは「法律や会計や税金などの専門知識」を欲していて、それを提供してくれるから「格上の人」という意味で先生と呼ばれるわけです。
ですが、僕たちが聞きたくもない話を、しかも延々と長い時間を話されたら、どう思いますか?
「早く、話が終わらないかなぁ」と思う人もいるでしょうし、僕の場合ですが、話題をずらします。
「そう言えばさぁ」と言い、話を打ち切らせ、僕の聞きたい話に持っていきます。
僕は特に「無駄を嫌う、合理主義者」なので、「無駄な僕にとってあまり意味のない話」を聞くのは相当、嫌なのです。
この「おせっかいな人」と「聞きたくもない話をする人」に共通する点は何か?皆さん、分かりますか?
それは「相手の視点に立っていない」ということです。
「相手の視点に立っていない」「相手を想像できない」または「自分中心」だから、「相手の嫌がること?」や「相手が求めていないこと」をしてしまうのです。
これが「相手視点」がある人なら、相手の嫌がることは極力しなくなり、当然、相手の求めてないことは減らしますし、相手の求めていない話を延々とすることも減らすはずです。
また、会話の量も、お互い「4対6か、5対5か、6対4ぐらい」が理想ですが、「相手視点がない自分中心の人」は、自分が話す量が「9対1、または8対2ぐらい」にします。
自分が気持ちよくなればいいので、相手のことなど考えないのです。
「聞き上手な人は好かれる」と言われますが、僕はこれはケースバイケースであり、自分が求めてもない話を延々と話す人にまで「無理に合わせて聞く必要はない」と思います。
そもそも、よほどの会話上手な人でも、相手に面白く、退屈させずに、話すことは難しいのです。
相手が興味を持ってない分野の話でも、なんとか興味を持たせ、話を聞いてもらうにはかなりのコツやテクニックや話術が必要であり、それ相応の工夫をして、ようやく聞いてもらえるのに、その工夫もせず、相手にとって興味のないことを聞かせようなんて傲慢です。
一流のYouTuberは話術が上手く、あまり興味のないことでも、聞かせるように工夫を凝らしています。
一流のYouTuberでもない人は、なるべく相手が興味のある話題を選べば、多少、話が下手でも、聞いてもらえます。
相手は興味があり、積極的に知りたいので、会話が下手でも聞いてもらえます。
もちろん、おせっかいが必要なケースもあります。
それは主に身内相手であり、自分にも問題が降りかかってくるときです。
例として、2つ挙げます。
1 専業主婦の女性の場合、旦那にいつ捨てられるか不明なので、なるべく手に職をつけた方がいいから、「自分の力を高めろ!」とアドバイスするケース。
2 結婚相手がかなり太っており、「健康のため、痩せた方がいい」とアドバイスするケース。
どちらも、自分に問題や厄介事が降りかかってきそうであり、1の場合は金銭的援助を僕らが求められたり、2の場合は結婚相手が仮に病気になったら、僕らが面倒を見ないといけなくなります。
だからこそ、おせっかいというか、アドバイスして、改善してもらいたいのです。
これが、他人なら、そこまで介入しないでしょう。
僕たちに災いが降りかかってくる可能性が低いからです。
しかし、自分に災いが降りかかってこないのに、相手にアドバイスするのは、相手が求めていないとしたら、本当に単なるおせっかいであり、そのうちに友達をなくす行為でしょう。
このように、「相手視点」に立てるか?が「おせっかいな人」や「相手の興味ないことを延々と話す人」にならない重要ポイントになります。
ブログやツイッターなら、自分が興味なければ読まなければいいですし、本当に嫌になったら、ブログ購読を辞めるか、ツイッターならフォローを解除すればいいだけです。
よく、フォローしているのに、相手に「そんな話やツイートをするな!」と言う人がいますが、僕からしたら、「フォロー解除すればいいのでは?」と思うばかりです。
現実に、僕は「嫌なら見るな!精神」であり、相手の発言に文句があるなら、なるべく見ないようにしています。
ただ、この「嫌なら見るな!精神」があるのですが、一般論として、ツイッター界隈では精神論ばかり語る人が多いなぁという印象があり、それについて語りたいと思います。
2 精神論ばかり語る人達。
精神論ばかり語る人とは、単純化すれば「根性見せろ!」や「追い込まれる気持ちでやれ!」など、精神に働きかけて、やる気を促すツイートをする人達のことです。
これの応用バージョンや長めのツイートなど、変化球はいろいろありますが、内容はそこまで変わりません。
共通しているのが、ブラック企業などで使われる手法であり、環境も悪く、「過去、あまり努力してこなかった人達」(だからこそブラック企業に入社)を対象だからこそ、「根性論で働きかけるしかない」ということだと思いました。
「もっと工夫してやる手法」はあまりツイートしないのです。
DaiGoがそういう精神論の人達と違う点は、科学的根拠に基づいて、やる気をアップさせる手法や、環境づくりなどを紹介している点です。
DaiGoの方が明らかに有用な情報となるでしょう。
しかし、結局、地道に実行することが一番難易度が高く、だからこそ、「学校や会社やライザップや英会話教室」があるわけです。
自己管理ができて、地道に1人でも努力できる人は、管理される必要性がないので、「学校や会社やライザップ」をあまり必要としません。
「地道に1人で努力する」ことが難しい人が多いので、組織や管理の場所があるのです。
これはある意味、ビジネスチャンスとも言えて、オンラインサロンが流行るのも頷けます。
もちろん、オンラインサロンは管理されるだけの場所ではなく、交流の場でもあるので、自分の宣伝に使ったり、オンラインサロン独自の機能(「主催者に直接、相談、質問する権利」や「主催者の独占情報を得られる」など)目当ての人もいるでしょう。
また、仲間ができることで、分業ができるメリットもありそうです。
僕のような、ほぼ1人でやる人はかなり稀です。
僕は、もう努力については歯磨きと同じような感覚で、当たり前の感覚であり、後は「どう休むか、プライベートの時間をどれくらい作るか、または戦略的に、効率よく、ビジネスを上手くいかせるにはどうしたらいいか?」に視点が移っています。
以下の記事にあるように、少々、オーバーワーク気味かもしれません。
https://www.lifehacker.jp/2020/07/216019how-to-know-if-youre-an-overachiever.html
いつも頑張りすぎてしまう人「オーバーアチーバー」の共通点とは?
アスリートは、自分の中に他人に公言してない、いくつもの目標があり、それを現実化するために、オーバーワーク(無理しすぎる)してしまうそうです。
詳しくは記事をお読みください。
かなり面白い視点の記事でした。
アスリートは、「努力しよう!」の精神論的な段階はとっくに通り過ぎていて、後は、やはり「どう休むか、戦略的、効率的にどう勝つか、上達するか?」の部分にシフトしていると思います。
「努力すること自体は当たり前」の精神であり、実際に、実行もするのがアスリートの世界です。
そう考えると、精神論ばかり語る人は、まだその域に達していない、「努力が当たり前で、歯磨きのように習慣化されていない層」を対象にしており、僕にとっては必要ない情報ですし、ですが、「そういう層もけっこう多いのだな」と観察しています。
僕のツイートを見れば、一目瞭然ですが、精神論で他人にハッパをかけるツイートなんてまったくしてないですし、それよりも「情報への引用リツイート」や「独自の見解を述べるツイート」が目立ちます。
僕にとっては、努力すること自体は、それは相手の問題であり、いちいち管理したり、ハッパをかけるのも面倒なのでやりたくないですし、もし僕が会社の上司などなら、「努力しない社員」には精神論で管理することもありえますが(金で雇っている以上、働いてもらわないと困ります)、ツイッター上でそれをやる意味が分かりません。
ツイッター上で、不特定多数の他人に精神論を説いて、やる気を鼓舞する意味が分からないのです。
会社組織で、社員に成果をあげて欲しいなら、気持ちは分かりますけどね。
その精神論を説きまくるツイート主を見て、「よし!やる気をだそう!」という層が一定数、いるのですかねー。
僕には不思議に思えて仕方ありません。
さらに、酷い人の場合、不特定多数の他人相手のツイートで、「できない奴はしょうもない。努力すらしないやつに価値はない」という切り捨てのようなツイートをする人さえいます。
他人が自分と同じように努力をしないので、苛立っているのでしょうか?
不特定多数相手のツイートの場所で、そんなツイートをしても、それに共感して、「もっと頑張ります。自分はダメ人間でした。。。」と思うのでしょうか?疑問です。
僕は何回も言いますが、会社内での上司の立場なら、「やる気のない社員」にハッパをかけることもあるでしょうが、ツイッターの場所で、わざわざ、不特定多数の他人にそこまでする気はないです。
まぁ「いろいろな人がいるんだなぁ」と感じたので、記事化しました。
精神論ばかり語る人は、おそらく、語る内容がないのだと思います。
ネタがあまりないのです。
僕は、他人にハッパをかける精神論のツイートをするより、「内省的な自分の反省や、これからの戦略を語る方がまだマシ」だと思います。
他人にハッパをかける精神論のツイートを見ると、「それ、その人自身に言い聞かせてるのかな?」と錯覚することもあります。
「努力が既に習慣化されて当たり前」の人にとっては、次の段階に入っており、それは「効率化」「戦略」「もっと良い上達の仕方」「今までになかった視点などの貴重情報」が欲しいのです。
僕は、そういう情報を主に提供したいと思っており、「努力すること自体」はその人の問題であり、そこでつまずいているとしたら、オンラインサロンや塾などで管理されることや、図書館やスタバに行くことや、スカイプちゃんねるで作業通話相手を探すなど「各自、工夫してくれ!」と思います。
今回は、おせっかいな人の話と、精神論ばかり語る人の2本立てでした。
まぁ「精神論ばかり語る人」のツイートは見なければいいだけの話でもあります。
または、精神論にニーズがあるなら、そういう人達がいてもいいのかなとも感じます。
まぁ個人的にですが、ツイッターの不特定多数相手に「ハッパをかける精神論」はおせっかいの一種なのかな、と感じる次第です。
「精神論の是非」については単なる僕の感想であり、見解なので、参考にしたい人は参考にして、スルーしたい人はスルーすればいいと思います。
最後に、PuANDAさんのツイートを貼って終わりとします。
「最近の若い人にアドバイスできるとしたら、「アドバイスしてくるおっさん」の話は聞かないほうがいいということです。
逆に「訊いてくるおっさん」のほうが信頼できる」以上、ここまで。
このツイートの真意は、求めてもいないのにアドバイスする人と似ており、もう現役ではなく、あがった人なのだなと推測できる点です。
逆に、若者にアドバイスを求めるおっさんはまだ現役でありたいわけで、成長意欲があり、貪欲に吸収しようとしているので、信頼できるという意味でしょう。
ではこの辺で。(5660文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。