「学歴厨」学歴バカを従える田中角栄の凄さ

どうも、武信です。(No429) 

 

 学歴厨という言葉があります。

「学歴に拘りすぎている厨房、学歴について語る場ではないのに、学歴の話をする厨房のことである」と定義されています。

 

他にも、僕が定義した「学歴バカ」という言葉で、今回の記事を展開したいと思います。

 

僕の定義では、学歴バカは「27歳以降の人への評価で、学歴にかなりの比重を置いて判断する人」のことです。

 

このテーマで深く語るので、興味がある人は続きをお読みください。

 

 

1 学歴バカの定義。

 

「学歴バカ」を、今回の記事ではこう定義します。(言葉が荒くてすいません)

 

「27歳以降の人への評価で、学歴にかなりの比重を置いて判断する人」です。

 

逆に学歴バカじゃない人は、「27歳以降の人に対しては、学歴はある程度考慮しますが、最低限で、それよりも職歴や「何をしてきたか、何を学んでたか、何を果たしてきたか」で判断する人です。

 

2 官僚を使いこなした田中角栄。 

 

世の中には、学歴バカが一定数います。

そこには官僚もいたことでしょう。

 

官僚は東大が中心であり、学歴に誇り、プライドを持っている可能性があります。(しかし、後で述べますが、東大に学歴バカは少ない可能性があります)

 

その官僚たちを説得し、使いこなしたのが中卒の田中角栄です。

 

田中角栄ってそう考えると、凄くないですかね?

だって、学歴バカは中卒を思いきりバカにしますよ。

 

いくら政治家に当選したからといっても、中卒で最初のうちはかなりバカにされたのではないでしょうか? 

 

しかし、田中角栄はその東大卒中心の官僚たちを使いこなしたのです。

 

3 田中角栄が官僚を使いこなした要因。

 

僕の推測ですが、学歴バカを説得し、使いこなした手法は、高学歴を味方につけたからではないでしょうか?

 

つまり、田中角栄自身は学歴がないですが、東大卒の高学歴が田中角栄を高評価すると、田中角栄自身も東大卒と同等のシグナルや、評価と同じになるという理屈です。

 

田中角栄自身は「学歴がない人だ」と思われても、東大卒の仕事ができる人が「田中角栄は凄いヤツだよ。尊敬できる」とまで言わせれば、東大卒の官僚たちでさえ、従うしかないでしょう。

 

もちろん、田中角栄にその仕事ができる東大卒に、心底そう思わせるだけの能力があるからこそ、つまり実力が本物だからこそ、官僚たちも従ったのだと思います。

 

これが田中角栄に実力がなかったら、いくら仕事ができる東大卒の推薦でも、官僚たちは「いやいや、彼はできるヤツじゃない。やっぱり中卒だ」となっているはずです。

 

とまぁ学歴がない場合、他の高学歴を味方につければ、学歴のなさを補ってマネジメントできるのです。

 

4 高学歴を味方につけられなかった場合の作戦。

 

味方につけられなかった場合、身元を隠す作戦が有効です

 

以下の記事でも書いています。

 

「謎の人」で通し、中身だけで判断させれば実力がある人であり、なおかつ、判断者にある程度の見る目があれば、話を聞いてもらえます。

「人は肩書を見る生き物である」 

「権力・権威論」「人は肩書を見る生き物である」

 

5 学歴バカを従わせるにはある程度の学歴はあった方がいいが取得できない場合、他で補うしかない。

 

しかし、学歴バカたちを従わせるためにも、ある程度の学歴を取得しておいた方がいいのは確かです

 

面倒くさいですからね。

学歴バカは中身で判断できないから、本当にバカなのですが、そういうバカもマネジメントしないといけないわけですから。

 

とはいっても、ある程度の年齢になると、もはや学歴なんて取得するのは無駄な労力です。

そんなものに貴重な人生の時間を使いたくはありません。

 

ではどうするか?

他のことでシグナルを発するしかありません

 

それは論文を書くことだったり、本を書くことだったり、ブログだったりします。

 

6 大学の意味。(論文とプレゼン)

 

そもそも大学に行く目的は、ちゃんとした論文を書けることと、プレゼンができることだと思うのです。

 

論文が書ければ、大学受験の国語の試験なんて極端な話、通らなくてもいいわけです。

 

大学受験の国語で高得点を取っても、論文が書けなければ、意味がないのではないでしょうか?

 

論文大学受験の国語の試験です。

低次元や基礎(大学受験の国語)をクリアしないと、高次元(論文)が書けないと思い込んでいる人がいます。

 

しかし、論文でいきなり修行し書けて、大学受験の国語ができないケースがあります。

 

逆に、低次元や基礎(大学受験の国語)をクリアできても、高次元(論文)ができないケースはそれなりにあるでしょう。

 

論文は、独創性や発想力や文章力など、総合力を問われる大学受験の国語のペーパー試験とは別物なので、そのような結果になります。

 

これが理解できない人がいるのです。

いきなり高次元ができるわけがないし、高次元ができる人が、低次元ができないわけがないと。

 

別物という理解がないのです。

 

7 僕がブログを書く理由。

 

話を戻します。

 

僕はブログで、学歴以上のシグナルを発信しようとする意味もあって、こうして書いています。

 

下手に高学歴を得るよりも、「フィクサーによる日本の教育改革本」含む、僕の執筆物やブログでのアウトプットの方が難易度は高いと思います。

 

多くの高学歴たちは、文章を書くのはあまり上手くないらしいですからね。

 

ちなみに過去、僕の過去のブログのファンで、慶応卒の公認会計士合格者がいました。

コメントもくれました。

 

こういう風に高学歴の見る目があるファンを味方につけると、学歴がそこまでなくても、権威度が上がります。

 

もちろん、僕の実力がある前提です。

 

僕の学歴については、以下の記事で少し、触れています。

 

「僕が自己責任、情報格差という言葉を連呼する理由」

日本は無責任?「僕が自己責任、情報格差という言葉を連呼する理由」PART1

 

日本は無責任?「僕が自己責任、情報格差という言葉を連呼する理由」PART2

 

 

8 学歴フィルターばかりのパターン認識は頭を使わなすぎ。

 

あと、「学歴バカ」って学歴しか取り柄がないんじゃないですかね? 

だからこそ、執拗に学歴を重要視します。

 

もちろん、確率論から言えば、高学歴に知的に実力がある人は多いですよ。

 

でも、例外もいるので、いくら高確率だからといっても、毎回、学歴フィルターパターン認識で処理するのは、頭を使わなさすぎじゃないでしょうか? 

 

パターン認識って、過去の経験から導き出された省力化の、エネルギーを使わない処理です

 

だから、パターン認識は楽ですが、例外にぶち当たった時も、パターン処理をしてしまうと判断を誤ることになります。

 

9 学歴バカは実は早稲田やMARCH辺りの層。

 

あとは、東大中心の官僚たちを学歴バカと上の文章では表現しましたが、意外と学歴コンプレックス、つまり、学歴バカの人は早稲田MARCH辺りの層なんじゃないか?とも考えています。

 

なぜかというと、過去に僕を執拗に、学歴でバカにする人達は、MARCHの人だったからです。(今は和解していますが、過去の教訓話として残しています)

 

また、ある20代社会人女性の知り合いは、早稲田だそうですが、その早稲田の女性も早稲田の名を執拗に連呼していたそうです。

 

偏差値40ぐらいから、1年間1日10時間勉強して早稲田に受かったそうですから、自慢なのでしょう。

 

ある意味、学歴コンプレックスはないのでしょうが、誇り、プライドはありそうです。

 

そう考えると、東大、京大レベルは学歴コンプレックスは少ない可能性があります

 

しかし、学歴に誇りやプライドは持っていて、学歴が低い人達をバカにしている可能性は高いでしょう。

 

学歴フィルターはある程度、有効であり、確率論から言えば、高学歴に優秀な知的な人材は多いのは確かだと思います。

 

僕は東大、京大生をあまり知らないので、接してみたい気はします。

 

慶応卒の公認会計士の人も、僕のブログのファンだったですしね。

 

MARCHレベルの人が僕を批判していました。

つまり、中身で判断する実力がない層なのかもしれません。

 

MARCHに恨みはありませんが、MARCHの人達が僕を執拗に批判してきたので、僕は正直、偏見というか嫌な印象がありますね。

 

あと、昔のブログのときは、出版社の社長(大手)も僕の元ブログを引用、宣伝してくれました。

 

10 学歴フィルターはやはり有効。(確率論だが)

 

結局、MARCHレベルの人が僕を評価せず、慶応とかが評価することから、やはり学歴フィルターというか、学歴は確率論から言っても、能力者が多いのかもしれません。

 

そうなんです

MARCHレベルの人が高学歴は素晴らしいと言っているんです。

 

MARCHレベルの人なら、自分に誇りを持って、高学歴批判とかすればいいのに高学歴絶賛しているという。。

。 

やはり、学歴フィルターはある程度、有効というか、確率論から言えば、優秀層は多いという当たり前の仮説が導き出されますね。

 

11 僕が「フィクサーによる教育改革本」を書いた理由。

 

僕は、「フィクサーによる日本の教育改革本」で、高学歴にもっと奮起して欲しくてあのような内容を書きました。

 

高学歴、エリートなら、公務員のような安定職にしがみつかず、挑戦して欲しいと。

そういう気概のある人が、高学歴、エリートになるべきだと。

 

あとは、試験内容を実際に見て(文系)、コンテンツがくだらないなと感じて、本を書きました。

どうせ勉強するなら、意味のある内容にしたいという、希望も込めて書いたのです。

 

それにしても、これだけブログでアウトプット物を公開しても、この執筆物の良さが分からない人が存在します。

 

理解力、認識力の差ですね。

 

まぁその人には僕の「見えている世界」や、世界観がいくら説明しても見えてこないでしょうから、説明するだけ無駄ということです。

 

以下の記事でも書いています。 「見えている人には見えている世界がある」

理解力とは?シリーズ「理解力こそが人生を左右するスキルである」PART1

 

以上です。「学歴バカ」を従えた田中角栄は凄いですわ。 

 

最後に、DaiGoが学歴について、科学的根拠を元に語っているので、興味がある人は見てみてください。

 

ではこの辺で。(4822文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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