どうも、武信です。(No77)
世の中の事象を見る際、気をつけないといけない点があります。
その気をつけるべき点を、具体例や法則を述べながらわかりやすく説明していきますね。
帝王学であり、人生で圧倒的に差がつく教訓話でもあります。
世の中を有利に生きたい人はぜひお読み下さい。
人間関係の処世術です。あまり指摘してくれる人はいない内容でしょう。気になる方は続きをお読みください。
PART2です。前回の記事は以下です。
1 「客観的に正確に評価する」上の人からの助言・注意だけ聞くべきという話。
前回からの続きです。
また、自分自身をメタ認知して、客観的に正確に把握・評価できない人間が、他人を正確に把握・評価できるとは尚更思えないでしょう。
ということは下の人が下す評価に関しては、重く受け止めなくていいということになります。
つまり、下の人(実力もない)の批判は真に受ける必要はないのです。
真に受けるべきなのは上の人(実力者)の注意です。
こういう客観的に正確な評価を下す人の意見や注意は聞いておいた方がいいです。
僕は批判されても、僕が下の人だと思った人からの批判は基本的に真に受けません。
なぜなら、それは正確である可能性が低いからです。
そう考えると批判や意見や注意やアドバイスも、それらをする側次第では僕たちも「聞くか聞かないか」は変えるべきなのです。
誰の意見でも真に受けるのはあまり賢くないでしょう。
しかしこういう注意や助言などの有用性を判断できる評価軸を自分の中に作るのは、ある程度の経験や知識がないとなかなかできません。
経験や知識不足の人ほど、大したことがない人の注意や意見に惑わされ悩むのです。
そもそも上の人になり、上位1%の存在になったら、99%の人の意見は基本的に意味がないです。
といっても専門分野においてですが。
イチローは世界NO.1と言えるほどですから、誰の助言もほとんど要らないのです。(もちろん、イチローが気づけない改善ポイントをコーチが知っている可能性はあります。野球の世界前提ですよ)
どうしても人生が上手くいかないと思ったら、相談する相手を慎重に選び相談するようにしましょう。
相談する相手を間違えるとアウトです。
間違った方向に誘導されます。
自己流のやり方が通用しなくなったら上の人に相談して指導やアドバイスを仰ぐべきですが、それでも自分の判断軸をなるべく持ってアドバイスを取捨選択したいですね。
以上、「客観的に正確に評価する」上の人からの助言・注意だけ聞くべきという話でした。
2 大人になるとほとんどの人が注意をしてくれなくなる。(裸の王様状態)
さて、「客観的に正確に評価する」上の人からの助言・注意だけ聞くべきだと述べました。
ですが下の人でもたまに「的を射ていること」を言うときがあります。
そもそも論ですが、大人になると注意してくれる人が激減します。
子どものうちは学生の頃は若いからと、年上から注意を受けていたとしても、大人になってそれなりの年齢になると「年上だから、注意しづらい」となって、真正面からなかなか注意をしてくれなくなります。
そして周りの人たちはある程度の年齢の人には悪い箇所があっても注意をせず、そっと離れていくのです。まさに「叱られるうちが花」なのです。
ある程度の年齢にいった人たちは、自力で気づかないといけません。周りの人たちは本音を言ってくれませんし、注意もしてくれません。
特に、上の人(実力者)になればなるほど、下の人(実力がない人)でさえ萎縮して注意はしてきません。
もちろん、前にも書いたように下の人の助言・注意は確率的に言えば的外れが多いですが、それでも当たっていることもあります。
上の人は裸の王様になることは避けなければなりません。自力で気づくか、または周りの人に「厳しいことも言ってくれ」とお願いするかです。
企業でも自社を潰すチームを組むことがあります。
いわゆるレッドチームと呼ばれる組織です。
レッドチームを作り自社を潰す組織を作ることで、ライバル他社から潰されることを防ぐのです。
例として、AmazonのKindle(電子書籍)があります。
元々紙の本を扱っていたAmazonですが、電子書籍の他社から潰されるよりも自社でやったほうが良いと考えたのでしょう。
このように一流会社はライバル他社に潰されるくらいなら、自社の別働隊(レッドチーム)を作り、レットチームに自社を潰させるようにし、そのレッドチームがあわよくば自社を盛り上げてくれと願っているのです。
それにしても他人の助言や注意ほど上手に取捨選択をし、活かすのが難しいのものはなかなかありません。
本当に相手のためを思って発している助言かどうかも不明ですし、たとえ本当に相手のためでもそれが正しい助言かどうかもまた別です。
よって、自分の中にある程度の判断軸・評価軸を作る必要があるでしょう。
もっともそんな判断軸・評価軸があるのなら、そもそも他人の助言なんて要らないのですけどね。
世の中、矛盾した構造になっています。
3 自分の評価軸・判断軸を作ろうという話と悪行を行う2種類のタイプの話。
上記で「客観的に正確に評価する」上の人からの助言・注意だけ聞くべきだと述べました。
さらに、そうは言っても下の人でもたまにはきちんとした正確なことを言うので、情報の取捨選択が難しく、どの意見を採り入れるかは自分の判断軸・評価軸が必要だと述べました。
その自分の判断軸・評価軸は膨大な経験や学習によって培われます。
なので、膨大な経験や知識を積んでない初心者ほど自分の確固とした判断軸・評価軸がないので、他人に助言を求めたり、他人の注意をことさら気にするようになるのです。
そもそも、自分に膨大な経験や知識があり判断軸・評価軸が確立していれば他人へのアドバイスを求めることも少ないですし、下の人の的はずれな注意なんて気にも留めません。
というわけで、膨大な経験や知識を得て、自分の判断軸・評価軸を作ることを心がければ人生が生きやすくなると言えるのです。
また、前にダニング・クルーガー効果について述べました。覚えていますか?
自分自身を客観的にメタ認知して捉えていないので、自信過剰になっている状態ですね。
しかしこういう下の人(実力がない)が全てにおいてメタ認知できていないかと言えば、そうとも限らないと感じます。
多少は自分は平均ぐらい(本当は平均以下だけど)だと思っており、自分を卑下する部分も持ち合わせているかもしれません。
ではなぜ自分は平均以上だと錯覚しているのでしょうか?
それはプライドゆえです。自分の現実・事実の実力を直視するのが嫌なので敢えて避けているのかもしれません。
そういう人はプライドが高いのです。プライドが高いゆえに現実を認めたくないのです。
または不良にありがちであり、過去の悪行を武勇伝のように語りますが、あの現象は「悪ふざけはかっこいいことだ」と思い込んでいるから自慢するのです。
つまり認識がそのようになっているのです。
育ちが悪い人がいますが、そういう人は人に酷いことをしても平気です。
なぜなら、親から酷い育て方をされてきたから当たり前だと思っているからです。
そして育ちが悪いことを「育ちが悪いことは別に悪いことじゃないし、自分がされたのだから他人にしてもいいのだ」と思い込んでいるから、人に酷いことを平気でするのです。
つまり思い込んでおり認知の歪みがあるのです。
まぁ広い意味で言えば、客観的に自分をメタ認知し把握できていないとも言えますね。
悪ふざけの武勇伝の自慢も、育ちが悪いことで他人へ酷いことをしても平気なのも、「それはいいことだ」と思い込んでいるからです。
もし仮に、「悪いことだと思っている」のにしているとしたら相当な嫌な奴であり、サイコパスに近いでしょう。
自覚があって確信犯的にやっている悪行の人はサイコパスに近いです。
人間の悪行には2種類あって、1つ目は自覚がないケース(ダニング・クルーガー効果)であり、2つ目は自覚があり確信犯でやっているケース(サイコパス)があります。
確信犯が世の中にはいるので、注意したほうがいいです。
確信犯なのですから、こちらがいくら注意をしても直りません。
世の中において、助言や注意を聞くことにかなり慎重にならないといけないのは自覚がない実力がない人の助言であるケースと、自覚があり確信犯的に陥れよう・騙そうとするケースがあるからです。
自覚がない人の助言や注意は悪意はないですが、まともに聞いたら悪い方に誘導されますし、自覚がある確信犯の注意は悪意がありますから、こちらもまともに聞いたら最悪になります。
よって自分の判断軸・評価軸をきちんと作ることは非常に大事なのです。
結局は意思決定したことに責任を持つのは僕たちであり、他人は最終的には責任を取ってくれません。
よくよく注意をして他人の助言や注意に反応しましょう。
ではこの辺で。(4126文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。