どうも、武信です。(No874)
突然ですが、皆さんは理念には2つ種類があり、「個人理念」と「企業理念」があることを知っていますか?
「企業理念」は有名ですが、「個人理念」という概念はあまり知らない人も多いかと思います。
「企業理念」は、 「その「企業」のすべての活動や選択の動機・基準」です。
「個人理念」は、「 その「個人」のすべての活動や選択の動機・基準」です。
要するに、「個人理念」とは「自身の行動指針、価値観」のことであり、この「個人理念」は「人生のコンパスのようなもの」であり、これがないまま人生を生きるのは、さまようこととイコールなのです。
今回は、仕事面においての、「個人理念」と「企業理念」のシンクロについて話をしていきます。
また、プライベートの面においての「個人理念」、または「価値観」の話もしていきます。
興味がある人は続きをお読みください。
1 僕の事例。
僕の「個人理念」、いわゆる人生哲学は、以下の記事に書いています。
哲学の意味とは?「僕の人生哲学」
僕の事例をまず示して、具体的にタイトルにある、「仕事で重要なのは、「個人理念」と「企業理念」がシンクロする箇所)の共有である」、の意味を解きほぐしていきたいと思います。
僕の「人生哲学」は、以下になります。
1 「戦略的にベストを尽くす」
2 「人生はプロセスに意味がある」
3 「自分でコントロールできることはなるべく変える」ようにし、「自分でコントロールできないことは考えない」
4 なるべく正しいと思われることを発言する
これに加えて、以下の記事で判明したように、僕は「合理主義者であり、無駄を極力、嫌う」ことが分かりました。
人間関係で悩む人、必見!FFS理論とは?書評・レビュー「あなたの知らないあなたの強み 宇宙兄弟とFFS理論が教えてくれる」
FFS理論は、ソニー、ホンダ、リクルート、LINEなど、延べ約800社で導入されている性格診断・分析手法です。
ここから、以下の記事で、僕が自己分析してきたように、「合理主義者」は、「実用主義者」とほとんどイコールなのだぁと僕は理解しました。
プラグマティズムの意味「僕は実用主義者である」
実用主義者とは、「現実の世界で役立たないことをひどく嫌う性質の人達」です。
僕も実用主義者であり、先ほどの「合理主義者であり、無駄を嫌う」と判定されたのと、かなり近くなります。
また、以下の記事、人間を2種類に分類するという記事で、「その2種類のタイプの価値観は交わらない、分かり合えない」と述べています。
人間を2タイプに分類する「人間には大きく分けて2種類いる2」
具体的な2タイプについて、詳しい内容は記事を読んでください。
2 タイトルへの答え。
僕の事例だけ見ても、「「個人理念」や「人生哲学や価値観」は人それぞれ、かなり異なるのではないか?」と皆さんも、気づいたことでしょう。
僕の「個人理念」「人生哲学や価値観」がまったく理解できないという人もいるでしょうし、「ある程度、理解できる、同意する」、という人もいることと思います。
このような様々なタイプの「個人理念」を持った人達がいるなかで、企業は運営されているのです。
そのような状況下なら、皆が、意見でぶつかるのも当然ですし、だからこそ、「FFS理論」や「エニアグラム」などで、他己分析、他者を理解しようとする企業がけっこう多いのでしょう。 (価値観のズレを埋めるのです)
しかし、そもそも「他己分析なんて面倒くさい」という思想の持ち主もいて、そういう人は「企業理念の一つ」(他己分析をして、価値観のズレを埋めよう)に合わないので、居づらい雰囲気になるでしょう。
「企業理念の一つ」として、「他己分析を重視している会社」があったなら、その「企業理念の一つ」に同意できないと、居心地が悪く、「個人が幸せになれない」と思われます。
これが、「仕事で重要なのは、理念(個人理念と企業理念がシンクロする箇所)の共有である」の一つの事例となります。
こういう事例は数多くあると思いますので、皆さんも考えてみてください。
3 仕事では、表面化力が大事であるが、企業理念では最低限、団結しなければならない。
さて、以下の記事で、僕は社会人は、表面化力が大事である、と述べました。
表面化力とは?「社会人に求められる能力&サイコパスも身につけている能力」
表面化力とは、僕の造語ですが、「内心の本音や本性を隠し、建前と表面上の振る舞いが洗練されて、良いところだけを見せる能力」と定義し、もっと簡単に言えば、「建前力」「外面がいい人」のことです。
「本音や本性」を見せまくっていたら、仕事場の人間関係は悪化するでしょう。
で、様々な価値観の持ち主が、仕事場ではいますが、僕が主張したいのは、最低でもその企業の「企業理念」に同意した者が集まり、「個人理念」は最悪、置いておいて、「企業理念」で団結し、成果を上げるべきだという点です。
個人理念は人それぞれで、いくらでも種類があるでしょうが、企業に所属する以上は、「郷に入れば郷に従え」ではないですが、その企業の文化や社風をある程度、受け容れ、チームワークを発揮し、成果を出すことに集中するのが礼儀なのでは?という点です。
もちろん、ブラック企業の場合、企業に所属するのは一時的であり、いずれ辞めるつもりであり、ブラック企業側も育てる気がなく、「大量入社・大量解雇」なので、「恩や礼儀を意識する必要はない」と思います。
しかし、ホワイト企業であり、育てるつもりもあり、ちゃんとしている会社なら、「企業理念」や「社風」は最低限理解し、少なくとも足を引っ張らないようにし、「成果を上げることに集中すべきですよね?」と僕は思うのです。
また、以下の記事で書きましたが、人は3人集まれば、派閥が出来上がります。
三人集まれば派閥ができるとは?「人間は3人以上集まれば派閥ができる生き物である」
このような派閥争いに明け暮れるのではなく、「企業理念や、上位の価値観では団結し、成果を上げるべきなのでは?」と僕は主張したいです。
大企業ともなると、人数が多すぎるので、どうしても派閥が生じ、さらに社内政治が必須になります。
しかし、社内政治は最低限にして、Googleが企業業績を上げる要素として示したように「心理的安全性」を確保し、「上位の価値観で最低限、団結し、勝つように持っていく」のが理想だと思います。
社内やチームでは、個人個人では好き嫌いがあり、合わない人もいるでしょうが、仕事では別であり、「相性や好き嫌いなんて言ってる暇はない」のです。
そもそも「会社組織に所属するのが嫌だ!」という人は個人事業主(フリーランス)になればいいと思います。
加えて、実は、僕は仕事の方が「人間関係は楽だ」と思っています。
なぜなら、仕事場では深く付き合う必要もなく、浅い付き合い、または共通の「企業理念」や「上位の価値観」で一致し、まとまっていればよいので、「心底、深く分かり合う必要がない」からです。
しかし、プライベートとなると、話が別になります。
プライベートは「心底、価値観が合わないときつい場所」なのです。
浅い付き合い程度の友達ならまだしも、結婚相手や仲の良い友達レベル(しかも頻繁に会う)になると、価値観のズレはかなりきつくなります。
しかも、「FFS理論」や「エニアグラム」などのように他己分析を、会社が強制的に提供できるわけでもなく、プライベートの場では「他己分析をやりたくない人」はとことんやらず、「他人の価値観など理解する気もない」としたら、余計に厄介なのです。
以下、プライベートの付き合いに焦点を当てて記事を書きます。
4 プライベートでの付き合い。
「プライベートでの付き合い」(特に、家族間や夫婦間、頻繁に会う友達間)では、「価値観のズレ」は致命的になります。
例えば、僕の事例ですが、「DaiGoが嫌い」という人が周りにいたとして、それだけなら、まぁ許容できるでしょう。
「心理学」や「他己分析も嫌い」という人も、まぁ許容するとしましょう。
「DaiGo」や「心理学」や「他己分析」の話をしなければいいだけだからです。
しかし、ここに僕の大事な価値観である「本の否定」をされたらどうするでしょうか?
僕は以下の記事でも書きましたが、「本の重要性が分からない女性はくだらない」と述べています。
「結婚したくない女性?」こういう女性はくだらないと僕が思う事例
僕が、「本から仕入れた情報を相手にシェアしてあげよう」としたら、真っ向から全否定されたら、どうしますか?って話です。
この時点で、僕は「価値観が合わない」と思うことでしょう。
さらに、「いろいろな価値観で合わないことが多いなぁ」と感じたら、よほどのメリットがない限り、「プライベートで付き合いたい、関係を続けたい」と思わないですよね?
プライベートの関係だからこそ、自然消滅も当たり前であり、会社のような強制に一緒に居させる動機もないわけであり、自由に交流できるわけです。
お互いの合意、居心地がいいから、交流しているわけであり、価値観のズレが大きく、「互いに理解できない箇所」が多かったら、気まずくなり、そのうちにフェードアウトしていくでしょう。
これが、「プライベートでの付き合いの難しさ」です。
しかし、夫婦関係ともなると、結婚した場合、離婚がなかなか難しかったりします。
ですので、結婚する前に、同棲して相性?を確かめる人もいますし、事実婚の形態をとる人もいるでしょう。
価値観が大幅にズレていても、「それを楽しめる」という人がいるかもしれませんが、双方、それができないと関係は続きません。
一方が、「価値観の大幅なズレを楽しめない」となったら、関係は続きません。
で、よりプライベートで難しいのは、集団です。
「1対2」ぐらいまでは「価値観のズレ」もそこまでなく、または許容できる範囲内の価値観だとしても、「1対3」になり、3人目だけが、価値観が大幅にズレていて、「先にいた2人は3人目のこと」をそこまで悪く思っていない場合、当事者1人だけが苦しくなります。
集団において、1人だけでも、自分と価値観が大幅にズレていて、分かりあえず、しかも害を及ばされたら、その集団との関わりを減らすはずです。
他の人達とは価値観の大幅なズレがなくても、1人だけでも存在し、害を及ばされるとそうなってしまいます。
また、以下の記事で、同族嫌悪の話をしました。
同族嫌悪のメカニズム&嫉妬の心理「自分と外見が似ている男が嫌いな理由」
同族嫌悪が働くのは、あくまで「自分で自分のことを嫌っている性格や外見が、相手と同じであり、その相手と接すると、まるで鏡に映ったかのように、自分の嫌な点を見せられているので、その相手を嫌うのだ」という主張です。
これは、違う見方をすると、「自分が好きな箇所が、相手とかぶっていても、そこまで嫌だと思わない」ということを意味します。
価値観の話も似ており、自分の価値観とは言わば、自分が気に入っているからこそ、続けているわけであり、その価値観が大幅にズレるということは、自分が全否定されている気分になるので、「話が合わない、噛み合わない」と感じるのです。
もちろん、「相手の価値観との違いをどこまで許すか、または価値観の違いを楽しめるか」、は人それぞれ、違いますので、必ずしも、価値観が大幅にズレたからといって、「関係が疎遠になるわけでもない」と思います。
「多様性が大事だ!」と盛んに言われる時代ですが、それはイノベーションを起こすためには異分野の融合が必要だからであり、それは「知識面やバッググラウンドが違うだけならOKの話」で、価値観や「企業理念」まで違ったら、団結できないと思われます。
多様性については以下の記事で触れているので、興味がある人は読んでみてください。
2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本13 第17章 下」PART2
以上、個人理念と企業理念の話をしてきました。
参考になれば幸いです。
最後に、紹介した記事を全部、読むと、より僕の今回の記事を深く理解できますので、読むことをお勧めしておきます。
ではこの辺で。(6306文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
参考・引用文献。