幸福論「最上位層に幸福を据えている人はほぼ凡人」

  • 2020年1月24日
  • 2020年12月14日
  • 哲学
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どうも、の武信です。(No541)

 

2017年の記事です。

 

「幸福を第一に考えてはいけないの?」と直感的に感じた人もいるかもしれませんが、その点について深く考察していきます。

 

興味がある人は、続きをお読みください。

 

 

1 前置き。

 

「自分の幸福とは何か?」を考える哲学系の人を僕は散々、「有用性が低いことをしている人」と書きました。

 

次は、政治談義です。

 

ちなみに、学問系の分類から選びました。

 

趣味は当然、有用性は低いですが、除いています。

 

「哲学の次に、有用性が低いのが政治談義をしている人」

政治と哲学「哲学の次に、有用性が低いのが政治談義をしている人」

 

「一番、大事なのは自分の幸福であり、どうやったら、幸福になれるか?」を考えている人がほぼ、凡人なのはなぜか?という分析をします。

 

というのも、幸福というものを考えると間違いなく、主観的要素が強くなるからです。

 

そして、定性的になります。

 

定量的に測れるものは実績系であり、数字で表わされがちです。

企業でも株価や利益などの数字は重要視されがちです。

 

個人でも年収は重要視されがちです。

 

2 幸福になるには競争から外れる必要があるかもしれない

 

また、幸福論者が言うことのほとんどが「上には上がいる」であり、1位以外、勝者じゃないのであれば、幸福を感じられる割合は下がると言います。

 

その通りです。

理屈で言えば、1つの分野で1位になった人でさえ、他の分野ですべて1位なんてことはありえませんから、比較しているうちは幸福になりづらいです。

 

だからこそ、幸福になるためには比較をやめて、「自分の主観的な要素、満足感を重視しよう」という主張になります。

 

つまり、その思想から言えば、「競争からなるべく外れよう」ということです。

 

3 1つの分野で1位になった人の考え&記事の抜粋。

 

で、ですね。1つの分野で1位になった人は相当な才能と努力をしてきたことは目に見えていますが、そういう人達が「自分の幸福を考えていたか?」というと、あまり考えていないように思うのです。

 

以下の記事でも書きました。偉人は自己犠牲をし、幸福を捨てているのです。

 

「幸福を捨てる自己犠牲の偉人とは?」

「幸福論&幸福な人」幸福を捨てる自己犠牲の偉人とは?

 

以下、抜粋します。

 

偉人を2タイプに分類します。

1 他者評価を基準に、自分の幸福を犠牲にして大きなことを成し遂げたタイプ

2 自己評価を基準に、自分の自己実現自体が幸福であり、それを愚直に実行して大きなことを成し遂げたタイプ

 

自己評価、つまり自分の内心というよりも、他者や他社などからの期待により、自分の幸福(多くはプライベートの時間)を犠牲にし、仕事にまい進し、大きなことを成し遂げたタイプと言えます。

 

このタイプは才能、能力があるのですが、周りが引退させてくれないのです。

 

自分の幸福(プライベートが大半)よりも、その才能や能力が社会にとって有益なので、周りに期待されたり、促されたりして、引退できない、もしくは大量の仕事を振り分けられます。

 

優秀な研究者(人類の発展に関わる)には、このタイプがいそうです。

 

2は自分自身が「自分の能力がどこまで通用するか」という自己評価、自己実現タイプなので、仕事自体が幸福であり、大きなことを成し遂げたタイプです。

 

イチローはこのタイプのような気がします。

 

記録を伸ばしたいという目的もありそうですが、50歳まで野球をやりたいというのは心底好きなのではないでしょうか?

 

もちろん、成績が振るわなくなれば競争社会ですから、引退させられます。

 

略。

 

偉人にも2種類います。

 

そして、1のタイプの偉人は幸福(プライベートが大半)を捨てて、仕事を大量にこなし、大きなことを成し遂げたわけであり、かなりの自己犠牲といえるでしょう。

 

1のタイプの偉人もそれなりにいそうです。

 

経済的成功や大きなことを成し遂げるためには、厳しい他者評価、客観的評価が基準なので、厳しい限界的練習やトレーニングをこなさないといけません。

 

自分の幸福(プライベート充実)や自分にすぐに楽をさせるのとは、正反対の方向性です。

 

正直、思うのですが、自分の幸福がどうこうとか大事とか、楽をしたいと言っているのなら、偉人にはなれませんし、大きな目標も公言しない方がいいのでは?と。

 

大きなことを成し遂げるには、2のタイプの自己実現タイプはありのままの路線でいけばかまいませんが、1のタイプは自分の幸福(プライベートが大半)を捨てて、厳しい人生を歩む覚悟がいるのです。以上、ここまで。

 

4 偉人の道に行くのなら、自分の幸福を捨てる覚悟がいる。

 

まぁ、偉人の道は険しいですし、自分の幸福を捨てている人が大半ですから、お勧めの道ではありません。

 

ですが、偉人や天才になりたいという奇特な人がいるとしたら、自分の幸福やプライベートの大半を捨てる覚悟が必要だと言いたいのです。

 

以下の記事にも書きましたが、偉人レベルに達すると、特権を得られるかもしれません。

 

「頑張っている人間が世の中、有利に渡り歩けるという真実」

努力すれば成功へ近づく論「頑張っている人間が世の中、有利に渡り歩けるという真実」

 

僕も、自分の幸福をかなり捨ててきた人生だったので(青春はありません)、自分の幸福がどうこう言っている人を見ると、「僕は幸福を捨てて、ここまでの影響力を得た」し、今は影響力以外、何も得ていないし、とにかく自分の幸福なんて考えず、自己犠牲をしてきたから、自分の幸福がどうこう言う人を見ると「甘すぎて話にならない」と思ってしまうのです。

 

まぁ、大半が自分の幸福を考えてる人だからこそ、偉人レベルに達しないのですけどね。

 

過酷な競争環境などに身を置いて、しんどい日々を送るのが偉人ですから。(アインシュタインのように天才肌で、心底、考えるのが楽しいのなら別かもしれませんが)

 

5 僕の事例。

 

僕は、正直、プライベートの大半を捨ててきましたし、青春もなかったですからね。

自分の幸福なんて、じっくり考えもしなかったです。

 

ただ、「役割を与えられたとみなし、その役割をどう達成するか」しか考えなかったのです。

 

大リーガーなら、結果を残す役割だけを考えるということです。(大リーガーと比較するのも何ですが。彼らは世界一、厳しい世界に身を置いているので)

 

僕の知っている人にも、「自分の幸福は何か?」と考えている人がいましたが、やはり、仕事では成果が出てないですね。

 

自分の幸福を考える人は、プライベートをかなり重要視しますから、結果的に仕事に割く時間が減り、成果が出ないんですよね。

 

ですが、メンタリストDaiGoは自分の幸福を第一に考えており、効率を重視して、勝ち上がったというか、稼いでいて、プライベートも充実していそうで、別枠かもしれません。

 

例外がいるのだなぁと驚きです。 

 

6 イチローの事例&今回の記事の意図。

 

さて、人の生き方はそれぞれですが、偉人や天才達は「何かを確実に失って、名声を得てきた人達」であり、軽々しく、「ああいう風に生きたい」とか言わない方がいいと思います。

 

「膨大な何かを失ってきた人達」ですから、軽々しく、「真似したい」とか本人に言ったら怒られるか、舐めていると感じられるでしょう。

 

イチローも、阿川佐知子さんに「一緒にしないで」と激怒していたという記事があります。

 

「阿川佐知子の一言でイチローが激怒?「一緒にしないで」」というタイトルです。

http://news.livedoor.com/article/detail/12179121/

 

イチローも、自身の幸福やプライベートの大半を捨ててきたタイプなのかもしれませんね。

 

ちなみに、今回の記事は僕が偉人や天才たちの内心の言葉を代弁して、書き上げたものです。(たぶん、偉人や天才たちはこう思っているのだろうと)

 

イチローはある対談で言ってましたが、大リーガーなどの選手達はエゴの塊だと言っています。

 

「自分が一番、野球が上手い」と心底、思っている人達であり、「他人には絶対に負けたくない」という考えの人達です。

 

そういうエゴの塊が、偉人や天才には多いと推察されます。

 

そうでなければ、過酷な競争に勝てませんしね。

 

ではこの辺で。(3023文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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