どうも、武信です。(No1037)
「身の程を知る」という言葉の意味は「自分の能力や地位をわきまえる、分を知る」ということを指します。
「自分を過大評価しない」ということでもあるでしょう。
これがなぜ重要なのか?考察していきます。
逆のキーワードとして「自分の限界を決めるな!」がありそうです。
「自分の限界を決めるな!」は「分を知るな!」と同じでしょう。
分を知るの意味の「身の程を知る」と「自分の限界を決めるな!」は逆のキーワードといえそうです。
どちらも重要なキーワードですが相反しています。
興味がある人は続きをお読み下さい。
1 身の程を知るべきだと気づいた瞬間。
僕が身の程を知るべきだと気づいた瞬間として、大勢の前で話すのが異常に上手い人と出くわしたときがあります。
「僕にはない才能だ!」と思ったのです。
ある話すのが上手い人に聞いたところ、「心底から話すのが好きで、話したくてうずうずしている」とのことでした。
この言葉で思い出したのがお笑い芸人のさんまさんです。
さんまさんは楽しそうに喋っていますし、おそらく話すのが楽しくて楽しくて仕方ないと思われます。
こういう人に、僕みたいな話すのに努力を要する人が敵うわけがありません。
大勢の前で話す力を100点満点スコア制にするとしたら、さんまさんは100点で、他の上手い人達も80〜90点はいくでしょう。
僕の場合、30〜50点ぐらいになると思います。
1対1などの個別通話だと、この僕のスコアも上がるのですけどね。
しかし、さんまさんのこの大勢の前で上手く話せるスキルはプライベードだと諸刃の剣になります。
なぜかというと、プライベートでも喋りまくるのでうるさくて仕方ないこともありそうだからです。
もしくはさんまさんみたいな人は大勢の人に囲まれるのが好きなので、孤独に弱いという側面もありそうです。
逆に、僕みたいに大勢に囲まれるのが好きじゃないタイプは孤独に非常に強く、プライベートでもそんなにうるさくありません。
物事は表裏一体であり、いい面も悪い面もあるのです。
まぁ大勢の前で話すスキルという面で、僕は「自身の身の程を知るべきだな」と思いました。
こういう瞬間は他の人の場合、例えば才能が求められる数学や物理などで出くわす面もあるようです。
ある人に聞いた話ですが、進学校の高校の定期テストで平均点が10〜20点の物理の試験がありました。
そこで、ある人は頑張って50点ぐらい取れたのですが、阪大や東工大に行くような人は平気で80〜90点取ったというのです。
また、数学でも東大・京大は別格だとある人は言い、才能の壁を感じたといいます。
そのある人は現在、AIを勉強し、転職活動をしていますが年齢面もあってAIの実務より、AIを教える講師での採用なら決まりそうだといいます。
そのある人はエンジニアの世界においてはかなり話すのが上手いので、それを買われたというわけです。(エンジニアの世界はコミュ障や話下手が多いのです)
ある意味「年齢の壁や別格の才能(数学・物理など)などに直面し、身の程を知るべきときだと感じる人が多いのかな」と感じました。
ここで多少、話を脱線します。
「「言い返す」技術 ムカつく相手にスパッと言い返す」という本に話すスキルについて秀逸な事例があったので紹介します。
● 自分の話ばかりするヤツには「アンコール」で面白さアップ!
という項目です。
延々と自分の話ばかりする人が世の中にはいます。
話が長く、あくびが出る場面ですね。
こういう場合、イラッとした人は「結論は?」「さすがですね!(棒読み)」など対応する人がいますが、これだと受け身の対応になります。
「男の自慢話、女の無駄話」と言われますが、自分の話ばかりする人はそれで気持ちよくなってしまう、つまりカラオケのようなものなのです。
問題は話のクオリティであり、カラオケでいえば下手なのが問題なのです。
話が上手い人の長い話なら面白く興味深く聴けます。(上手いからですね)
つまり、長々と自分の話をする人の問題は話が下手くそな点であり、一番の解決策は「話を上手くなってもらえばいい」ということになります。
そこで、著者が提案したのがアンコールであり、「もう一度聞かせてもらえる?」というワードなのです。
驚くことに、もう1回同じ話をさせられた人は前より話すのが洗練されて上手くなっているといいます。
他の面白い項目として
● なれなれしいヤツには「敬語」でよそよそしくする
があります。
こういう言い返す技術の事例が37つも載っており、興味深い本です。
本来なら、この本に載っているような嫌な未熟な相手とは深く関わらなければストレスゼロでしょうが、どうしても直面してしまうことはあります。
その際の対処法として知っておくと役立つ場面があるかもしれません。
逆にこういう嫌な未熟な人間にならないための反面教師フレーズ集としても使えます。
話を戻します。
2 自分の限界を決めるな!は表裏一体だなと感じた瞬間。
身の程を知ることは僕は過去多くやってきました。
ある意味冷静な人間だったのです。
しかし「自分には向いてないと鼻から決めつけるのもどうか」と思い、自分の限界を決めず、とことん挑戦してみようと考えました。
「ステレオタイプの科学」という本もあり、自分にレッテルを貼ると本当に能力が落ちてしまうこともあるといいます。
ある10ホールのミニチュアゴルフをさせる実験があり、白人と黒人がいて「運動神経を測定する」と言われた白人学生はそういわれなかった白人学生より、ずっとスコアが悪かったのです。(黒人学生にこの効果はありませんでした)
逆に、「運動知能を測定する実験だ!」と告げると、黒人学生のスコアが悪くなりました。(白人学生にこの効果はありませんでした)
これは運動神経という言葉に白人学生は敏感になり、「白人は潜在的に運動面では黒人に敵わない」と思い込んでいて、実際のスコアも下がってしまったと思われます。
逆に、知能という言葉に黒人が敏感になり、「黒人は潜在的に知能面では白人に敵わない」と思い込んでいて、実際にテストのスコアも下がってしまったとも言えます。
つまり、本来なら同じ結果になるはずなのに、人の思い込みにより、結果が悪く出てしまうのです。
この視点から見ると「自分の限界を決めるな!」という言葉は良い響きに感じます。
ただ、潜在的な思い込みというのはその人が長年積み重ねて思い込んでしまったことであり、潜在意識の底から思い込みを修正するのは容易ではありません。
僕が「大勢の人前で喋るのが苦手」というのも元々の内向型寄りの性格や、社会不安障害の病気や、過去積み重ねてきた経験・生い立ちなど重なってそう思うようになったのです。
これに対し、さんまさんのような人は「大勢の人前で喋るのが楽しくて仕方ない」という思い込みを持っていると推測できます。
思い込みにより、能力がセーブ(抑制)されてしまうのです。
本来の能力が発揮されないのはもったいないので「自分の限界を決めるな!」という言葉はそういう面では良いのです。
ですが、数学や物理などの本当の才能が関与している分野ではいくら「自分の限界を決めるな!」と言われても、努力では到達できないゾーンがあり、そういう分野では無駄に消耗するよりも身の程を知るのが大事だと思います。
もしくはいろいろな病気の診断が下っている人に「病気なんて関係ない!上を目指せ!」と言っても限度があると感じます。
ADHDやASDやうつ病などたくさんの病気がありますが、ADHDやASDで成功しているイーロン・マスクのような人は例外中の例外であり、そんな人を真似しても仕方ありません。
ADHDやASDでプチ成功している人を模範にし、プチ成功ぐらいを目指す方が身の程を知っており、辛い人生にはなりにくいと思います。
今回は身の程を知るべき事例と「自分の限界を決めるな!」の狭間で揺れる瞬間などについて語ってきました。
分野ごとにどちらを選ぶべきか見極めるべきですし、バランスが大事とも言えそうです。
参考になる方がいれば幸いです。
ではこの辺で。(3631文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
参考・引用文献。