「権力・権威論・結果が全て論者」結果論者と後付け批判論者は見苦しい

どうも、「ホントのメディア」~自由人のための起業・フリーランス・副業塾~運営者の武信です。(No648)

2017年の記事です。

結果というキーワードで検索すると、結果主義について、たくさんの記事が僕のブログで出てきます。

今回の記事は、その結果主義についての決定版の論考です。

深く掘り下げた記事になっているので、興味がある人は続きをお読みください。

1 前置き。

「結果が全て」としたり顔で軽く言う人がいます。

または、「こうなることはわかっていた」と結果論から言う人もいます。

さらに、後付けで批判する人がいます。

「あとからこうやって失敗することは分かっていた」と言う人や、何かの改革案や提案を出すと、「そんなの無理だ」とかあら捜しをする人もいます。

2 結果論者が「結果が全て」という心理分析。

「結果が全て」論者のうざい点は「結果が全て」と言っている割には、そう言うほとんどの人が「大きな結果」を出していないことです。

「結果が全て」なのに、「大きな結果」を出していないということは、自分の負けを認めているということなのでしょうか?

または、将来「大きな結果が出る」と夢見ているのでしょうか?

じゃないと「結果が全て」なんて言わないというか、言いにくいと思います。

だって、自分を正当化できないじゃないですか?

「結果が全て」というからには、大きな結果を将来、出せるから言うのだと僕は思っていましたが、実は結果論者の言い分は「小さな結果」であり、僕のスケール感とは違っていました

「小さな結果」だったのです。

それを出さないと会社では確かにいられず、解雇につながりやすくなりますが、「小さな結果」を出せばもう良しなのか、と思いました。

「人生の視点が短いし、野望も小さいなぁ」と僕は感じました。

逆に、大きな結果を出す人ほど、大きな結果を出すのはかなりしんどいことが分かっていますから、プロセスに集中し「一戦、一戦頑張る」とか言います

4 結果論からしか語れない人。

また、結果論からしか言えない人もいます。

結果を出した人や成功者ばかり、もてはやし、凄いと褒め称えるのです。

逆に、そういう人が失墜したら、どう思うのでしょうか?

結果論者の言い分として、「一度でも成功したら、失敗しても這い上がりやすい」というものがあります。

これは一理ありますが、ケースバイケースでしょう。

それより、金のなる卵を発掘したり、投資家として「これは成長株だ」と見抜く目はないのでしょうか?

だからこそ、結果でしか判断できないのです。

僕の例でいえば、いろいろな予測を当てていますが、予測とは本来、難しいものだと思っています。

最近では、選挙結果(2017年)やソフトバンクの日本一(2017年)を当てましたが、ソフトバンクの日本一に関しては、戦力的にいってもっと圧勝すると予測していましたが、外れました。

4勝2敗という結果以上に、接戦だったと思います。

6戦目で負けていたら、五分となっていたわけであり、それこそDeNAが日本一になっていてもおかしくなかったと言えます。

戦力差からいったら、到底予測困難なことでした。

4 「こうなることは分かっていた」というなら大儲けすればいいのにできない人だらけ。

そんなに「結果が全て」であり、「こうなることは分かっていた」と言うなら、株式投資や投資家にでもなり、大儲けすればいいのでは?と思うのです。

それができていないということは、その人は結果でしか見れない人であり、中身やプロセスなんて、ほとんど見てないということになります。

「小さな結果」をかなりの高確率で出して、株式投資や投資家として成功すればいいのでは?とも感じます。

選挙結果やソフトバンクの結果予測も、「小さな結果」なのかもしれませんね。

ですが、これらを予測するだけでもけっこう一苦労でしたけどね。

「結果論」から言えば当たりましたが、外す可能性も大いにありました。

5 小さな結果といえどもたやすくはない。

「小さな結果」といえどもたやすくはありません

将棋でも一流同士の試合は接戦が多く、1試合勝つだけで一苦労なのは見ていてわかります。

プロの世界での小さな結果ですら、大変なのです。

もしや、営業マンの1つの契約達成を小さな結果と捉えているということですかね?

そんなスケールが小さいのが「小さな結果」なら、仕事として営業マンをやっている人なら達成している人は多数だと思いますが。

達成できなかったら、営業マンとしてやっていけないですから。

大学受験の難関入試突破が「小さな結果」でしょうか。

それも通過点に過ぎません。

「小さな結果」をどう定義するかによっても、達成の難易度は変わります。

それすらプロの世界では一つ達成するだけでも、それなりに大変です。

6 結果の定義が必要。

結果というもののスケール感というか、定義が必要な気がします。

「結果が全て」という言葉は簡単に捉える人がいますが、僕は大雑把に分けると、「かなり大きな結果」「大きな結果」「小さな結果」「すごい小さな結果」に分けることができると考えています。

スケール感で定義すべきかもしれません。

なんとなくですが、以下のようにです。

「かなり大きな結果」は生涯年収を稼ぐほどの成功。

芸術系の売れ行きにせよ、ソフトバンクでのアローラ氏の膨大な報酬(103億円?))にせよ、起業によるIPOでの成功にせよ。金額は生涯年収より上なら、上限はなし。

または野球でいえば、日本シリーズで日本一や日本一を何回も制覇や個人の記録で言えば前人未到の記録などですかね。200勝投手の記録も入るかもしれません。

将棋でいえば、羽生さんの一時期の7冠制覇ですし、ボクシングでいえば、世界チャンピオン防衛記録10回以上などですかね。

「大きな結果」は5000万〜1億円ぐらいを年収として稼ぐことでしょうかね。

または野球でいえば、シーズン日本一や将棋でいえばタイトル奪取や、ボクシングで言えば世界チャンピオンになることですかね。

「小さな結果」は大学受験での高学歴や就活での成功や年収1000万以上を3年間以上や本の出版などですかね。

どれも、スタートラインに立ったぐらいの感覚ですから

「すごい小さな結果」は営業なら、月間での成績が上位などですかね。

大学受験なら、模試の段階でかなり上位とか。

これらはあくまで僕の感覚値であり、人によって定義は変わると思います

ですが、「同じ結果」でも人によってこれだけの解釈の幅があり、「結果が全てだよ」と言う人が、どのスケールで言っているのかを把握しないと、話が噛み合わないと思います。

7 後付批判論者の特徴。

次に、後付け批判論者ですが、改革案や提案を出すと、必ず後付けで批判する人が出てきます。

そういう人はあら捜ししかしないのです。

どうすれば良くなるか突破できるか、成功するか?という視点が欠けています。

批判こそ、やりやすいことです。

提案や企画案や理論を作ることのほうがかなり大変です。

批判はあら捜しをすればいいだけですからね。

8 僕の事例と理論の話。

僕は「フィクサーによる日本の教育改革本」「俯瞰経営学」で理論を作り、提案もしていますが、この全体俯瞰図を作れる人はいるのでしょうか? 

後付けで細かい箇所を批判しようと思えば、できるのです。

僕のブログ記事も小さい理論やエッセイなどいろいろ書いていますが、大枠の提案記事を書く方が批判するより、何倍も大変です。

批判する側は何か粗はないかと探して、そこを突けばいいだけですからね。

そして、理論の凄いところは体系化されると、論点が明確になり、どこが問題なのか把握しやすくなることです。

頭も整理されます。よって世の中に寄与しているのです。

以下のツイートを貼ります。

「昔使っていた開発経済学の教科書の裏表紙に引用されてあったアインシュタインの言葉が印象に残っている。「理論がないと、何を観測しているのか分からなくなる。何が見え、何が見えないかを決めるのは実は理論だ。」何をするのでも、今見えている物の背後に何が見えていないか推論する力が実は重要。」以上、ここまで。

理論があることによって何が見え、何が見えないかを把握できるのです

議論の火付け役になります。

そういう意味で、「フィクサーによる日本の教育改革本」「俯瞰経営学」を含む僕の執筆書はかなり役立っていると思われます。

このブログも、頭の整理になることでしょう。

9 結果論者と後付け批判論者はプロセス論者とファーストペンギンに比べたら楽をしている。

結果論者と後付け批判論者は僕にとって見たら、プロセス論者(プロセスを徹底的に突き詰める)と、ファーストペンギンになるなどの先行者に比べたら、かなり楽をしていると思います。

結果論で、結果を出している人を評価するなんて、ほとんどの人ができます

誰が結果を出すかわからないなかで起用したり、採用するから、難しいわけです。

予測も同じです。

どういう結果になるかわからないなかで、最大限に因子や要因を掴み、分析し、結果を出そうとするからこそ、難しいわけです。

もはや確率論です。

結果論者は何を決め手にし、人を起用し、採用するのでしょうか? 

学歴しか判断基準がない人もいるのでしょう。

世の中の成功要因は複雑なのに、学歴だけで判断するなんてね。

まぁ確率は上がりますが、でも、それって頭を使ってないってことでしょう?

出身大学で高学歴なら誰でも採用するのでしょうか?

「何も頭を使ってないですよね」って話です。

10 SKYPEで出会った人の事例。

この前SKYPEで話した人が、中小企業に勤めていて社長がMARCHという高学歴(中小企業には来ない学歴)だけを判断基準にして採用したそうですが、大失敗だったと言っていました。

今ではあまりに使えないので、解雇したいそうです。

高卒の僕のほうがよほど頭を使い、考えていると思います。

学歴だけでしか判断できない人よりはね。

ちなみに、ある人は病院を判断するときも、東大病院とか東大理3の医者じゃなきゃダメだと言っています。

東大病院に行って上手くいかなかった原因はそこにいる医者が東大出身じゃなかったから、と言っているのです。

東大なら、無条件に信じるのか?と驚きました。

その割にはその人の専門の分野では東大卒の池田信夫に喧嘩を売るようなコメントを書いたり、他の有名な学者系にも喧嘩を売るようなコメントを書いています。

つまり、自分の専門分野は中身で判断しようとしているのです

肩書をあまり気にしてないように感じます。

専門外は肩書を気にするのは仕方ないかもしれませんが(詳しくないので)、自分の専門分野は中身でその人は判断している点からも、僕の「自分の専門分野は中身で判断しよう」という主張を実行していることになります。

しかし、ある人は肩書重視派じゃなかったのでしょうか?

やっていることが矛盾しています。

東大生(東大卒も)なら無条件に信じるのではなかったのでしょうか?

池田信夫になぜ、喧嘩を売るのでしょうか。謎です。

ではこの辺で。(4898文字)

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・Youtube動画などを基にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

最新情報をチェックしよう!