ブログ批判コメントへの対処法「単に、読書している人を絶対視、尊敬するなという話」編。

どうも、武信です。(No462) 

 

過去記事です。

 

以下の記事を書いたところ、批判?コメントが5件きました。

 

「単に、読書している人を絶対視、尊敬するなという話」というタイトルです。

読書の効用「単に、読書している人を絶対視、尊敬するなという話」

 

約2500アクセス以上あった、少しバズった記事です。

 

この5件の批判?コメントについて僕が思ったこと、感じたことを書きます。

 

そして、この僕の対処法、感じ方を、ブロガーやアウトプット者は参考にしてもらえたらなと思うのです。

 

ブロガーなどはバズると、しょっちゅう批判コメントが来ると思います。

 

その際、批判コメントについてどう感じたのか?をまとめている人もいますが、数としては少ないのではないか?と。

 

なので、僕がその役割を多少行い、ブロガーの方は僕と同じ立場になってもらい、同じ立場だったらどう感じるのか?を追体験して欲しいのです。

 

そして、皆さんに賢くなって欲しいと思います。

 

追体験をすると、こういう批判コメントは書かないようにしようという反面教師として使えるからです。

 

詳しく知りたい方は続きをお読みください。

 

 

1 批判コメントのスクショと僕の反応。

 

まず以下の記事を貼りますね。

 

この記事をちゃんと読んでから読むと、理解度が高まりますのでぜひ読んでください。

読書の効用「単に、読書している人を絶対視、尊敬するなという話」

 

 

そして、批判コメントのスクショを貼りますね。

 

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順番に批判コメントについて、僕の反応を書きます。

 

事例1 「ほっとけ、こっちゃあ只の活字中毒だ!!本の楽しみって読んで即展開でしょ?小説なんか読んでれば情景やキャラが脳裏に投影されるし。言葉自体概念なんだから概念の連なりの意味する事を反芻するのは当たり前」

 

僕の反応。この主張については僕はこう思いました。「小説派かぁ。僕はビジネス書や実用書の話を主にしているのだけどね。小説は娯楽だと書いたし。まぁ、要約やまとめる気はなく、ただ本を読むだけしたい人なんだろうなぁ。実力はそんなにつかないだろうけど、こっちもほっておこう」

 

事例2 「ビジネス書を読んでる人間を貶す記事かとお思いきや、本人がビジネス書を読んでる人間だった」

 

僕の反応。「立場論を言っている人だわ。中身については何も言及なし。議論する価値もない人だな」

 

立場論については以下の記事で。

 

「立場論を用いて議論をしようとする者の愚かさ」というタイトルです。

「権力・権威論」立場論を用いて議論をしようとする者の愚かさ

 

事例3 「とりあえずビジネス書は読書の冊数に含まない方がいいとは思う。この手の議論ならショーペンハウエルでも引用しとけばいいのにと思うのは私のセンスが古いんだろうな。」

 

僕の反応。「ビジネス書でも1、2割の良書だけが有用だけどねー。8、9割のすっかすっかの本なら、確かに冊数に含めない方がいいかも。ショーペンハウエルの引用もありだけどさ。まぁ、「情報収集だけで勝てるのか」の記事で思考力の大切さは述べている。まだ、まともな人の意見だな」

 

「情報収集だけで勝てるのか?」の記事は以下です。

情報収集術「情報収集だけで勝てるのか?」

 

事例4 「単に、読書している人を絶対視、尊敬するな”その通りだね。特にビジネス書ばかり読んでるようなのはバカしかいないw/ビジネス書以外を読んでも人文書を読まないと屑な差別・歴史修正主義者になる典型」

 

僕の反応。「ブラックジョークだw 皮肉を言ってきた。IQ高いのかもな。でも、教養バカだな。ビジネスには無知で興味のない典型例←同じく返すw 実際、この人のブログ読んだけど、教養派であり、ビジネスなんて世界とは無縁の人。そりゃ、ビジネス書の価値なんてわかるはずがないw」

 

事例5 「読書するのは趣味で娯楽なので結果として読解力が上がり教養が身についても自慢することはないし尊敬も不要だが、少なくとも「僕の記事を読むと〜気づくでしょう」みたいな痛い記事は書かなくて済んでるのは確か。」

 

僕の反応。「内容への批判はほぼなく、人格批判だわw これも立場論の人とほぼ同じ。しかも、些細なことへの人格批判。そして、この人の他のブログへのコメント、ざっと読んだけど、批判しかない。褒めるコメントほぼないw 

批判だけして、自分が偉くなった気分を味わいたいプライド高い人だな、おそらく。この人もおそらく教養バカだろうな。批判アカウントであり、僕だけでなく他の人にもやっている人。この人、こんなことして何が楽しいんだろうねw かわいそう」 

 

2 僕の意見。

 

僕はこのように、批判コメントを眺めました。

立場論些細な人格批判は、議論する価値まったくなし。

 

最初の小説派の人の主張はまったくの的外れだし。そもそも、小説を要約しようという人、少ないでしょ。話がズレてる。

 

ビジネス書をバカにしてきた人は、1、2割の良書があることを知らないだろうし、教養バカとみて、ほぼ間違いない。

 

僕のブログのタイトルも教養がついているけど(過去のブログタイトルです)、どちらかといったら、実用主義者です。以下の記事で書いています。

 

「「若いときに教養を学ぶのはバカ」という意見について思うこと。」というタイトルです。

教養って意味ありますか?「若いときに教養を学ぶのはバカ」という意見について思うこと。

 

僕の指す教養は、ビジネスの実践に活かせる知識も含んでおり、学問だけの教養じゃないしね。

1件だけ、比較的、まともなコメントついたけどね。

 

こう考えると、批判?コメントってほぼ相手にする必要ないですね。

 

ほぼ論破できそうですが、イチイチ相手にするのも面倒くさそうだし。

 

そして、僕は一部の一つの記事だけ読んで、僕を判断してほしくないと思い、全ての記事の最後に、「一部の記事だけで判断するのではなく、僕の「フィクサーによる日本の教育改革本」など、主要な記事を読んでから、反論なり意見を書き込んでください」と書き込もうかと思ったけど、やめました。

 

なぜかというと、こういう批判する人たちには「賢くなってほしくないから」

バカのままでいてほしいじゃないですか。

 

わざわざ、僕の有用な記事を読ませて、賢くなられたら困ります。

 

僕は、ちゃんとした読者だけに賢くなって欲しいからです。

 

こういうわざわざ悪意ある?批判コメントを寄こすような人は、「ずっとバカのまま」でいて欲しいのです。

 

だから、今後も、批判コメントが来ても、「ああ、またバカがやってきたわ。どうか、僕の他の記事を読んで賢くならないように」と祈ることにします。

 

まぁ、そもそも自覚がなさそうだから、僕の記事を仮に読んでも賢くならなそうですがw

 

母数が増えると、一定数、バカが湧くんですよねー。(これ、一部なのでしょうが、何という現象なのでしょうね)

 

最後に、賢明な読者だけに、賢くなってほしいですね

 

ではこの辺で。(3285文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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