どうも、武信です。(No500)
前回の記事が以下です。「人生はクソゲー」というタイトルです。
「人生はクソゲー」
続きです。
本質を洞察した記事です。
人生を好転させたい人は、ぜひお読みくださればと思います。
短く、サクッと読める内容です。
1 前置き。
以下の記事「人生はクソゲー」で、人生は不条理だらけでバグだらけのクソゲーであると喝破しました。
「人生はクソゲー」
そのような人生において、どのようなメンタルを持つと生きやすくなるのか?今回、考えてみたいと思います。
2 クソゲーな人生において上手く生きるメンタルの持ち方。
結論から言います。
クソゲーな人生において、上手く生きるメンタルの持ち方は「不幸を楽しむ精神」だと思います。
僕の事例で、詳しく解説していきますね。
僕は長年(20年以上)、搾取され、迫害され、地位もなく(裏社会の評判は知らない。影響力はある)、金もなく、彼女もいないなど、客観的に見たら、かなりの不幸という言葉がピッタリ当てはまります。
正直、今までの人生を総括すれば大敗北であり、いいことはほぼありませんでした。
ですが、この状態を僕は面白いと最近、思い始めました。
なぜなら、こんな人生送っている人、たぶん「世の中にほぼいない」ということに気づいたからです。
そして、普通の人なら、人生の途上で自殺か死んでいるだろうに、僕は生きています。
さらに、何も持っていないということは、失うモノがほぼないゼロ状態であり、何を言っても怖くなく、言いたい放題状態なわけであり、いわゆる無敵の人ということになります。
この状態とほとんどの人が辿っていない人生を考えると、僕の人生はひょっとしたら、けっこうレアであり、面白いのでは?と思い始めたのです。
ここまで迫害された人なんて世の中では少ないだろうし、無敵な人だし、人生はクソゲーだしなと、ある意味、達観したということです。
3 死後の世界。
さらに言えば、「このまま今の時点で死のうが別に、そこまで怖くない」という境地にまで達しました。
そもそもあまりいい人生じゃなかったわけだし、ここで死んでも「ああ、人生はクソゲーだったなぁ」ぐらいだし、そこまでして生きる意味ある人生ゲームなのか?としか思わないし、だからこそ、怖いものが減ったということを指します。
それに対して、たくさんのモノを持っており、いい体験を積み重ねた人ほど、人生に未練があるような気がします。
あと、終活をする人もいますが、確かに死後のことは他の人に迷惑をかけるので、ある程度の整理はしておいた方がいいと思います。(遺産相続でモメる人はよくいます)
また、よく死んだあとに「恥ずかしいモノが残っていると嫌だから、処分しておこう」と考える人がいますが、「死んだら、そんなの認知できない」と僕なら思います。
死んだら、おそらく無になるのだと推測できるので、「恥ずかしい」という気持ちすら持てないのでは?と。
つまり、終活をしてもいいですが、恥ずかしいモノを処分する必要性は薄いのです。
「そこまでして、自分の評判を守りたいのかなぁ」と僕なら思いますね。
4 要注意点。
しかし、不幸を楽しむ精神も大事ですし、死後が怖くない境地に至ることもある意味、大事ですが、ここで要注意点があります。
これはある意味の究極の開き直りであり、そうなると「どうでもいい精神」になりがちだということです。
これは「人生の成功確率をかなり下げる気の持ち方」です。
成功要因の一つとして諦めない力、やり抜く力「GRIT」があります。
以下の記事「エリートは「打たれ弱い」って本当?」でも書かれています。(消されたようです)
このGRITがあるかないかは、僕は気の持ち方だと思っています。
つまり、結果至上主義者や刹那主義者(今さえ良ければいい)は、GRITがないのではないか?と。
結果が出ないと、すぐにやめる人は、やり抜く力がないのはその通りでしょう。
対して、GRITがある人は「努力すること自体が素晴らしい」と考えている努力教の人だと思います。
「努力が報われるとは限らないとは知っていても、努力すれば成功確率が上がる」と心底信じており、努力すること自体に価値をおいて、頑張るタイプです。
プロセス主義者ともいえます。
以下の記事「目標なんかない人でも「結果を出す」たっ他1つの方法」でShinさんも書いています。(消されたようです)
Shinさん自体は目標も特になく、質の高いブログ記事を毎日、大量生産していたら、出版社の目にとまり、本を2冊出せたということです。
つまり、結果や目標を強く意識しなくても、頑張ること自体に価値を置く精神(質の高い記事を大量生産する努力)があれば結果が出てしまうこともあるということです。
僕の提唱する「不幸を楽しむ精神」は人によっては、刹那主義者(今さえよければいい)になってしまう可能性があるので、それは避けるべきです。
あくまで毎日、必死に努力をし続け、それによって報われなくてもその不幸を受け入れて、笑ってしまうぐらいになろうという意味です。
結果史上主義者は、それができません。
なぜなら、努力すれば報われると信じており、「こんなに努力したのに結果が出ない」と考え、「自分は不幸だ」と思うからです。
5 「複数の異なる思考枠を持っている?矛盾を抱えている人が強いワケ」の記事からの引用。
以下の記事「複数の異なる思考枠を持っている?矛盾を抱えている人が強いワケ」を貼ります。
http://news.livedoor.com/article/detail/15694544/
一部、引用します。
1 一見「矛盾」する2つの事柄を、同時に実行できる人は強いと筆者は語る。
2 矛盾を抱えることは、複数の異なる思考枠を持っているということだそう。
3 矛盾を経験することで、両者を満たす理想へのエネルギーを生み出せるそう。
「現実を受け入れる」と同時に「夢をまっすぐ見る」。
辛い経験をしたから、という過去の出来事が由来となって「人生っていうのはこんなもんだよ」と語る大人も、偏見を持って世界を見ているのと同じで、主観によって過去に焦点をあてた思考枠に捉われてしまい、他の思考枠で世界を見ることができなくなってしまっています。
略。
同じように、残酷な現実を直視しながら、世界を純粋にまっすぐ見渡すことは、大きなことを成し遂げるに値する大きな力となります。以上、ここまで。
この記事は、僕の書いた今回の記事に内容が似ています。
「矛盾する2つの精神を内包せよ」ということですからね。
「人生はクソゲーであると認識しつつも、努力自体に価値を置き、頑張らないと成功確率下がるよ」というのが今回の僕の記事の主張です。
矛盾する精神を併せ持つことはできるのですね。
ではこの辺で。(3142文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。