どうも、武信です。(No49)
皆さんはインプットとアウトプット、どっちが大事だと思いますか?
たぶん正解は車の両輪のように2つとも大事だ!となりますが、今回は究極の2択なので、どちらかを選ぶとしたら?という意味です。
今回の記事を書くきっかけとなったのが以下の記事です。
「インプットとアウトプットどっちが大事?」というタイトルです。
この著者の主張を要約してから、僕の主張を述べたいと思います。
インプットとアウトプットについてヒントを得たい方は続きをお読みください。
1 記事の要約。
以下、上記に挙げた記事の要約です。
「人が何かになれるのは何かを成した時だけ」だと言います。
で、インプットはアウトプットより簡単であり、楽です。
著者はアウトプットがきっかけで人生が変わったといいます。
自分がこういう人間だと思えるには他人からのフィードバック(反応)が必要です。
承認欲求は人間には必要でありますが、誰でもかまわずではありません。
さて、インプットには終わりがなく、勉強(インプット)してから行動しようでは遅すぎるので、どんなに拙くてもいいのでインプットとアウトプットを並行して始めようと言っています。(アウトプットが多めにぐらいがちょうどいいです) 以上、ここまで。
僕はこの記事を読んだ感想としては、まずタイトル(疑問)にちゃんと明確に答えていないという点が気にかかりました。
で、承認欲求の話になりましたが、これが関係ない方向に走り、あまり意味がなくなっています。
言っている主張にも斬新さがなく、単にアウトプットすれば人生が変わるきっかけとなるかもよ!と言っているに過ぎません。
辛い評価ですが、皆さんはどう感じたでしょうか?
2 僕の「インプット、アウトプット、どっちが大事?」論
ここからは僕の「インプットとアウトプット、どっちが大事?」論について書いていきます。
a 目的意識のある程度の明確化。
まず、目的をある程度は意識することです。
単なる「趣味目的」のアウトプットか、「仕事にまでする」アウトプットか?です。
もちろん、趣味目的で気軽に始めて、そのうちに仕事になるパターンもあると思いますが、趣味目的でやって質がかなり高まるとは僕は思えません。
ですが、仕事にまでしようという意識高い目的でやらなくても「自分の人生の向上目的」、つまり「知識の備忘録的な役割」で記事を書くのもありだと思います。
しかし、上記の記事の著者が言うように「気軽に始めてみて、徐々に負荷を上げていくのもあり」だとは思いますが、プロ意識がないまま続けているとどうしても記事の質が上がらず、読者からの評価も得られにくくなり、挫折する可能性もあると踏んでいます。
僕の場合、文章を書いた最初のきっかけは「小論文試験」のためであり、そこからはまって「企業の企画案」を書くようになり、そして「書評や要約」などを書き、他人、特にプロからの厳しい反応もないまま、拙い文章で長年、書いてきた経緯があります。
その後、プロのライターやいろいろな人からの指摘を受け、徐々に改善を加え、現在に至ります。
何が言いたいかというと、僕の場合も最初からプロを目指して書いていたわけじゃなく、きっかけがあり、企業に役立てたいや、自分に役立てたいなどの目的で書き続けてきて、ある程度書ける状態になったときに、人からの添削を受けたということです。
これが逆パターン、つまり、長年書いてこないうち、かなり拙いときに他人から厳しいチェックを受けていたら、嫌になって放棄していた可能性があります。
これは大学受験にも言えます。他人との比較ばかり気にしていて(順位や偏差値など)、なかなか成績が上がらなかったら嫌になるかもしれません。
そうではなくて「自分の向上だけに意識を向け、過去の自分より上達すれば良し」として、続けていく方が大事なのかもしれないということです。
まずは何となくでいいから、目的はある程度は明確化してもいいでしょう。またはプロ意識だと挫折するから、自分が過去よりうまくなっていくことだけにフォーカスして続けるのもありです。
b 型の重要性。
次に、やることは型を学ぶことです。
アウトプットの形式です。
1 タイトルや導入文。(読者に記事の続きを読ませられるか?が決まる)
2 本文。(タイトルへの答えや、中身。ここが拙いと、読者は今後、読まなくなる恐れがある)
3 結論・まとめ。(タイトルで問題提起したことについて、本文で答えを述べて、最後に結論をまとめたり、読者にどうやって人生に活かしてもらうべきか?を明確化して導く)
これが僕がやっている型です。(ちなみにタイトルや導入文は僕は基本的に下手ですが、本文には自信があり、読者の中には著者買いのように、僕の記事なら導入文はスルーして読んでくれる人もいると思っています)
こういう型は僕の場合は小論文で学んだのが大きく、有効です。文章の書き方がよくわからない人は大学受験の小論文を学んでみることをお勧めします。
c インプットが99%。
目的をある程度、明確化し、型を学んだ後は、インプットとアウトプットの段階に移ります。
僕のケースですが、最低5000冊以上はビジネス書などを読み、ブログ記事などでのアウトプットは新書50冊分もおそらくないと思われるので、変換率は1%未満なのです。
つまり、膨大なインプット(100)をして、アウトプットは1以下ということです。
ここから言えることは「質の高い記事を書くには膨大なインプットありき」という点です。
なぜ、そう言えるのか?説明します。
まず、膨大なインプットをしないと、自分の書いた内容に新規性がある程度あるのか分かりません。
つまり、先行調査であり、先行調査をして、既に書かれているか確認してから、今までに書かれていないことを書くからこそ、オリジナリティが出るわけです。
この先行調査の部分をあまりインプットしない人はすっ飛ばしてしまうのです。
だからこそ、膨大な読書をした人にはありふれた主張だなぁと思われてしまいます。(もちろん、ネットユーザー、特にライト層は大して読書していないので、そこまでのオリジナリティを追求しなくても新規性を感じてもらいやすい面はあります)
僕の場合、ありふれたテーマや内容や既知の情報であっても、キュレーション(情報の整理)で差別化しています。
情報をわかりやすく整理して示すと、人の発想を促す価値があるのです。
本当にオリジナルな発想を書くのはかなり茨の道であり、それを目指すなら、膨大なインプットが必須ですが、そこそこのインプットで済まして、差別化したいなら、キュレーションがお勧めです。
ビジネス書の著者で「自分はあまり本を読まない。なぜなら思考力が高いので補えるからだ」みたいなことを書いている著者がいましたが、その人の本は思考がかなり浅く、とても読むに値しない本でした。
いかに大量の読書で、既知と未知を把握してから書くのがオリジナリティでは大事かがわかろうものです。(思考力で差別化といいますが、そんな特殊能力がある人は稀なのです)
d インプットしすぎることの弊害。
ですが、ここで問題が起きます。
インプットの重要性はよく分かりましたと。
だけど、読書すればするほど、自分には独自性のある意見が書けないと思えてくると。
そういう人がいたのです。
先人のあまりにも質の高い成果物を読んだら、自分にはこんな文章は書けないと思えてきたのでしょう。
これはよくある現象であり、だからこそ、学者や作家などで生き残れるのは一部だけとなります。
そもそも学者はオリジナリティがあり、重要度の高い論文を書かなければ認められないですし、作家も他の著者と比べて独自性があり、質の高い本を出さなければ生き残りにくくなります。
だからこそ、「あの学者や作家のようにはなれない!」と多くの人が挫折し、その激しい競争で生き残った人だけがプロとして食っているのです。
これは普通のことなので、だからこそ、最初に目的をある程度、明確化したほうがいいですよと言ったのです。
「プロ並み」にやるのか、「趣味レベル」でやるのか、または「長く続けるつもりであってプロになれるかはわからないけど続ける目的」、さらに「自分の過去より上手くなるための目的」などです。
この目的が曖昧だと、書く行為は挫折すると思います。
なぜなら、コンテンツは世の中に溢れており、読まれる記事はひと握りの世界になってきており、そんな中で他人から評価されず、読んでもらえなかったら、続かなくなると思うからです。
また、インプットを大してせずに、書いている人は正直、「自己満足の人」だと僕なら思います。
なぜなら、先行調査を軽視しており、「自分は他の人より上手く、思いつかないような文章を書ける」と思っていると予測するからです。
他人との比較のやりすぎは良くないですが、まったく他人との比較をしなさすぎもよくありません。
まず、僕が思うのはある程度のビジネス書をいろいろなジャンルで最低でも100冊以上冊は読んだ方がいいという点です。
その100冊以上は「人気順」(定番本からライト系まで)、「難易度順」(学術書からライト系まで)、「幅広いジャンル」(政治、経済、経営、心理学、哲学など多数から選ぶ)などから選び、読み比べて比較するという行為をするのです。
この行為をせずに、アウトプットをすると、ビジネス書の相場を知らないことになり、「井の中の蛙」状態になります。
何事も「相場観」が重要です。自分の成果物はどれくらいの相場や立ち位置なのか?の把握です。
これを知ってから書けば、自分の読者層が見えてきます。(僕のブログは基本的に偏差値60以上が想定であり、なるべく広げたくて50〜60も視野に入れています)
想定読者層の話は以下の記事で。
e 結論。
ここで、タイトルへの答えを示します。
究極の2択ですが、インプットのほうが大事です。
理由は99%のインプットがあった上でのアウトプット1%だからです。
また、「井の中の蛙」状態を防げます。
弊害として、「書けなくなる症候群」に陥りますが、そこは「今は拙いけど、今後、成長するのだ!」と言い聞かせて書けば問題ないのでは?と思います。
ですが、こういう意見もあり、難しい面もあります。
「インプット100して、アウトプット1」の人より、「インプット10して、アウトプット1」のほうが変換率が高く、コスパが良いので、無駄に読書しなくていいのでは?という主張です。
もし定着率の話をしているのなら、後者のほうがコスパが良いですが、「なんとなくうろ覚えでもいい」状態まで話を広げるなら、前者の人の方が膨大な知識のシャワーを浴びているので、視野が広くなり、意思決定に影響を与えていると推測できます。
定着率の話なら、意味があるのは後者であり、確実に知識として使えるようにしている試験で成果を出せる人は後者です。
しかし、仕事やビジネスでは意思決定も重要な要素なので、視野を広げるためなら、前者の人の価値も高いと思います。(いわゆる、暗黙知状態の人であり、ちゃんと言語化やアウトプット化までは至らなくても、膨大な知識が眠っている人なのです。人に何かの話をされたら、「たいてい、それ聞いたことある、知っている」という状態の人です)
今回の話を参考にして、インプット・アウトプット作業に励んでもらえたらと思います。
ではこの辺で。(5059文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。