有料級!完全実力社会・事実の世界とは?「コロナは政治家に忖度しない!株式市場も偉い人に忖度しない!「コロナ罹りにくい説」の決定版記事付き」

どうも、武信です。(No868)

今回は、「完全実力社会・事実の世界」について詳しく述べていきたいと思います。

タイトルに、「コロナは政治家に忖度しない!株式市場も偉い人に忖度しない!」というキーワードが並んでおり、これらから内容が推測できた人もいるでしょう。

あなたの推測が当たったか?は記事を読んで確かめてください。

興味があれば、続きをどうぞ。

1 完全実力社会とは何か?

「完全実力社会」とは、僕の造語ですが、いわゆる、将棋や囲碁などの頭脳競技、テニスなどのスポーツ全般の世界のことです。

つまり、「実力があり、強い奴が勝つ」という世界のことです。

もちろん、運の要素があるジャンルもあります。

麻雀は運の要素があります。

スポーツも基本的には「実力者が勝つ、順当通りの結果」になりますが、対戦相手の組み合わせなどで、運の要素が絡んできます。

しかし、将棋は運の要素がまったくなく、完全に「どちらの読みが深いか?」の完全実力社会です。

逆に、TVや政治の世界は、コネ社会であり、実力者だけが起用・出世するわけではなく、偽物がゴロゴロいます。

地位だけが高く、権力ばかり余分になり、「地位と権力と実力が見合っていない人達が多い」ということです。

なぜなら、TVや政治の世界は、実力でのし上がるのではなく、コネもかなり関係するからです。

さらに言うと、目立つ世界なので、容姿がかなり重要になり、余計に実力社会とは遠くなります。

2 事実の世界とは?

次に、「事実の世界」を伝えます。

「事実の世界」とは、論文や株式市場の世界になります。

論文は世界の事実を書けば、それは未来で反証されることもなく、長い間、残ります。

科学的根拠がいわゆる「事実の世界・表現」であり、論文は「科学的根拠あってこそ」です。

科学者や研究者や学者たちは、事実を求めて、論文を書きます。(真実と書きたいところですが、事実と真実って意味合いが違うと思うので、事実で統一します)

また、論文とは「世間に知られている当たり前のこと」を書くのではなく、「ほとんどの人がまだ気づいていない事実をあぶり出す抽出物」だとも言えます。

次に、株式市場の世界も、参加者は金を賭けて、投資をします。

そして、予測が外れると、持ち金を失います。

いくら、「自分の自説」を推し進めようとしても、株式市場の事実に逆らえば、金を失うので、「自分のポジション・自説」を容易に変えます。

これは、実は「完全実力社会の将棋の世界」にも言えることであり、いくら「自分がこの読み・手が正しい」と思っても、それを上回る読みの手があれば、それが事実であり、負けてしまうのです。

ここから、タイトルの話に繋がります。

3 タイトルの意味。

つまり、「刻々と状況が変わるコロナ問題」は、政治家にまったく忖度しません。

普段は、高い地位と権力で守られている政治家も、コロナという事実には、事実に応じて対処しないと、効果を発揮しないのです。

なので、今の自民党の政治家は失策が多いのです。(アベノマスクはサイズが小さいので、子供なら使えますが、大人にはまったく使い物になりません。他にも、コロコロと政策が変わります)

つまり、「高い地位と権力に見合った、真の実力者じゃない政治家」が、指揮をしており、そしてコロナはまったく忖度しないので、事実の世界で敗北するのです。

こういうときは、普段から、「完全実力主義社会や、事実の世界」で戦ってきて、成果を挙げた人が強いです。

彼らの勝率や予測力は高く、地位や権力とは関係なく、真の実力者だけが勝ち、生き残ります。

また、株式市場も真の実力者だけが長期的に勝ち、そこには地位も立場も関係ありません。

偉い人だからといって、株式市場が彼らに忖度してくれるわけもなく、予測が外れれば、金を失うだけのことです。

僕は前から思っていたのですが、やはり、真の実力(定義が難しいですが)を身につけるのが一番の重要事だと思います。

TVや政治の世界では、真の実力がなくても、「コネやゴリ押しなど」で活躍できるかもしれませんが、「完全実力社会と事実の世界」では太刀打ちできません。

ここまでで、結論が出てしまいましたが、補足として、「ファンサービスとコンテンツサービス」「誰が言うのか、に皆、気を取られすぎ」について述べます。

4 補足(ファンサービスとコンテンツサービス)

ファンサービスとは、芸能界が代表例ですかね。

「その人のコンテンツ」(提供するモノや情報など)より、「その人そのもの」(外見や人格含む)に金を払うのがファンです。

ホリエモンはある意味、ファンサービスもやっています。

以下の記事に詳しいです。

ファンビジネスについて「ホリエモンのビジネス」

対して、「コンテンツサービス」のユーザーは、人格や外見じゃなく、提供するモノや情報などに価値を感じ、金を支払います。

ニコニコ動画のDaiGoは典型例です。

DaiGoのファン(外見や人格に惚れ込む)もいるでしょうが、少数派でしょう。

さらに、「ファンサービスとコンテンツサービスの中間型」も存在します。

ミュージシャンが典型例でしょう。

ミュージシャンは、ファンサービスでもあり(ファンクラブもある)、外見が好まれることもありますし、かといって曲だけが好まれることもあります。

ASKAさんが逮捕されても、曲を聞き続け、カラオケで歌う人はけっこういるでしょう。(僕も、チャゲ&ASKAをよく歌います)

小室哲哉さんは2020年7月16日に復帰すると発表されましたが、イメージはボロボロです。

いろいろと女性問題や金銭トラブルを起こしてきたからですが、それでも曲は好きだ!という人は多いです。(僕も小室さんの曲を今でも聴いています)

芸術作品は、小説、マンガ、映画、ドラマ、ゲームなどたくさんあります。

小説は作家性はそこまで全面的に出てこなく、小説で評価されることが多いです。(コンテンツサービス寄り)

マンガ家も、映画も、ドラマも似ています。(原作者や製作者などは表に出てこないですし、映画やドラマは俳優や女優が注目されます)

しかし、俳優や女優やミュージシャンが不祥事を起こすと、TVで放送カットになり、週刊紙でも叩かれます。

俳優や女優はファンサービスでもあり、ミュージシャンは中間型なので、叩かれるのでしょうかね。

ちなみに、僕は「会いたい有名人・芸能人」ってほんとどいないんですよ。

なぜだと思いますか?

ファン要素(人格や外見など)より、コンテンツ要素(作品や情報やサービスなど)に興味が強いからです。

もちろん、結婚相手を選ぶ場合は、人格・性格・外見はある程度、選びますよ。(好きな人のことは興味津々です)

で、女性限定ですが、やはり外見がいい人には「会ってみたい」という気持ちはありますが、高額を払ってまで会いたいとは思いません。

僕の興味は、相手のコンテンツであり、例えば、将棋の藤井聡太7新棋聖にも、別に会いたいとは思いません。

ただ、藤井くんの「将棋頭脳・棋譜」にかなり興味があり、それを楽しみたいですし、見届けたいのです。

テニスのフェデラー選手にも別にそこまで会いたいとは思わず、「彼の芸術的なプレー」に興味があり、人柄などはあまり興味ありません。

フェデラー選手の「超人的なプレーと運動神経」に興味があり、それを間近で見れるなら、「新鮮さを感じるなぁ」と思います。

僕は普通と違い、変わり者であり、大半の人は凄い人の人格や外見などの「ファン要素」に惹かれ、会いたいと思い、コンテンツはそれよりも低い位置にあると思われるのですが、僕は真逆です。

そんなに会いたい人っていますかね?

男なら、「外見のいい女性」に会いたいのはよく分かりますが。

僕は正直、「権力者も地位の高い人」にも、そこまで興味がなく、しかもコンテンツ力が低いと判明したら、顔に出てしまうかもしれないので、会いたくないかもです。

肩書が立派で凄い人なのに、「それに見合う実力がない人」だと分かったら、幻滅でしょうが、まぁTVや政治の世界は「完全実力社会」じゃないので、想定内ですね。

また、人にそこまで会う必要がない理由は、以下のマコなり社長の動画でもよく理解できるかと思います。

人気者が「ぼっち」に勝てない理由

5 補足(誰が言うのか?に皆、気を取られずぎ)

僕は思うのですが、ほとんどの人は「誰が言うのか」に気を取られすぎだと思うんですよね。

中身や論理で、理解しようとする人の少なさといったら。。。

週刊現代のような週刊紙は、「売れるために敢えて誇張して書く」という側面はありますが、もう「週刊紙はそれだけの存在だ!」と最初から決めつけて、中身をまったく見ない・信用しない人がいます。

僕は「それは違うのではないか?」と思い、週刊現代のような週刊紙でも、一応、中身は読んで、検証します。

東大の高学歴が言ったから、「正しいことを言っているはずだ」と盲目的に信じるのではなく、一応、中身も確かめて、検証する姿勢が欲しいですよね。

本を選ぶ際、または本の主張する正しさを信じる際に、「著者のプロフィール」をかなり調べる人がいますが、僕はそれをせず、「本の中身だけ」でなるべく判断しようとします。

こういう風に「中身だけ」でなるべく判断しようとするからこそ、「肩書や権威に左右されない思考の持ち主」になれるのです。

最初から、肩書などで色眼鏡で判断したら、中身で判断する勘が鈍ります。

「完全実力社会や事実の世界」では、なるべく「誰が言ったか」より、「中身で判断する」姿勢、「なるべく中身で検証する姿勢」が大事だと思います。

もちろん、「正しいことを言う確率が高い、精度の高い、的中率の高い人」も存在して、そういう人の主張は採用したほうが的中率は高いでしょうが、毎回、念のため、自分の頭で考え、疑う姿勢は大事です。

的中率が高いといっても、7割ぐらいなら、3割は間違えるわけです。

また、週刊紙だから、頭から決めつけて「部数・売上のために嘘しか書かない」と思うと、「コロナ罹りにくい説」の真偽を確かめようとすら思わないでしょう。

僕はこの説を確かめようとして、週刊現代や永江一石氏の主張にも一理あると思い、読んできました。

そしたら、以下の「コロナ罹りにくい説」の決定版の記事が出ました。

https://toyokeizai.net/articles/-/363402

新型コロナ、日本で重症化率・死亡率が低いワケ

高橋泰教授が「感染7段階モデル」で見える化

こう書くと、必ず、「高橋泰教授って誰?大したことない人なんじゃない?」と「誰が言うのか?」論者は突っ込んできます。

週刊現代のときも、週刊紙だからという理由で、ケチをつけたのと同じ構図になるわけです。

国際医療大学福祉大学の高橋泰教授は、医学部だとしたら偏差値69の大学です。

経歴は、金沢大学医学部卒、東大病院研修医、東京大学大学院医学系研究科修了(医学博士(医療情報))、米国スタンフォード大学、ハーバード大学に留学後、1997年より国際医療福祉大学教授です。

医学博士ではありますが、専門分野は「医療経営・高齢者の機能衰退・医療制度」です。

専門分野は違いますが、まったくのド素人が言っているわけではなく、一応、医学博士であり、まったくのデタラメの主張ではないのではないでしょうか?

こういう人が、「コロナ罹りにくい説」を検証し始めて、仮説を立てているのです。

僕は、週刊紙といえども、頭から決めつけて「嘘」だと思わず、事実を追求し、それに「医学博士がお墨付きを与えた」という形になります。

もちろん、まだ仮説ですし、事実かどうか不明ですが、まったくのデタラメとは言えないでしょう。(ありうる仮説ということです)

権威や肩書だけで判断する人の欠点はここにあり、中身でまったく見ようとしないのです。

また、僕の教育改革や経営・企画などの主張にせよ、仮説を作ったり、議論の叩き台としての役割を果たすのは、「まったく何も言わない人よりははるかに貢献している」という持論があります。

で、欧米と日本の死者数の明らかな違いにより、感染症の専門家といえども、仮説を提示しておらず、たとえ専門分野ない人でも、仮説を作って、明らかにできないか?という姿勢は歓迎すべきなのでは?と思ったのです。

一つの仮説に過ぎませんが、まったく仮説を作らず、何も意見を言わない専門家なら、その人は価値があるのかな?とも思います。

「コロナ罹りにくい説」も一応、医学博士の仮説であり、まったくのデタラメじゃないと感じます。

ですが、今後の検証が待たれるでしょう。

「仮説を立てる、競う」のはいい傾向なんじゃないでしょうか?

これを全否定して、「専門家じゃないから、仮説すら述べるな!」というのも、視野が狭いですし、今後の発展を止める気がします。

そこまでの専門じゃない人から、つまり異分野からの意見も参考・気づきのきっかけとなることも多いのですけどね。(まぁこれは経営の話ですが)

こう書いたら、以下の反論が来ました。

社会科学とは違い、自然科学は「誰が言うのか」がかなり重要であり、医学博士は免許のような存在とのこと。

専門分野(この場合は感染症)をやったことがない人の自然科学分野での主張は見当はずれになるとのこと。

山中教授のサイトは専門家から聞き取りを行い、まとめたものであり、さらに山中教授はiPS細胞が専門であり、生物であり、感染症とはそこまでかけ離れていないとのこと。(高橋泰教授は専門分野で感染症がまったくない)

結論として、「経歴をチェックしよう!」と言われました。

僕はそこまで「誰が言うのか」に固執しないので、明確に価値観がズレているなぁという感覚です。

まぁ、経営は、実践であり、戦争とも似ており、勝つためには「あらゆるモノを利用する」ので、そういう思考が僕の「誰が言うのか」という専門性を軽視させてきた面はあるかもしれません。

つまり、経営で言えば「役立つ、参考になると思えば、何でもなるべく取り入れて試す」という思考回路が僕にはあります。

ビジネス書でも、ガチガチの専門家で正しい意見のみ取り入れるのではなく、僕の感覚で「参考になりそうなら、試してみる」ということになります。

ある意味、経営やコミュ力の世界は、「研究を待っていたら遅い」という側面もあり、「筋のよい仮説があったら試した者勝ち」の側面があり、「スピード勝負」なのです。

こういう経営・ビジネス視点の僕と、自然科学の視点では異質で、交わらない世界なのかもしれません。

最後に、この記事を、時間を正確に測りながら、書きました。

結果は、100分であり、1時間40分でした。

このレベルのエッセイみたいな記事で、約6000文字なら、約1時間半で書けるのですね。。。

ではこの辺で。(6436文字)

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・Youtube動画などを基にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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