資本主義の限界「勝ち負けにこだわり、「何かの能力を持つことが良いこととされるゲーム」を礼賛することが、個人のしんどさを助長するのか?」

  • 2020年2月4日
  • 2020年12月28日
  • 思想
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どうも、武信です。(No614)

 

2017年の記事です。

 

資本主義の限界について書き、日本の未来のあり方についても述べていきます。

 

「勝ち負けにこだわって、何かの能力を持つことが良いとされるゲーム」とは資本主義ですが、これを礼賛することが、個人のしんどさを助長するという記事があり、資本主義を否定している感を受けました。

 

その主張について、僕が思ったことを書いています。

 

興味がある人は、続きをお読みください。

 

1 記事の要約。

 

まず、以下の記事をお読みください。

 

「人が「病む」のは、属している組織が「病んでいる」から」というタイトルです。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52980

 

簡単に要約します。

 

「個人が病む、精神障害などになる」のは組織が原因です。

 

「個人が自力で変えられる部分と、変えられない部分を知って共有する」ことが大事だと書かれています。

 

「依存先を増やせ」という意見でありますが、「個人の自己責任で、依存先を増やせ」という意味で、著者は言ったわけではありませんでした。

 

「組織や国や会社が、自力で頑張れるところは頑張らせ、頼っていいときは頼らせる仕組みを作るべき」という意見が本当の主張でした。

 

今の世の中は勝ち負けにこだわり、「何かの能力を持つことが良いこととされるゲーム」が礼賛されていると言います。

 

そして、それが、個人のしんどさを助長するというのです。

 

依存症に陥る人はむしろ、自立心が強いという研究結果がありました。

 

つまり、「頼りたくない、または頼ってはいけない」と思いがちな人ほど、依存症になりやすいということです。

 

依存症とは、覚醒剤などにはまることも指します。

 

つまり、「頼ってはいけない、自力で頑張らなければ」と思っていますが、個人の能力は限界があるので、薬に手を出してしまうのです。

 

これから、高齢化社会がやってきて、自分や親が認知症になって、精神病院に入院するのか、それとも地域社会で暮らし続けられるのか?という問いをマジョリティ(多数派)が突きつけられると言います。

 

弱者の論理(障害者や弱い者など)が多数派になるかもしれない社会が訪れ、初めて、人の痛みや努力の限界などがわかってくるということかもしれません。

 

強者は弱者のことなど、今まで把握できていませんでしたから。

 

でも、人間にはできることとできないことがあり、それらの狭間で悩むわけです。

 

外からの規範(勝者になれなど)に従いつつも、無理なことは無理と言えることが重要なのかと。

 

また、女性の働きにくさ、育児の困難、男性の生きづらさを自己責任にせず、社会が変われと言えることも大事かもしれません。 以上、ここまで。 

 

2 僕の記事2つ。

 

僕は以下の記事で、「勝者の思想が多数派でなくなったら、国や組織が傾く」と言っています。

 

また、「多様性(弱者の思想なども含む)が認められているのも、勝者がいるからであり、余裕があるから」だとも言っています。

 

理解力とは?シリーズ「理解力こそが人生を左右するスキルである」PART5

理解力とは?シリーズ「理解力こそが人生を左右するスキルである」PART5

 

自分の主張を変えるつもりはありませんが、世の中、特に、日本はこれから、ますます苦境に陥る予感がします。

 

だからこそ、余裕があるうちに、「勝者を増やす必要がある」と言いたいです。

 

さらに、以下の記事でも書きましたが、異能は認め、伸ばし、後で税金で調整すればいいのです。

 

勝者の支えがなければ、弱者も支えきれません。

 

それこそ、安楽死を認める法律が将来、可決される可能性が出てきます。

 

なぜなら、勝者が減り、国が破綻すれば、弱者はまっさきに排除されるからです。

 

「フィクサーによる日本の教育改革本6 第6章 上」 PART1

2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本6 第6章 上」PART1

 

そう考えたら、弱者というか、頑張らない思考を認めるわけにはいきません。

 

なるべく勝者(最大限、頑張る層)を作らなければ、国も組織も回らず、弱者は支えられません。

 

余裕があるうちに、取れる政策は取るべきであり、だからこそ僕はいろいろな本を書いたわけです。

 

勝者の思考を広めることは弱者のためでもあるのです。そうじゃないと、国が持たないのです。

 

3 僕の意見。

 

そう考えると、いかに多様性確保という視点で、人文科学や哲学など有用性が低い人達を残しているのが贅沢品かわかろうものです。

 

国が切羽詰まりそうな予感がしているのに、その人達は相変わらず、危機感もなく、有用性が低いことをしているからです。

 

優先順位の違いであり、余裕があるうちは人文科学や哲学など多様性を確保するのは、別にいいのです。

 

というわけで、「勝ち負けにこだわり、「何かの能力を持つことが良いこととされるゲーム」を礼賛することが、個人のしんどさを助長するのか?」というタイトルの問いには、勝ち負けにこだわる事自体は悪くないし、勝者を増やさなければ弱者も困りますから、個人のしんどさとか言っている場合ではないのでは?と返したいと思います。

 

皆、しんどいのです。

資本主義が「無限の成長の拡大を目指すゲーム」だからです。

 

無限の終わりのない競争です。

 

かといって、今のところ、資本主義に取って代わる思想もありません。

 

勝敗をつけつつも、セーフティネットをきちんと整備することぐらいしかできないでしょう。

 

勝ち負けにこだわったり、何かの能力を持つことが良いこととされるのが資本主義のゲームの鉄則であり、それは確かにしんどいですが、資本主義を否定するのは難しいのです。

 

究極の将来には物質的な豊かさが安定して満たされて、競争から解放される時代が来るかもしれませんが、今のところは何かの能力を身につける勝敗のゲームに参加しないといけないのですね。

 

セーフティネットが整備できるだけでも豊かな社会です。

 

本当に弱い国になったら、それすらできなくなるのですから。

 

ではこの辺で。(2797文字) 

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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