どうも、武信です。(No295)
今回のテーマは「人間は、皆、見ている世界が違う」です。
理解力シリーズ第5弾の記事です。
理解力とは最近、新井紀子さんの本「AI VS 教科書が読めない子どもたち」で注目を集めています。
理解力・読解力がない、「教科書がそもそも読めない」から、学力などを含めた人材育成でつまずているという問題テーマです。
これは今後の注目トピックだと思います。
理解力をテーマにシリーズでお伝えしていきます。
詳しく知りたい人は続きをお読みください。
シリーズの目次
1 見えている人には見えている世界がある
2 世の中は変な人で成り立っている。
3 何を重要だと思うかの視点は人それぞれ違う。
4 何を重要だと思うかの視点は人それぞれ違う2
5 人間は、皆、見ている世界が違う
6 人間は皆、見ている世界が違う2
7 新井紀子さんの主張。
8 経営コンサルタントShinさんの主張。
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1 「人間は皆、見ている世界が違う」バッググラウンド理論。
「人間は、皆、見ている世界が違う」というタイトルで、論じたいと思います。
この概念こそが、「僕たちが一番、理解しなければいけないモノ」だと感じます。
人間は「前提知識、経歴や様々な体験、理解力や情報処理速度や認知特性などの思考や感覚器官などの影響など(これを簡単に、以後、バックグラウンドと書きます)から、言わば、皆が独自のサングラス(色眼鏡)をかけて世の中を見ている」ことになります。
人間のバッグラウンドは全部、違いますから、同じ現象、同じ本、同じ出来事や事件、同じニュースを見ても、感じ方が違います。
だからこそ、皆が、分かり合えないわけです。
似たバッグラウンドがあれば、同じ思想を持つことになり、「ああ、その考え、分かる」と理解し合えますが、バックグラウンドが違うと、「よく分からない。または僕とは思想や意見が違う。果ては拒否、拒絶し、攻撃するか、改心させよう」となります。
人類のバックグラウンドが皆、異なるからこそ、それを理解しようという姿勢が大事なのです。
しかし、理解するのと受け入れるのは違います。
理解するとは、「そういう考えもあるね」と存在を認めることであり、受け入れるとは「僕もその考えに賛成だ」となります。
2 勝ち組になるための絶対的な価値観がある。
ですが、ここからが難しいのですが、世の中、勝ち組、勝者になるには、「ある一定の思想や手法」があります。
そして、その「勝者への思想」を日本という国や国民の大多数が持たないと、国が傾くのです。
多様性とは、「勝ち組で、余裕のある国や企業だけが許容でき、存在を支えることができる贅沢なもの」なのです。
日本が沈没し始めたら、多様性を認めようなどの余裕はなくなります。
そして、僕は日本という国に「勝ち組になってほしい」ので、たくさんの著書を書いたわけです。
なぜ、僕が人文科学系を軽視しているかというと、「贅沢な存在」だからです。
そして、日本がまだ勝ち組であり、余裕があるから、人文科学の存在が認められる多様性が残されているのです。
本当に余裕がなくなったら、真っ先に削除対象とされて、理系という技術に投資が集中するでしょう。
3 哲学や幸福などを考えている人達は戦力ダウンの存在。
哲学をやっている人は、考えることも無意味なことばかり考えていますが、ある意味、贅沢な人達なのです。
「幸福とは?」とかそんなことばかり考えてないで、目の前の仕事や夢や目標などに向かって頑張ればいいのでは?と、僕なら思います。
僕は何かの夢や目標に向かって、邁進しているプロセスが貴重であり、大事だと思っているわけですし、もちろん、勝者にならなければ排除される世の中ですから、勝つことも大事です。
そんな勝つことや頑張るプロセスの最中に、「これ、やっていて意味あるのですか?」や「これ幸せなのかな?」とか考える人がいると、戦力ダウンなわけです。
「結局、何かの目的のための手段をずっとやっていて意味があるのか?」という人もいますが、そんなことを言っていたら、まず勝ち組になれません。
4 日本の成功の成功王道パターンと幸せ追求は脱落への道という話。
日本の成功の一つの王道パターン、「いい会社に入るためにいい大学に入る」←「いい大学に入るためにいい高校、中学に入る」というプロセスを踏みます。
それが「目的のための手段なら意味があるのか?」と言う人がいますが、もし仮に自分の幸せを重要視しすぎて、青春を大事しようとなって、高校時代、頑張らず、銘柄大学にも行けず、いい会社に入れなかったら、待っているのはブラックの中小企業です。
起業などで、逆転可能なこともありますが、それこそ成功確率が大幅に下がります。
つまり、幸せを重要視しようと思いすぎることは、勝者のラットゲーム(あえて言います)から降りることであり、ある意味、かなりの苦痛が待っているかもしれないのです。
それを踏まえたうえで、「幸せを大事にしたい」という贅沢な選択肢を考えるべきです。
5 経営の話と野球の話とそもそもの話。
経営の場合、「この事業はそもそもやる意味があるのか?」という問いは意味があります。
利益が出なかったり、価値がない商品やサービスなら、やる意味がないですから。
でも、野球で「そもそも、野球をやる意味があるのか?」や、人生で「そもそも生きる意味があるのか?」と問うのは意味がないです。
野球なら、「だったら野球をやるな!」と怒られますし、人生なら、「そんな暇なこと考えているんだね」と言われる始末でしょう。
「そもそも生きる意味があるのか?」は、「そもそも、幸福とは何か?」という問いとも近いです。
野球なら、「野球をやって幸福なのか?」という問いですから。
初代ガンダムでも、主人公のアムロが「戦っている意味が分からない」と言って、ブライトさんが「今は、そんな哲学を語っている暇はない。生き延びるために、皆、必死なんだ」と諭していました。
6 崖っぷちの人は余裕や暇人とは違う。
どうでしょうか?
「幸福とは?」や「自分が幸せになるために、何をやるべきなのか?」とか考えている人は、余裕があるから、暇だから考えているわけです。
本当に崖っぷちに追い込まれた経営危機の企業にいたり、社長の立場だったら、そんな幸せについて語っている暇はないのです。
正直、哲学を語っている人って、暇人か、よほど贅沢な立場にいる人なのだなと僕は思います。
僕は日本が沈没しないように、必死に勝ち組になるための手法やアイデアを考え、整理したりしているときに、「幸福になるにはどうしたらいいですか?」とか語る意味のないことについて、語っている人を見ると、よほどの暇人か、贅沢な人なのだなと思うのです。
僕は経済学では、財政問題などを最近、書いているわけですが、これは日本の財政がどういう状態なのか知りたかったから、僕が調べ、アウトプット(引用が多いですが)したわけです。
こういう語るに値するテーマで語り、日本を良くしようや生き延びよう、または、勝ち組になろうという議論やプロセスに意味があると思います。
僕の語るテーマで、あまり意味のない哲学的なことは書いてないと思います。
7 今回の話を重要だと認識できるかどうか。
話が大幅に逸れました。
今回のテーマは語るに値しない話だと思いますか?
そう思う人は、「洞察力が低い」と僕なら思います。
なぜなら、「人間は、皆、見ている世界が違う」ということを心底理解していれば、他人に説明したり、説得するときに大いに役立つからです。
言わば、生きた智恵です。
「この人はどんなサングラス(色眼鏡)をかけて世の中を見たり、僕や人間を見ているのか?」を知ることができれば、説明したり、説得する際に、表現方法を工夫することができます。
そして、あまりにもバッググラウンドが違いすぎる相手に対しては、理解する程度に収めます。
「受け入れる」ことはしません。
特に、勝者になるための手法じゃない場合は、です。
8 勝者の思考、価値観と多様性の話。
民間は必死に戦って、生き残りを模索しており、そこには勝者になろうと日々、手法を研究しており、そのための手法に反対したり、受け入れない人は、企業にとっては要りません
この世の中は、多様性とか表現の自由とか言われていますが、実際には、勝者とは相容れない思想や思考は排除されやすいのです。
多様性が認められるのも、国や企業に余裕があるときだけですから。
で、ですね。
その人のサングラスが勝者と相容れない場合、密かに排除するのが、権力者や企業の人達です。
そりゃそうです。「負け組思想、思考の人材」は仲間に入れたくないですから。
こういう考えを持ったうえで、世の中を見ているかどうかで大いに差がつきます。
自分のサングラスが曇っていないかどうか、確認するのは大事です。
9 結論。
「人それぞれ」という概念は、主観の世界(芸術や趣味や食べ物など)では認められますが、ビジネスや国の世界では「人それぞれ」ではなく、「勝者の思考・価値観」に密かになっています。
厳しい表現になったかもしれませんが、自分の幸福を考えたり、趣味に没頭できる余裕がある人は幸せな人です。
戦場で日々、戦っているビジネスマンはその余裕がなくなっていますからね。
特に大リーガーなど一流の戦場では。厳しい戦いが繰り広げられており、「戦う意味」など問うていたら、負けます。
「戦うしかない、勝つしかない、じゃなければ生き残れない」のです。
ではこの辺で。(4298文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。