どうも、武信です。(No891)
皆さんは、子供の頃は、「大人って、すごいんだろうなぁ」と思っていたことはありませんでしたか?
子供の頃は、まだ知識も少なく、幼く、世の中のことも熟知していませんから、「TVがすごいと思ったり、芸能人に憧れたり、大人もすごい」と思っていたのではないでしょうか?
または、「大人には従わないといけない存在だ!」とも思っていませんでしたか?
僕は、恥ずかしながら、20代でも、まだ「TVはすごい!」「芸能人はすごい!」と思い込む、または「期待されている」と勝手に思い込み、長年、騙され続けました。
今は、まったく、人間も、大人も「大したことない存在だ」と思っています。
こういう風に思った経緯を書きたいと思います。
詳しく知りたい方は続きをお読みください。
1 大人はすごくない。
まず、僕の年齢になると、世の中のことがかなり分かるようになり、同世代にせよ、スカイプちゃんねるにせよ、いろいろな人に接していて、気づくことがあります。
その結果、「大人って案外、ぜんぜんすごくない」、と実感しています。
特に、「尊敬できるような大人はほとんどいない」と思った方がいいです。
もちろん、僕の周りの人が該当するだけかもしれませんが、僕の関っている人が仮に日本人の平均としても、「まったく大したことない」と思います。
凄い人に囲まれている、かなりの例外の人達なら、「大人でも凄い人、いるよ!」と言うでしょうが、それこそ、外れ値です。
2 TV局も芸能人もすごくない。
次に、TV局もすごくありません。
僕は、20代の頃は「TV局は凄いんだろうなぁ」と漠然と思っていました。
確かに、権力はありますが「電波利権に守られたハリボテの権力」に過ぎません。
TV局の不祥事は最近、かなり多いです。
2020年1月10日には、5GhzのWiFiの電波のことを、5G(ファイブジー)と間違えて、フジテレビが報道したと、ツイッターに流れてきました。
いやー、さすがにこの間違いは致命的で、「IT音痴すぎでしょ?」と思いました。
以下の記事に書かれています。
https://togetter.com/li/1453585
「フジテレビの番組がWi-Fiの5Ghz帯を使っている状況を「日本導入予定の5Gが導入されている」と放送し見ていた人たちが盛大にツッコミ」というタイトルです。
さらに、僕は20代の頃は「芸能人はすごい人だ」と思っていました。
ですが、芸能人は「TV局の犬や、単なる広告塔やコマ」に過ぎず、「そこまですごくない」と今では思っています。
芸能人の多くは「作られた存在」なのです。
僕が「TV局や芸能人をすごい」と思っていた理由として、おそらく、子供の頃から、「TVに流れていたフィクション(アニメや映画など多数)を見すぎていたこと」が挙げられます。
または、少年ジャンプやマガジンなどのフィクション(漫画)も該当するでしょう。
フィクションに出てくる登場人物って、すごい人達が多いですよね?
平凡な人物はあまり取り上げられません。
そして、こういう特別な、作り上げられ、完璧そうなヒーローやヒロインが出すぎているアニメや映画や漫画に触れすぎたため、僕の感覚が狂っていたのだと思われます。
当然、そういうフィクションを垂れ流しているTV局、さらにはそのTV局に出演している芸能人もイコールと結びつけて、すごいと思い込んでいたのです。
ですが、所詮は「フィクションであり、創作物であり、作られたモノ」に過ぎません。
「作られたモノ」ということは、現実とは乖離しているわけです。
現実世界には「フィクションに出てくるような完璧な人なんて、ほとんどいない」のです。
また、芸能人が出ているTV番組(バラエティにせよ)も、あれも、やらせというか、操作が行われており、素の実力や姿が映し出されているわけではありません。(台本があったり、過剰演出があったりするのです)
こうして、「作られた世界」にどっぷりはまり、僕の現実感覚はおかしくなりました。
もちろん、フィクションに触れることで、「人間の行動パターンの基本原則みたいなもの」は知ることができますが、それはあくまで「基本パターン」であり、「現実の人間はもっと多様であり、完璧じゃない人だらけだ」と知る必要がありました。
僕のコミュ力が上がった要因として「現実の人間と、スカイプちゃんねるなどで多く、しかも深く接したこと」が挙げられます。
こうして、現実の人間を観察したり、深く分析することで、ようやくフィクションと現実とのズレを認識し始め、現実に通用するコミュ力を鍛えることができました。(修正できました)
「映画(洋画)をたくさん見ると、コミュ力が上がる」とDaiGoが言ってましたが、確かに、「基本的な人間の行動・心理パターン」は掴むことができるでしょうが、所詮、フィクションという認識はしておいた方がいいと思います。
3 Googleもすごくない。
Googleと言ったら、世界でかなり上位の企業だから、「すごい!」と皆さんは思うのではないでしょうか?
ですが、Googleの技術自体は確かにすごいのですが、「企画案やアイデア発想についてはそこまで凄くないのだ」と僕は実感しました。
というのも、「僕の案がGoogleにパクられている」と前から思っていましたが、僕が現実に、具体化したこと(音声ソフトを使ってYouTubeに上げる&LINEの翻訳機能を使う)があって初めて、Googleはその後にすばやく「ブログ読み上げ機能&GoogleAssistantの翻訳機能」などを実装したのです。
つまり、前からGoogle側にも、企画案自体はあったと思いますが、「目の前で成果物を直接見ないと、実装まで到達しない」のがGoogleだったのです。
さすがに、プログラミングや技術力は超一流で、短時間で実現化まで至ります。
ですが、「アイデア発想力や企画力についてはそこまで高いわけじゃない」のです。
これについては以下の記事で、さらに詳しく述べています。
企画書の書き方「AIに企画書・アイデア発想ができるのか?」
AIでさえ、現時点では秀逸な企画・発想ができない上に、Google社員を悪く言えば、専門バカと書いている記事です。
Google社員は技術力がかなり高いのはその通りですが、アイデア・発想力は未知数です。
しかし、Googleが最も重要視している考えである「知的謙遜」(いわゆる無知の知みたいな思想)がある文化であり、「自分はまだまだだ!」と思っている社員が多いので、平均的な自信過剰な大人よりは、断然、優れた社員が多いのがGoogleだと思います。
4 文科省もすごくない。
文科省もすごくありません。
文科省は、2020年教育改革をぶち上げましたが、頓挫しました。
僕の案を改悪したのが文科省です。
本質をまったく分かっていなかったのも文科省です。
しかし、マスコミが散々、批判する「英語の民間試験にせよ、平等じゃない」は的外れだと思います。
「そもそも、入試に限らず、日本の教育自体が平等じゃない」からです。
ですが、マスコミもすごくないので、この点についてはほぼ触れません。
詳しい記事は、以下になります。
「英語の民間試験採用と国語の記述式など、共通テストについてのマスゴミのミスリード問題について」 シリーズはPART5まで書いています。
興味がある人は、ブログ内で検索して読んでみてください。
さらに、主体性評価のシステムも、頓挫しつつあります。
以下の記事に詳しいです。
https://mainichi.jp/articles/20200807/k00/00m/040/152000c
大学入試の「主体性評価システム」 文科省、運営許可取り消し
そもそも、主体性という評価は、主観が強すぎます。
採点者の主観により判定され、しかも生徒も主体性が評価されると分かってるので、そう振る舞うようになります。
そもそも、主体性が評価されるから、そう振る舞うというのは本当の主体性なのでしょうか?
根本的に欠陥があり、ほとんどの人が少し考えたら分かることを文科省は推し進めてきたのです。
5 検察も裁判所もすごくない。
日本で、ゴーンさんがレバノンに脱出しました。
「日本の裁判所などが見逃した」ということです。
日本の裁判所はものすごい一流だと思われていましたが、実はそこまでじゃなかったのです。
さらに、黒川さんは賭け麻雀で辞職しました。
検察のトップが賭け麻雀です。
6 アメリカもすごくない。
最後に、「アメリカもすごくない」と書いておきます。
まず、「スノーデン氏の告発、ロシア逃亡」まで至らせた時点で、大したことがないことが分かります。
さらに、アメリカもいろいろな問題が噴出しています。
「中国と肩を並べられるか、抜かれそうな立ち位置」になりそうでもあります。
「アメリカは強大な国なのだ!世界一だ!」と思われていましたが、実はそこまででもないのです。
さらに、アメリカが1970、80年代に、ポーター教授の戦略論で「ポジショニングが大事だ!」と言い、日本の当時の戦略なき企業運営は間違っていると説いていました。
しかし、ポジショニングが企業業績に占める寄与度は約15%なのです。
「日本企業の現場重視、オペレーション重視」の経営資源重視的な見方もあながち間違っていなかったからこそ、一時期、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたのです。
また、アメリカではコロナ感染者が拡大しています。
アメリカが仮に、すごい国だったら、コロナ対応もかなりしっかりやり、被害拡大も防げていたでしょう。
もちろん、コロナ問題は厄介ではありますが、アメリカも万能ではないのです。
逆に、欧米からは、「日本の死亡者が少なすぎるのは変だ、奇妙だ!」と不思議がられている有様です。
7 人間はすごくない。
つまり、結論として「人間という生物自体が完璧ではなく、ヌケモレがかなりある生き物だ」ということなのです。
だからこそ、人間、さらに大人を神聖視、絶対視してはいけません。
人間が作るもの、人間が関わるもの、例えば「TV局や新聞、学者などの権威」でさえ、疑うべきです。
「人間が関与するもの」に完璧はありません。
ですから、スポーツの場合も、ものすごい人がいても、同じ人間であり、勝てる可能性だってあるのです。
皆、同じ人間です。
神でもなければ、化物でもありません。
もちろん「実力が高い、精度や的中率が高い人」はいます。
しかし、完璧な人はいません。
僕も当然、完璧な人間ではありません。
この記事は、どちらかと言えば、「大人を神聖視、絶対視している子供や若者向け」記事となっています。
同じ大人世代なら、たくさんのくだらない大人たちを見てきたでしょうから、実感するかもしれません。
もちろん、子供や若い世代より、大人が発達している部分があります。
それは経験によって、世の中の汚い部分も知っていることであり、「世の中を知っているか知らないか」で言えば、大人の方が、子供や若い世代より遥かに上でしょう。
しかし、「世の中を知っている」からといって、大人が凄い人なわけでもありません。
だからこそ、若い世代の方は、そういう「平均的に世の中のことを分かっている大人」の現実的な意見(「君には無理だ!」「現実を甘く見るんじゃない」「夢を見るな!」など)にそこまで左右されず、「ちゃんとした情報や万能ではないが実力ある大人の意見」を聞き、意思決定をしてほしいと思います。
僕の意見も鵜呑みにせず、参考程度に「視野が広がった、こういう意見もあるのかぁ」くらいに見定めて、自分で考えて、行動してくれればと思います。
僕も、今後、上達・上昇していこうという身なので、修行中です。
僕も、世の中の「汚い世界、裏の世界」をけっこう知ってしまい、このような記事を書きました。
「若い頃の僕へ向けての記事」でもあります。
ではこの辺で。(5248文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。