どうも、武信です。(No516)
真面目にやっている人にとって、この世の中は時に、「理不尽だ、おかしい」と思う点は多いと推察されます。
そもそも、「人生はクソゲー」だとは前にも述べました。
「人生はクソゲー」
で、今回は「真面目にやっている人がバカを見る世の中」がテーマなわけですが、同時に、こんな世の中で良いのか?という僕の見解を述べたいと思います。
詳しく知りたい方は、続きをお読みください。
1 記事からの抜粋。
まず、「世の中の人間の認識はかなり変わっていること」を大前提とします。
以下の記事から抜粋します。
「コミュニケーション力を上げる方法。文字通りに受け取るな!PART3」というタイトルです。
「帝王学」コミュニーション力を上げる方法。文字通りに受け取るな!PART3 日大アメフト部の事例も書いています
その人の普段からの行いやバックグラウンド次第で、人々は容易にその人への解釈を変えます。
Sという人が、普段からウソをつく常習犯ということを知っていた場合と、知らなかった場合、Sという人への見方そのものが変わります。
「嘘つき常習犯」ということを知っていた場合、Sの証言も「またウソだろ」と疑いから入ります。
対して、「嘘つき常習犯」ということを知らなかった場合、信じてしまいます。
Sという人への、人間性やバックグラウンドへの深い知識があるかないかで、かなりSの発言や行動への解釈や印象は変わります。
そう考えると、普段からの行いはかなり大事と言えます。
普段、信用に値する善行が9割の場合、些細な嘘や過ちなら「珍しいね」と許してもらえる可能性があります。
しかし、人間は不合理であり、普段の悪行9割の人が、1割の善行をしただけで褒めることがあります。
普段からの信用の積み重ねは大事ですが、普段9割の善行の人でも、たった1回の過ち(重大度にもよる)で信用失墜もありえます。
普段9割の悪行の人はもっと責められるべきですし、社会に常習的に日常的に害を与えているわけであり、こういう人こそ本当はかなりきつく責められるべきです。
それなのに、こういう人ほど珍しい数回の善行で、「見直した」とか褒められる場合があります。
人間は割合で、判断、認知していません。
始まりと終わりが強く印象が残るというように、印象度合いにも強弱を感じる場面があるのです。
そう考えると、普段からの信用積み重ねは重要視すべきですが、そういう善行9割の人ほど、1割の悪行に余計に注意しないといけないかもしれません。(人間って、割合を正しく認知していないのです)
普段からちゃらんぽらんの人ほど、得をするという人間の不合理な面です。(メディアは善行、悪行の割合もきちんと目を向けるべきです。普段の善行9割の人の1割の些細な悪行は、スルーしてあげてもいいのでは?と) 以上、ここまで。
2 僕の意見。
僕の考察に入ります。
TVに映る芸能人は、キャラ作りが大事です。
一般人でも、適用できます。
確かに、キャラって大事であり、「いい加減キャラ」が定着していると、その人が何かいい加減なことをしても周りは、「あいつは、そういう奴だからね」で許してしまう風潮があると思います。
ですが、僕はそういう反応はしません。
キャラに騙されないのです。
なぜなら、真実を知っているからです。
普段の善行9割の人がたまにミスをしたら責められて、悪行9割(いい加減)の人が善行をたまたましただけで、評価されるという人間の認知にうんざりしているからです。
僕は「いい加減キャラ」を演じている?かそういう人を見て、「彼はそういう奴だから」では済ませません。
正直、心の中では距離を置き、あまり関わりたくなくなるのです。
さらに言うと、普段からちゃらんぽらんに生きてきた人が急に改心しても、過去の行いを僕はちゃんと覚えています。
また、普段からちゃらんぽらんに生きていた人が苦しくなって、「助けてくれ」と言っても僕は非情かもしれませんが、無視します。
だって、普段から真面目にコツコツやってきた人が、可愛そうじゃないですか?
普段はいい加減で、周囲にも悪影響を与えていた人が困ったときだけ、「いいキャラ」を演じて、助けてくれと言って助けたいと思いますか?
僕は普段の行動、過去の積み重ねを重視します。
他の人の認知とは、違います。
他の人は人間の普通の認知でしょうから、いい加減キャラを許容し、たまにいいことを言うと褒めるということをするでしょうが、僕はしません。
真面目にやっている人が、バカを見ますからね。
というわけで、過去、いい加減に生きてきて、何か悪いことが起きた場合、自業自得ということです。
周りもそういう人を、助けるのはやめた方がいいと思いますよ。
まぁ、助けるのを止めはしませんが、僕は助けません。
3 いい人がカモにされる。
さらに、言いたいことをいいますね。
「いい人キャラ」を演じていると、そこにつけこむ人が必ずいます。
「いい人」だから、多少、大変な仕事も引き受けてくれるだろう、と仕事を振りまくる上司や、「いい人」だから、この人には愚痴を言っても大丈夫だと、愚痴を言いまくる人もいます。
対して「いい加減キャラ、嫌われ者」は、この人は怠け者だから、仕事を振ってもどうせやらないだろうから、あまり振らないでおこうとなり、この人には愚痴を言っても、すぐにうんざりした態度を取られるから言わないでおこう、となります。
そうなのです。
キャラ作りに失敗すると、仕事を大量に振られ、なおかつ、愚痴のはけ口や、理不尽な思いに遭遇しやすくなるのです。
「いい人」ほど、相手の期待に応えてしまうので、いいように利用されるのです。
以下の記事にも書いています。
「いい人にならない方が成功者になる」というタイトルです。
いい人は損?「いい人にならない方が成功者になる」
でも、僕はそんな「いい人」が好きなのですけどね。
僕は「いい人」のありがたみを知っており、理不尽な扱いをしませんが、中にはそういう理不尽なことをする人もいるということです。
逆に、僕は普段の行動を重視しているので、「怠け者というキャラの人」はそのまま怠け者だと認知しますし、たまに善行をしても、「だから?たまたまだよね」と思うようにしています。
あと、よく「いい加減キャラ」の人の行動が表に出て、何か愚痴ると、周りは「あいつはそういう奴だから」と言う人が多いです。
僕もだれかに愚痴られると、「その人はそういう奴だからね」と言うこともあります。
で、やはりキャラ作りは大事であり、そういうふうに周りに思われると、許容される割合が増えるのです。
ですが、何か愚行をされて、「そういう奴だからね」で毎回、処理するのはストレスが溜まりませんかね?
僕だったら、距離を置きます。深く関わりません。
毎回、「そういう奴だから」と認知処理するのが、疲れるからです。
「そういう奴だから」で許されてる当事者たちは、どう思っているのでしょうかね?
周りを不快にしたり、許容されていることに気づいているのでしょうか?
甘やかされているとも言えます。
となると、距離を置いた付き合い方が無難ということになります。
ですが、以下の記事で、許容力が大事だと述べました。
「仮面をかぶる人生」というタイトルです。
人生の本質とは?「仮面をかぶる人生」
「人間で完璧な人なんていないのだから、些細なミスや欠点は許そうよ」という主張です。
ですが、この許容力で重要な点は「些細なミスや欠点が、ずっと直らず持続性があり、蓄積していくのか?」、「つまり我慢し続けられるのか?」という点と、「その欠点は致命的なのか否か?」という点ですね。
ずっと我慢し続けるのは、精神的に良くないです。
たまに会う程度の人間関係なら、我慢できるかもしれませんが、夫婦など毎日過ごすとなるときついでしょう。
さらに、致命的な欠点、例えば、僕の事例で言えば、「人間として尊重もせず、単に便利な道具のようにみている人」がわかった場合、即切りします。
そういう人は、ボロっとでた言動でわかります。
具体例は省きますが、想像してみてください。
ともかく、真面目にやっている人が、バカを見る世の中は良くないと思いますね。
ではこの辺で。(3775文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。