どうも、武信です。(No526)
「人生に努力って必要なのか?」という問題提起をします。
努力が大事と思う人も、努力はなるべくしたくないという人、どちらにも興味深い記事になったと思います。
約5000文字以上の力作記事です。
1 努力派か楽をしたい派か?
まず、世の中には極端に分けて、「2種類の人間がいる」と僕は思っています。
1 努力の価値を信じ(つまり勤勉)、猛烈に努力する人。
2 努力の価値を信じず(つまり、怠け者かいいかげんか適当)、なるべく楽をする人。
この2つの価値観は両極端であり、その間に割合としたゾーンが存在すると思っています。
1の人は、努力教を信奉しています。
2の人は、楽をしたい教を信奉しています。
そして、この値を数字化すると仮にすると、イチローのような究極の努力家は9割が努力で、1割が楽をしたいという値かもしれません。(楽をする、手抜きをするという概念に、かなり乏しいと思われます)
怠け者の人は9割が楽をしたいであり、1割が努力をするかもしれません。(勤勉に働くという概念が、かなり乏しいのです)
ここまで極端な人は珍しいので、大半の人は中間(つまり、例えば努力が6割、楽をしたいが4割など)に収まります。
2 努力派と楽をしたい派の別の表現。
または、努力派は勤勉であり、堅物か堅実か、真面目系とも言えそうです。
対して、楽をしたい派は、怠け者であり、おちゃらけ系であり、冗談好きとも言えそうです。
この両者は、思想や価値観が根本的に異なっており、交わりません。
努力派は楽をしたい派に対して、「なんで努力をしないのだろう?」「なんで人生を甘く見ているのだろう?」「なんであんなにお気楽でいられるのだろう?」と思っています。
対して、楽をしたい派は「なんであんなに努力をするのだろう?楽をしたほうがいいよね」「なんであんなに思いつめているのだろう?」「なんであんなに真面目なんだろう?」「なんであんなにきっちりしているのだろう?」などと思っています。
お互いに軽蔑し合うというか、価値観や思想が理解不能なのです。
ここまで分析しましたが、努力派と楽をしたい派は、分野別に人によって異なるとも言えます。
仕事では努力派でも、部屋の掃除やプライベートでは、楽をしたい派かもしれないのです。
くっきり、すべての分野で努力派、楽をしたい派と分かれるわけではないですね。
分野別に分かれることを前提として話を進めます。(以下は簡略化して、話を進めることにします。分野別にすると、話が複雑になるので)
3 両者の成果の出方は別。
もちろん、努力派と楽をしたい派の成果の出方は、別に努力に比例するわけではありません。
なぜなら、才能や効率や環境や運などが関係してくるからです。
数学やプログラミングなどは適性ありきであり、才能や遺伝の部分が大きく、猛烈に努力する人が、かならず大成果をあげるわけではありません。
むしろ、数学者やプログラマーは楽をしたい人種であり、「どうやったら楽をできるか?」を考え、省力化してプログラムを組む動機の人もいます。
音楽だって才能ありきであり、楽をしたい人でも、才能と運で売れっ子になるケースはあるのです。
成果の出方という面で見ると、「努力に比例するわけではない」とも言えます。
ただし、努力した方が一般的には良いといえます。
遺伝の割合が小さい分野では(または、才能がそこそこある前提での勝負の場所)、成功者は必ず努力はしていたと聞きます。
努力は成功の可能性を高めるのです。
4 人生に努力は必須か?の質問への両者の答え&エニアグラムで分けてみる。
「人生に努力は必須か?」という質問に対しては、努力派なら迷うことなく必須と答えるでしょうし、楽をしたい人や才能派は必須じゃないと言うでしょう。
この軸で見ると、人間の性質がよく把握できると感じます。
交わることのない価値観や思想です。
エニアグラムでいうと、タイプ1、5、6は努力派でしょう。
勤勉な完璧主義者のタイプ1,知的な分野では研究熱心なタイプ5、堅実家のタイプ6だからです。
対して、楽をしたい派はタイプ7、9でしょう。
タイプ7は楽天家ですし、タイプ9は調停者であり、平和主義者ですから、争い事に巻き込まれるのはごめんですからね。
中間型がタイプ2、3、4、8でしょう。
タイプ2は自分が頑張るよりも他人を応援する良妻賢母型ですし、タイプ3は成果が全てであり、そこに努力をあまり重要視する視点はなく、タイプ4は芸術家であり、才能系ですし、タイプ8は闘争系であり、努力というより、ただ相手を圧倒したい(勝てばOKにも近い)という思想の持ち主だからです。
5 努力派と楽をしたい派の別の表現2。
努力派と楽をしたい派を、さらに別の表現に変えてみます。
それは以下です。
1「不足に目を向ける人」
2「ある方に目を向ける人」
1の人はエニアグラムでいう完璧主義者に多く、不足や弱点に目がいき、それをなくそうとします。
スポーツ選手では、超一流同士の戦いでは、弱点をかならずなくします。
なぜなら、弱点があったら、それを狙われて即、負けるからです。
そして、不足や弱点をなくそうという思想から、オールラウンドプレイヤー(将棋で言えば羽生さん。多くの戦法に習熟している)や、大学受験でいえば全科目優秀型になりやすいです。
2の人はある方に目がいき、不足には目が基本的に向きません。
エニアグラムでいうタイプ7の楽天家が典型例であり、「弱みをなくそうというより強みを活かそう」という発想になります。
ブロガーのちきりんさんはタイプ7だと推測でき、よく「強みを活かそう」と主張しています。
タイプ7は器用であり、才能があり、なんでもこなせるタイプが多いです。
また、楽しいことを求め、苦は避けます。楽しいことなら、続けられます。
それが勉強であったり、運動であったりして、才能が開花するのがタイプ7なのです。
タイプ7には苦しいことに向き合う、つまり、「苦手や不足を埋めよう」という思想は少ないのです。
企業ではチームワークが基本であり、強みで勝負ができ、弱みは誰かが補ってくれます。
大学受験でいえば、全教科型の優秀さ(つまり東大や京大など)というより、慶応や早稲田など、科目が比較的少ない大学に多くいそうです。
オールラウンドプレイヤーは少なく、才能特化型でしょう。(楽しいことなら、かなり続けられ、才能が開花します)
エニアグラムタイプ7のひろゆき氏の受験英語の勉強法は、以下です。
例文「僕はすげー走った」の「すげー」は要らないので飛ばし、「英文量全体の6割がわかれば何とかなる」という姿勢だったそうです。
タイプ1の完璧主義者であれば、英単語がわからない箇所があることが不満であり、覚える傾向があるでしょう。
タイプ7はなるべく楽をしたいですし、「わかる単語だけで何とか乗り切るタイプ」なのです。
この例だけでも強みを活かし、ある方に目を向け、才能というか、器用さで乗り切る、楽をしたいタイプ7の特徴がわかります。
もちろん、今までの分析は個人差があることは承知ください。(理論はあくまで傾向ですからね)
6 僕の結論。
結局、何が言いたいかというと、両者の価値観は根本的にわかり合えないという点です。
そして、成果の出方は努力に比例しないことから、両者とも別にそこまで間違っている思想じゃないという点です。
ただし、努力をしたほうが成功の確率は上がります。
そして、才能派でも努力をすればさらに高みにいけます。(まぁ才能がある人ほど、基本的に苦手分野は潰しませんし、努力を嫌うかもしれません。才能やIQに頼るということです)
このような話を頭の片隅にでも入れておくと、「人間理解が深まるのでは?」と思います。
僕が編み出した、人間分類法です。
7 補足1 ひろゆきの動画の要約。
動画を貼ります。
以下の動画から、一部を要約します。
経営者が戦略を間違えると、一般社員がいくら努力をしても勝てないといいます。
東芝が傾いているのは、一般社員のせいというより、経営者の判断ミスなのです。
同じく、第二次世界大戦で日本が負けたのも、日本の上層部に責任があります。
勝ち目がない戦争なのに、国民を無理やり戦わせたのです。
このように、「他人に努力を求める風潮が良くない」といいます。
見城さんのツイート「圧倒的努力は必ず報われます。報われないのはそれが圧倒的努力ではないからです」に対し、ひろゆきは「では、プロ野球選手になってメジャーリーグに行ってみてください」と噛み付いたわけですが、ひろゆきは「できないことはできないと認めることが大前提だ」といいます。
まず、死んだおばあちゃんは生き返らない。(人類ができない例)
次に、ブサイクなひげおやじさんがジャーニーズに入れない。(個人ができない例)
さらに、イチローさんが言う「努力を努力と思っていたら、勝てないよ」という発言にひろゆきは同調しています。
ひろゆきは映画やゲームは好きでやっていて、何時間でも見れるけど、「編み物だったら1週間で気が狂う」といいます。
つまり、努力を努力と感じない人が最強であり、好きこそ最強というわけです。
「努力を努力と感じて、圧倒的に努力している」と思っている人は、そもそもどうなの?という意見です。
また、仕事は何十年、やっていくものであり、無理をせずに長く働くことが大事であり、圧倒的努力で徹夜などを繰り返したら、身体を壊してしまうといいます。
TV局の制作スタッフの徹夜は好きでやっているので、いいといいます。
ひろゆきは努力をなるべく避けて(大学受験でいえば、受かりそうな大学を受ける)、努力をした覚えがなくでも、生き延びてこれたといいます。
ホリエモンは大学受験なども、頑張ってしまうタイプなわけであり、ひろゆきは努力を避けてきたタイプですが、「努力をした人が凄いという風潮はどうなの?」と思っているようです。以上、ここまで。
8 補足2 僕の意見。
「そもそも努力自体、意味あるの?」という問題提起は驚きでした。
僕の事例で言えば、ブログを書くことは負荷が低く、いくらでも生産できるのですが、読書に関しては読書スピードが遅いこともあり、大量に読むのはそれなりに苦痛であり、努力を要します。
あとは、将棋も本気でやろうと思ったら、努力が必要そうであり、テニスも本気で上達しようと思ったら、努力を要しそうです。
僕はそもそも、運動や活発に動くことがあまり好きではなく、頭脳を働かせたいタイプなので、テニスもそこそこできるとは言っても、努力の賜物なのです。
僕はひろゆきと違って、苦手分野を克服したいタイプであり(タイプ1の要素がある)、いろいろな苦手分野をちゃんとやっています。(話術もかなり上手くなりました。最初はかなり下手でした)
僕の努力を必要としない要素といえば、執筆と企画(アイデア発想)だけであり、それ以外は努力を要します。
執筆と企画だけで生きていけたらいいのですが、残念ながら難しそうなので、弱みも克服して努力をしたのです。(読書、インプットはそこまで楽しくはありません。要約作業も面倒くさいと言えば面倒くさいですが、怠けずやっています)
正直、強みだけで生きていける人って、どれくらいいるのでしょうかね。
メンタリストDaiGoはプレゼン力が超一流ですが、あれは天性のモノでしょう。
コンテンツ吸収、運動も好きでやっているのでしょうかね。
というか、DaiGoはBig5でいう勤勉性がマックスだそうなので、そもそも努力体質ですからね。
努力体質というもの(勤勉性)があり、それがない人にとっては「努力をする領域が多くなる」といえ、生きるのに不利かもしれません。(そういう人ほど、プログラミングや数学などの才能だけでいこうとします。勤勉性が低いか、真ん中くらいのプログラマーはけっこういそうです)
僕の意見として、努力体質(勤勉性)というモノ、指標があり、それが強い人はだいたいのことにおいて、努力を努力と感じない体質なのだと思います。
努力をすること自体が好きなのです。努力教の人です。
努力をすることにも価値を置いています。
ただし、メンタリストDaiGoのような、ムダな努力はしたくない、合理主義派もいます。
イチローさんも、勤勉性がマックスなのだと予測しており、努力体質だからこそ、努力を努力とあまり感じず、持続性高く、地道にコツコツやれるのです。
そう考えると、努力が大事という意見に、ひろゆきのように反感を覚える人がいてもおかしくありません。
ひろゆきはおそらく、勤勉性が低いか、真ん中くらいであり、努力へのハードルが高く(努力体質じゃない)、才能(プログラミングと話術)で生き残ってきたタイプだと思うからです。
才能派からしたら、努力なんてバカらしいと思うはずです。
努力体質の人は苦手分野でも努力で克服し、オールラウンダーになり、強みや才能だけで生きていこうとあまり思いません。(スポーツ選手は苦手分野があると負けるので、努力は必ずします)
ビジネス系や慶応や早稲田などの大学受験でなら、才能や特技だけでも通用しそうです。(国立大学は科目が多いので、オールラウンダーが勝ちやすいといえます)
ではこの辺で。(5806文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。