どうも、武信です。(No307)
今回の記事では、本物の定義をします。
「本物とはいったいどんな人物なのか?」その定義を知りたい方には、有用な記事でしょう。
「百聞は一見に如かず」という格言もあるように、本物を見て、触れたら、感化され、人生観さえ、変わってしまう人もいるかもしれません。
そういう本物の定義を、今回は詳しくしていきます。
詳しく知りたい方は続きをお読みください。
1 本物についての前置き。
本物については、以下の記事で述べています。
「本物に触れることの大事さ」
人間力とは?「本物に触れることの大事さ」
「万能感を持つ人たちの気持ちが少し分かった気がする」
人間力とは?「万能感を持つ人の気持ちが少し分かった気がする」
まとめると、TV局のプロデューサーが、「小説家の響は本物なのだから、TVに隠し撮りされてでも映るべき」という話です。
響とは「響 小説家になる方法」の漫画の主人公です。
14歳で芥川賞、直木賞をダブル受賞した天才少女という設定です。
これは逆説的に言えば、小説界は本物が少ない、つまり、コネ社会と言えそうです。
または、ゴーストライターや複数人で執筆や、編集者らの協力などやパクリなどで、表面上の売れっ子作家1人の実力(本物)とは違うというわけです。
「ホンマでっかTV」で言われていましたが、ある大物作家にもゴーストライターがいるという話です。
つまり本物(自分で書いていない。売れているから、有名作家の看板で出した方がいいという意味)じゃないのです。
スポーツや将棋界は、本物以外いません。
なぜなら、コネ社会のTV局や芸能界と違い、完全実力社会だからです。
だからこそ、わざわざ「本物を映すべき」なんて主張は出てきません。
それにしても、TV局はやメディアらに、本物が必ず出るわけではないと感じます。
中には、本物の天才でも、TVに出たくない人もいるからです。
特に、小説界なんて、いつ潰れるかもわからないので、話題性のある芸能人などを賞を受賞させて、売り出す出版社は多そうです。
これは実力以外の要素(コネや知名度など)を使っているわけであり、本物ではないのです。
2 本物の定義1
僕の本物の定義は、「完全実力社会であると仮定して、その中で上位にいる人」としています。
仮定してと書いたのは、TV局や芸能界や音楽界や小説界は完全実力社会じゃなく、コネ社会だからです。
逆に言えば、スポーツや将棋などの世界では本物しかいないので、わざわざ本物と定義する必要がありません。
上位にいる人はそのまま本物の実力者ですから(とはいえ、テニス界でも騒がれたように、八百長はある)、わざわざ本物だと言う必要がないのです。
だからこそ、本物という言葉は、TV局や芸能界や音楽界や小説界などの、コネ社会で使われます。
3 本物の定義2
そして、本物の上位にいる人という定義をさらに深堀りして見てみると、「その人だけで基本的に何かもやっていて、上位にいる人」と言えます。
僕の場合、このブログは全部自分1人で書いているわけですから、ゴーストライターなど存在しません。
しかし、出版界の売れっ子は全部自分1人でやっていないと思われます。
ゴーストライターがいたり、編集者が入れ知恵したりしているのです。
誰かの助けを大いに借りているのです。
これも本物かそうでないかの、明確な分岐点かもしれません。
本物はその人がほぼ1人で、結果を出せるほどの実力を持っている人なのです。
本物という言葉の深い意味が見えてきたのではないでしょうか?
簡単に言えば、本物じゃない人は装飾が施されており、何か虚飾性があるということです。
誰かの力をかなり借りていたり、見せかけているというわけです。
逆に、本物は完全に「そのままで実力があり、人の力もあまり借りなくても、実力を発揮し、本来の姿のままで勝負ができる割合が非常に高い」ということでもあります。
もちろん、小説家であれば、編集者と打ち合わせ(ある程度の話し合いにより、ネタを考える)や出版社での宣伝などは、外部に任せるのは仕方ない面もあります。
ですが、ゴーストライターがいて、全部自分が書いていなかったり(ホリエモンの本は、執筆はゴーストライターです。コンテンツはホリエモンらしいですが)、アイデアの肝の部分を外注していたら、もはや、小説家としての体を成していないでしょう。
さて、TV局ではやらせが横行している事実があります。
芸能人でいえば、偉大な芸能人というイメージを作るために、クイズ番組などでもやらせをし、上位にいかせるのです。
やらせがなく、完全実力勝負の場合において、負ける人は本物ではありません。
「響 小説家になる方法」という漫画は、いろいろと論点を作り出していると思います。
関連記事は以下です。
「「響 小説家になる方法」という漫画が僕の心にまったく響かない理由」というタイトルです。
漫画にリアリティは必要?「「響 小説家になる方法」という漫画が僕の心にまったく響かない理由」
「「響 小説家になる方法」という漫画が僕の心にまったく響かない理由2 今後の展開のアドバイス付き」というタイトルです。
漫画にリアリティは必要?「「響 小説家になる方法」という漫画が僕の心にまったく響かない理由2 今後の展開のアドバイス付き」
ではこの辺で。(2647文字)
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