定量と定性の意味「定量的なものにしか目を向けない人」

どうも、武信です。(No623)

 

2017年の記事です。

 

定量的という言葉と、定性的という言葉があります。

 

定量的とは数字で測れるモノのことを言い、定性的とは「数字では測れないモノ」のことを言います。

 

さて、定量的なものにしか目を向けない人が、世の中にはいます。

 

「これ、正しいの?」という問題提起が今回の記事です。

 

興味がある人は、続きをお読みください。 

 

 

 1 前置き。

 

世の中には「定量的に数字で測れるもの」と「定性的で数字で測れないもの」があります。

 

年収や偏差値は定量的ですが、性格(相性の良さ)やコミュ力や創造力などは定性的です。 

 

2 具体例。

 

ここで、具体例を出します。

「あなたは結婚する際、定量的なものだけを基準にして選びますか?」という問いです。

 

つまり、年収や資産などを主に判断基準として、結婚相手を選ぶことになります。

 

外見は厳密な定量化は無理ですが(主観がどうしても入るので)、ある程度の目安としてのA〜Eランクとかぐらいなら可能でしょう。

 

では、あなたは「結婚する際、年収と外見だけで選びますか?」と聞かれて、YESと答える人はどれくらいいるのでしょうか。。。

 

ここで、YESと答える人が、定量的なものにしか目を向けない人です。

 

しかし、世の中には、価値あるものでも定量化できないケースが多いのです。

 

例えば、結婚する際、相手の性格(相性の良さ含む)は考慮に入れないのでしょうか?

 

相手が性格が悪かった場合、例えば、DVを起こしたり、浮気をしたり、浪費癖があったり、ギャンブルをしたり、酒癖が悪かったり、子育て能力が低かったり、コミュ力が低かったり、果ては相性が悪かった場合、どうするのでしょうか?

 

これらは定性的で、数字で測りにくいことです。

 

もちろん、「DVを起こすか、起こさないか」や「浮気をするか、しないか」や「ギャンブルをするか、しないか」や「酒癖が悪いか、悪くないか」はある程度、デジタル化可能ですが。

 

でも、突然、変貌するかもしれません。

 

厳密に起こすか、起こさないかのデジタル化、数値化は無理です。

 

そして、最も定量化しにくいのが、「相性の良さとコミュ力と子育て能力など」です。

 

「これらも重視せずに、結婚するのでしょうか?」と。 

 

3 記事の要約。

 

ちなみに、以下の記事「リアルすぎる!恋人には求めないけど、結婚相手に求める条件」をお読みください。(消されたようです)

 

簡単に要約します。

 

恋人には求めないけど、結婚相手に求める条件として、「常識がある、教養がある、包容力がある、人生観が近い、生活感の一致、仕事への理解がある、金銭感覚が近い、子どもが好き」が挙げられています。

 

常識がある、教養がある(学歴や本の冊数で、ある程度の目安は作れますが)、包容力がある、人生観が近い、生活感の一致、金銭感覚の一致は定性的でしょう。

 

仕事への理解があるは「あるかないか」ですから、デジタル化可能です。

 

子どもが好きも「好きか、嫌いか」ですから、デジタル化が可能でしょう。 

 

4 僕の事例。

 

さて、僕は「フィクサーによる日本の教育改革本」で、重要な能力として、コミュ力や気づく力や創造力など、定量化しにくい要素を挙げました。

 

これらは学力の偏差値などと比べて、定量化できません。(または、いずれ、できる可能性はありますが、現時点では難しいです。将棋は形勢判断などの定量化が難しいとされていましたが、今は実現しましたね)

 

こういう定量化できない能力があるとして、定量化できないからといって、分析から外していいのでしょうか? 

 

良くないはずです。

 

結婚の例でも、性格(相性の良さ含む)などは重要要素です。

 

ある僕のブログの批判者が「定量的に分析できないなら、感想文と同じ」と言いました。

 

本当にそうでしょうか?

 

では、定量化できるものだけに限定して、論文を書いたり、分析をしていれば良いのでしょうか? 

 

この人は「厳密に分析できない、つまり、定量化できないなら、主観要素が必ず入るから、議論しても無駄だ」というのです。

 

僕は、厳密な議論はできなくても、分析する価値はあると思っています。

 

だからこそ、コミュ力をあそこまで徹底的に分析したのです。

 

従来の人はコミュ力なんて、定量的じゃないのだから、分析する価値がないと思っていたのではないでしょうか? 

 

または、感覚で何となく測定していたのではないでしょうか?

 

そもそも、世の中には現時点では定量化が難しくても、重要な因子や要素があります

 

それらを抜かして分析すると、世の中の真実が判明しなくなります。

 

このことが批判者には分かっていないのです。

だから「感想文と一緒」などと言えるのです。

 

その人には、結婚相手に年収と外見(これも厳密には定量化できません)だけで選ぶのか?と問いたいですね。

 

性格の良さ(相性含む)は無視か?と。

 

その人が僕のブログにやけにケチをつけるなぁと思っていたら、この定量的なものにしか目を向けていなかったからだったのです。

 

だから、「統計的ではない。データで実証できていない」と盛んに言うのです。

 

しかし、僕のブログは真実の解明のために、定性的なものも含みますから、議論が噛み合わないのは当然なのです。

 

就活でも、その人の数値では測れない人間性(非認知能力含む。つまり、やり抜く力や自制心や好奇心など)をまったく見ない企業はないはずです。

 

だからこそ、面接を何回もやるのです。(といっても、面接が万能なわけじゃありません)

 

カラオケだって、数値化して点数化されていますが、有効性は疑問です。

歌の上手さは、数値には表れない部分もあるからです。

 

声質などですね。

 

ある歌が上手い女性の曲の採点スコアは86点ぐらいでした。

かなり聴いていて、歌が上手いのにです。

 

また、プロの人でも、TV番組で「そんなに採点結果がでない」と言っている人がいました。

 

さらに、そんなに上手く聴こえないのに、やたら点数が出る人もいました。

 

カラオケもまだ定量化が完全にできていない世界なのです。(今後は改良されるかもしれませんが)

 

数値だけで測れる世界を信じる人(データサイエンティスト?)でも、創造力や企画力の重要さは分かっていると思います。

 

データ分析だけでは作れない世界があるのです。

 

「馬車の時代に、データ分析だけでは、車は生まれない」のです。

 

ではこの辺で。(2806文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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