統計のバイアス「外れ値の話と起きたことしか信じない人の話」

どうも、武信です。(No547)

 

 

2017年の記事です。

「外れ値の話と起きたことしか信じない人の話」というテーマで、詳しく考察します。

 

興味がある人は、続きをお読みください。

 

 

1 可能性の話でも事実のときがある。

 

以下の記事で、MARCH層の人と議論をしました。「MARCH層との議論2」

ディベートの例「MARCH層との議論2」

 

 

僕に、MARCH層がビジネスでの実績がない人は本を出せないと断言し、僕が「契約直前まで行き、金があれば出せた可能性が高い」と言っても、「可能性の話」であり「実際に出した」のとは全然、違うと言いました。

 

僕は可能性や推測で言う、癖があります。

 

スノーデンのエシュロン説のときも、僕は「絶対にある」と言い張り、他の大半の人は「そんなの陰謀だろ」と見ていました。

 

これは「可能性の話と起きた話の例」として使えます。

可能性の段階でも、確かなことはあるのです

 

確かに、実際にスノーデン氏の暴露が起きてから、人々はようやく陰謀を信じ始めました。

ですが、僕は可能性の段階から、主張していたわけです。

 

正しかったのは僕です。つまり、可能性の話が真実のときもあるのです

 

MARCH層は、僕の陰謀の話なんて信じません。

彼らは実際に起きたことしか信じないのです。

 

それぞれ「実際に起きたことだけを信じるタイプ」と「定量的に言えるものだけを信じるタイプ」、または両方かもしれません。 

 

2 疑惑の話。

 

話を続けます。

 

可能性の話って信じてもらえないこと多いですよね。

でも、現実の場合もあるのです。

 

確かに、出版の話も出せた可能性が高いわけですが、実際に出していなかったら「出していない」と言われます。

しかし、可能性の話でも信じた方がよい場面も多々あります。

 

それは疑惑というものです。

疑惑段階では、実際に起きて証明されたわけではありません。

 

ですが、浮気にせよ、スパイにせよ、疑惑が本当の場合も多いでしょう

つまり、可能性の話でも本当のことはあるわけです。

 

なんで「実際に起きたことだけしか信じない」のでしょうか?

疑惑の主張はすべて「絶対に起きない」と断言し、スルーするのでしょうか?

 

これが僕の疑問な点です。

 

疑惑があれば「火のないところに煙は立たぬ」の格言のようにとりあえず疑ったり、調査すべきでしょう。(可能ならばという話です) 

 

3 外れ値の一般化という話。

 

次に、外れ値の一般化という話です。

 

僕はよく外れ値の一般化の話をします。

 

前にMARCH層との議論で、「結果がすべて」で議論したときもそうでした。

 

「MARCH層との議論」

ディベートの例「MARCH層との議論」PART1

ディベートの例「MARCH層との議論」 PART2

 

 

今回の「中卒は高学歴層に理性レベルではなく、感情レベルで「なんかなぁ」と思われる」という主張を田中角栄を例に出して、一般化しようとしました。

 

しかし、実際に中卒で知的産業で活躍している層は、絶対的に少ないですから、これも仮定の話です。

 

今の時代に照らし合わせたら、中卒は少ないですから(田中角栄のときは多かった)、高卒と言い直した方がいいでしょう。

で、高卒でも知的産業で活躍している数は少ないです。

 

ですが、知的産業で高卒が活躍した場合、感情レベルで「なんかなぁ」と思われるという推測であり、一般化なわけです

 

僕の話は「外れ値の一般化」だったわけです。

 

しかし、統計学的に見たら、たしかに外れ値は例外ですから、一般化されたあとに残るものであり、変な主張になります。

 

外れ値は外れ値です。

僕は、一般化のあとに残された外れ値をさらに一般化しようとしたのです。

 

ま、理論という意味で捉えれば、間違ってはいないようです。 

 

4 理論とは言えない&統計学的におかしな言葉

 

理論とは「個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。また実践に対応する純粋な論理的知識」とあります。

 

とはいえ、今回は実践に対応できていなかったという面では、やはり理論とは言えないようです。これはミスですね。

 

そして、統計学的にはおかしな言葉かもしれません。(僕は統計学初心者なので、そこは弱みです)

 

MARCH層の1人はそこを突いてきたわけです。

 

「外れ値の一般化」という概念がそもそもなく、僕との認識のズレになっていたのでしょう。

 

5 僕の本も外れ値の一般化&MARCH層はもっと大衆を見ている。

 

そもそも、「フィクサーによる日本の教育改革本」も外れ値(というか、少数派向け)の本です。

そして、この本も「外れ値の一般化」を目指しています。

 

イノベーター人材もそういう概念です。

 

スティーブ・ジョブズのような外れ値?の天才をなるべく増やそうという話だからです

 

僕はそういう感覚で見ていますから、当然、MARCH層の人とは見方がずれることになります。

 

MARCH層はもっと大衆を見ているのです。

 

それも広範囲の人に当てはまるの理論であり、有用という認識です。 

 

6 可能性や仮定の2種類の話。

 

また、可能性や仮定の話でも2種類あります。

 

可能性が高い(つまり、結果が出やすいか、結果として正しい)モノと、可能性が低い(結果として出にくいか、結果として出ない)モノです。

 

出版の話は契約書に近いところまで来たのですから、可能性が高いモノです。

 

対して、「知的産業において、中卒や高卒が感情的にバカにされるモデルの可能性」はそのモデル自体がなかなか存在として成立しにくいものであり、僕としても残念ですが(論理的には正しいけど)、可能性の低いモノになります。

 

外れ値の一般化というモデルとしては、後者は成立しますが、統計学の言う一般化というモデルだと成立しないモノということになります。(論理的には正しいんだけど、そもそも現実として存在しにくい、存在しないモデルということです)

 

この2つの区別は、MARCH層の人はできていないと思います。

 

出版の話は「可能性が高いモノ」と思っていなく、「結果として出てないから、全面的に否定、絶対に実現できない」という言い分ですから。

 

エシュロン説や僕の選挙の予測でも、「可能性が高いモノ」として僕は主張しており、それはほぼ結果として証明されました。

 

このように「可能性の段階、または疑惑?の段階」でも、大雑把にいって2種類にわけられるのです。

 

それにしても、僕とはそもそもの見ている前提が違うのですなぁ。

 

このような認識の違いによって、人の意見ってずれるんだなぁと感じたので記事化しました。

 

ではこの辺で。(3128文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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