どうも、武信です。(No652)
2017年の記事です。
「どのようなメンターを見つけたらいいか?」迷っている人はいるでしょう。
または、「アドバイスってそもそもどういう価値があるの?」と思う人もいるでしょう。
それらの問いに、参考になりそうな内容を書いたのが今回の記事です。
興味がある人は、続きをお読みください。
1 前置き&具体例。
実力者とは定義が難しいですが、一般的には「特定の分野(または広範囲の分野や総合力)において成果や結果を長年出して、ノウハウも情報も蓄積されており、主張の精度が高い人」と一応、定義付けます。
つまり、野球のバッティングでいえば、「イチロー選手のバッティングの指摘はかなり精度が高い」と思われます。
しかし、イチロー選手といえども、政治の分野での指摘は的外れになるでしょう。
他には、ビジネス書を大して読んでないか、僕より読んでない、知らない人がビジネス書について僕に指摘してくるケースがありますが、どう考えても僕の方が圧倒的に詳しいわけです。
それなのに、間違いだと言われても、僕の方が正しいことが多いはずです。
そもそも、その人はビジネス書を大量に読んでいないわけですからね。
相場観も養われていないのです。
または、人間関係の達人というかコミュ力が高い人、心理学に詳しい人に、コミュ力が低く、心理学の素養もない人が、人間関係やコミュ力について指摘してきても、的外れなわけです。
その人自体に欠陥があった場合、悪い対応を取られる場合があります。
以下のツイートを貼ります。
「今日遊んだ女の子が核心をついた。『美人な子は「男って積極的だよね」って言うし、普通の子は「男の子って奥手だよね」って言う。んで、残念な子は「ホント、最近は草食系男子ばっかり」って言うんだよねぇ』・・・世の中の真実が見えた気がした。」以上、ここまで。
この言葉の真意、分かりますか?
この他にも、以下の記事で僕が指摘したケースがあります。
「人には二面性、多面性がある」
コミュ力とは?「人には二面性、多面性がある」
コミュ力について、指摘するには人間をよく知っているのが前提ですし、センスが必要です。
コミュ力がなかったり、自分に欠陥があった場合、悪い対応が取られる確率が格段に上がります。
MARCH層の1人は「相手に切れられる」ケースが多いのですが、そういう性格や態度を示しているからです。
僕も当然、切れました。
他の普通の人には、僕は普通に接します。
MARCH層とはMARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学の名称)のどこかに受かった人であり、僕の過去の元知り合いです。
2 実力者に指摘されたら直した方がいいかもしれない。
さて、ここまで書いてくると、実力者以外の人は「評価の精度が悪く、当てにならない」と言えます。
そういう評価が当てにならない人に、「何を言われても気にする必要はない」と僕なら思います。
だって、その指摘が間違っている可能性が高いのですから。
しかし、実力者、つまり評価が当てになる人に指摘されたら、それは本当に欠陥なのかもしれません。
つまり、人に指摘されても、いちいち全員の意見を気にする必要はないということです。
実力者の意見だけ気にして、直せばいいのです。
差別だと思いますか?
ですが、そのジャンルに詳しくない、または熟知しておらず、経験不足の人に指摘されても、その指摘が正しい確率はかなり下がるのではないでしょうか?
僕はそういうスタンスなので、実力者の主張(それでもたまに間違えることはありますが)は聞いて修正しますが、評価が当てにならない人の主張(それでもたまに当たっていることはあります)はスルーすることが多くなります。
確率論ですけどね。
誰の意見を聴くか?は重要な要素です。
「ここを間違っている人が多いなぁ」という印象です。
例えば、恋愛相談で、友人に聴く女性は多いですが、その友人女性がどれだけ恋愛の達人なのか甚だ疑問です。
もしかしたら、嫉妬などで、的はずれなアドバイスを言ってくるかもしれません。
こういう場合、恋愛の達人にアドバイスを聴くのが正解でしょう。
そう考えたら、人の意見を何でも聞いて鵜呑みにすることの危険性を感じざるを得なくなります。
3 実力者の方が我慢している。
それにしても、実力者ほど、その分野を熟知しており、かなり詳しく知っているのに、訳のわからない人(その分野にそれほど詳しくもなく、評価する力もなく、主張の精度も悪い人)の相手をしなくてはいけません。
中小企業やベンチャーの社長なら、自分より劣る人でも我慢して相手をし、使いこなさなければいけません。
実力的に上の人のほうが、我慢している割合って多いんですよね。
実力が下のほうの人が、我慢してない場合が非常に多いです。
そう考えると、「管理職にせよ、社長にせよ、大変だぁ」と思います。
自分より下の人に我慢して接しないといけないわけですから。
4 ダニング・クルーガー効果。
しかも、その実力が下の人は自覚すらないという。
自覚がないからこそ、評価軸がなく、自信過剰になるといいます。
ダニング・クルーガー効果といいます。
以下の記事に書かれています。
「能力の低い人ほど自信満々?「ダニング=クルーガー効果」に要注意!」というタイトルです。
https://news.mynavi.jp/article/20150520-kara022/
簡単に引用します。
ダニングとクルーガーはある特定のスキルに関して、能力のない人は「自らのスキルの欠如」、「他者の本物のスキル」、「自らのスキル不足の程度」が認識できないと主張した。
これはある意味当然のことともいえる。
例をあげると、自分が文法をどの程度知っているかを認識するには、その文法に精通している必要がある。
だが、能力のない人にはそもそもそれができないので、自分の能力も客観的に判断できないのだ。
しかし、この現象で興味深いのは、能力がないことによって、人はうろたえたり困惑したりするのではなく、むしろ不相応なほどの自信に満ちあふれていることだという。
研究の結果、テストでDやFを取る大学生は、自分の答案はもっと高い点数に値すると考える傾向があり、また実力の劣るチェスやブリッジのプレーヤー、医学生、そして運転免許証の更新に臨む高齢者ほど、自分の力を過大評価することがわかっている。とあります。以上、ここまで。
5 僕の事例
やはりメタ認知って大事です。
僕は自分の弱みを自覚しています。
IT系の操作はデジタルネイティブには敵わないですし、ITや理系の知識はその専門家に比べたら、劣ります。
しかし、僕の総合力という視点で見る人がいれば、「僕の強みに気づいてる人もいる」と思います。
それは企画力や創造力や執筆力や文系全般の知識です。
さらに、英語はある程度、読めるのも入るかもしれません。
そして、他者への評価も僕は的確にします。
「この分野だけ僕よりも詳しい」とかですね。
この理解すらできていない人がいて、何十回書いても、言っても理解できない人がいます。
僕が呆れ果てたのは想像がつくと思います。
MARCH層の1人の事例ですね。
以下の記事で、部下の自尊心を傷つけてはいけないと書かれていますが、正直、あまりに酷いケースに当たると、自分でもどうしていいかわかりません。
あまりに酷い人に嘘をついて「おだてる」のがいいのか、それともきちんとした評価を言うべきなのかです。
「上司が「○○」をしたとき、部下はひそかにサポタージュを始める」というタイトルです。
https://diamond.jp/articles/-/147101
まぁ、僕が結果を出していないから、「聴く耳」を持たなかった部分はかなりあると思います。
じゃあ、「成功者や結果を出している人と付き合えば?」というか、「そういう会社に入社すればいい」と思いますができていないようです。(2019年時点では風の噂ですが、大手企業に入れたようです)
なぜかと言えば、成功者や結果を出している人ほど、やはり人を見抜く力が高いですから、僕と似たような感覚を持つと思うからです。
つまり、成功者はMARCH層の1人を相手にしないと思われます。
相手にされないから、友達もほぼいなく、凄い人との付き合いもないわけです。
つまり、その人が思っているほど、自分はかなり有能で魅力的ではないのです。
いや、もしかしたら、自分は大したことがない人間だと自覚しているかもしれません。
しかし、その割には僕にかなり反論してきたり、社長にも反論していて、切れられているわけですから、僕や社長は舐められていたのかもしれません。
あまりに酷いケースに当たると、育てることの難しさを痛感します。
僕が指導している20代社会人女性は僕が身元を不透明にし、「聴いてもらう状態」を作り、中身で判断させるようにし、さらにその女性の元々の素質があったので、今、仕事で成果を挙げられているようです。
こういう人に当たると、育てるのは楽です。
Webマーケティングの本を勧めたら、その場ですぐに購入してくれました。
「どれだけ信頼してくれているんだ!」と思いました。
この女性は僕が勧めた本をほぼ全部、その場で購入するのです。
僕はこの女性には真摯に対応しようと思いました。
下手な変な本を紹介して、期待外れに思われるのは嫌ですからね。
ではこの辺で。(4166文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。