どうも、武信です。(No363)
「他者への想像力」というテーマの記事です。
「他者への想像力が欠ける人たち」を、具体例で見ていきます。
「そんな大人になりたくない、または、もうすでに大人な人はそうなっている」可能性もある人もいるかもしれません。
「どういう人が、他者への想像力が欠ける人たちなのか?」考えてみてください。
また、答え合わせとして、僕の記事の続きを読んでくだされば幸いです。
1 他者への想像力が欠ける人達の事例1
他者への想像力が欠ける人達。
他者への想像力が欠ける人達を紹介します。
1 相手の現在の外見を見て、「この人、努力不足だ」や「差別意識」を持つ人達。
具体例1
太っている人がいるとして、「その人を努力不足だ」という人がいますが、仮にその人が精神病薬を飲んでいて、副作用で太っている、または痩せにくいというハンデをせおっていることなど、まるで想像もつかないのです。
具体例2
ハゲている人が仮にいたとして、その人が「好きで禿げている」とでも思っているのでしょうか?
かなり努力しているのに、「遺伝」で禿げている人がいることを、想像もできないのです。
具体例3
ブスな女性が仮にいるとして、その女性が「好きでブスになっている」とでも思っているのでしょうか?
もし仮にブスを見下していた男性が、結婚して子供ができた際、女の子が生まれてブスに育った時、痛みを感じることでしょう。
2 他者への想像力が欠ける人達の事例2
2 若者が自分より年上を見るときの偏見。
具体例1
今の疲れ切ったサラリーマンや、険しい表情の大人や鈍感な大人たちを見て、「こうはなりたくない」と思って、年上や老人批判を簡単にする人がいます。
しかし、社会の荒波に揉まれて、厳しいノルマを課されて、さらに家族を養い、部下のマネジメントにまで心を使わなければならないとしたら、疲れるのは当たり前でしょう。
会社で上司や部下に気を遣いつつ、仕事の成果にも気を遣い、家族(妻や子供たち)に気を遣い、その上通勤電車などで気を遣っていたら、どこで休めるのでしょうか?
鈍感にならないと、精神が持ちません。
しかもですよ、若者と違い、中年以降は体力が落ちてきます。
若者は自身が疲れやすくなったときに初めて、年上の苦労を分かるのでしょう。
太っている中年以上がいるとしても、年を取ると代謝が落ちるのです。
若者は知識も経験も不足しているから、こういう年上の状態を、想像すらできないのです。
僕の元知り合いで20代の男がさかんに、僕におじさんと呼んできましたが(からかいのつもりでしょう)、自分がおじさんになることなど、まるで想像がつかないのでしょうね。。。(今はもうおじさんに近くなっていて、自覚し始めたようです)
また恋愛面でいえば、若い男性(20歳ごろまで)は、イケメンというだけで恋愛しやすいですが、30代以降は経済力がなければ、女性は寄ってきません。
若いというのは体力があり、容姿も若々しいので、恋愛はしやすいですが、年を取ると体力が落ち、容姿は誰でも衰えるので、恋愛しにくくなります。
若者は自分だけは年を取らない、とでも思っているのでしょうか?
その人は年を取ったとき思うのです。以前より、女性が寄ってこなくなったと。
さらに言います。
険しい顔をしている年上がいるとしたら、背負っているものが多いという証です。
それは仕事のノルマ、家族(妻や子供)、国家や高い地位の立場という場合すらあるでしょう。
背負っているものが多ければ多いほど、苦しくなるので、険しい顔になります。
逆に、背負っているものが少なければ、気楽ですから、顔が険しくなくなります。
また、背負っているものが多いということは、責任感を感じていると同義です。
「明日から、社長をやってくれ」「明日から、政治家をやってくれ」「明日から、WBCに出てくれ」と架空の話ですが、言われたら、どのような重圧がかかり、どのような行動を取らなければいけないか?想像してみてください。
この意見に、「そんなの僕なら楽勝でしょ」とかいう人は、想像力に関して末期症状ですので、もはや対処のしようがないですね。
3 他者への想像力が欠ける人達の事例3
3 仕事場や世間での他者に対する想像力が欠ける人達。
銀行や接客系(コンビニのレジや本屋の接客など)などで、余計な無駄話をする人たちがいます。
または、クレームをつける人達がいます。
僕はそういう場面に遭遇したとき、毎回思います。
「店員さん、お疲れさん」と。
こんな客に、表面は良い顔をして、我慢して接客しなければならなくて大変だなぁと。
僕は店員に変な気苦労をかけたくないので、無駄話はなるべくしないです。
クレームをつけるのはよほどのときです。
こういうことをする人たちは、店員への想像力が著しく欠けていると思います。
4 他者への想像力が欠ける人達の僕の考察
これらの事例だけでも、他者への想像力が欠けている人達がたくさんいそうですよね。
一般的に、人間は自分が体験するか、当事者にならないと、その人の気持ちがわからないことが多いです。
自分事になって初めて、自覚するのです。それまではすべて、他人事です。
「自分には関係ない」と思っているのです。
「自分には関係ない」から、他者にここまで偏見を持ったり、厳しくなるのです。
人は、他者への想像力が欠けている人たちに、よく言うセリフがあります。
「やってみてから、言えば?」や「やらないうちから、言うな」や「その年になってみればわかるよ」などです。
これらは、「とりあえず体験してみて欲しい、そうすれば苦労が分かる」という経験者からの、皮肉なメッセージなのです。
「やったことがない人に、言われたくない」というのも、経験者からのメッセージでしょう。
とりあえず、「やらないうち、やっていないうちから、他人を厳しく見る」というのはやめた方がいいです。
少なくとも、「やってみた後に、指摘するべき」です。
若者が年上になるのは時間がかかりますから、「やってみてから批判する」ことはできません。
そういう若者は、「年を取れば、おそらく考えが変わるかもしれない。経験もしてないうちから、言えるのは若者の特権。実際に体力も落ちていないし、容姿も落ちてないのだから。年上の苦労が分かるためには、自分の将来の顔写真の姿や、体力が衰えた場面を想像するなどするしかない」と思ってもらいたいのです。
ともかく、他者への想像力が欠ける人達は、正直、無能に近いと思います。
いや、無能というのは、クリエイティブ能力に特に当てはまりますね。
クリエイティブ能力とは、他者への想像もできるからです。
最後に、初代ガンダムのアニメで、セーラさん(という人物)と、他の乗組員が捕虜となった敵兵士がホワイトベース(軍艦)から脱出しようとした際、撃ち落としてしまって乗組員が、呆然とした場面があります。
そのとき、セーラさんはこういいます。「気にすることはないわ。私たちもいつああなるかわからないのだから」
つまり、戦争中は自分の身を守る、生き延びるのが最優先であり、他人にまでかまえないということです。
戦争という時代が悪かったのです。
他者への想像力が欠ける人達が、「自分だけで精一杯であり、他者の面倒まで見る余裕がない」状態なら、ある意味、仕方ない面もあります。
そういう余裕がない人たちも、一定数いて、そういう人は仕方ないでしょう。
余裕が少しでもある人は、「他者への想像力」も多少、意識してもらえたら、世の中、良くなるかもしれません。
最後に、今回の記事を下書きに温めておいたら、橋下元市長の以下の記事が掲載されていました。
「橋下徹ソウル報告「米日の政治家、何よりも日本国民は、ソウルの普通の市民生活を想像しろ!」というタイトルです。
https://blogos.com/article/221143/
「ソウルの普通の市民のことを想像しろ!」という意見ですね。
しかし、日本の政治家は基本的に、日本の国民、日本の国益を考えるものですから、韓国の国民、国益まで考えるのは、日本の政治家の仕事じゃないと感じます。
ちょっと、「他者への想像」が行き過ぎたかもしれません。
まずは、自国の国益で、次に他国の国益や地球市民としての国益が、順番的なセオリーかと思います。。。
ではこの辺で。(3685文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。