どうも、武信です。(No245)
天分とは、「天から与えられた性質・才能・職分」を指します。
「才能?と似たようなもの?」と思われた人もいるでしょう。
「人には天分がある」という言葉に興味があったら、ぜひ続きをお読みください。
短く、サクッと読める記事です。
1 前置き。
「人には天分がある」というタイトルで論じたいと思います。
天分とは、「天から与えられた性質・才能・職分」を指します。
「天分をわきまえる」という言葉もあります。
以下の記事で、僕は当事者意識やプレイヤー意識が大事であり、「管理職になれば管理職らしくなる」や「親になれば親らしくなる」と書きました。
「多次元と視点(立場や打席)の話」
人間力とは?「多次元と視点(立場や打席)の話」「副題 あなたは多元的に物事を見て、しかも違う視点から物事を頻繁に見ていますか?有料情報哲学系」
これらは言わば、「地位が人を作る」とも言い換えられそうです。
しかし、僕は以下の記事で、自分の主張を否定しました。
「立場に就いたり、自分事になっても興味がない場合がある」
人間力とは?「立場に就いたり、自分事になっても興味ない場合がある」「副題 人間は当事者になっても変わらない人がいます」
立場に就いたり、自分事になっても興味ない場合があるという話です。
当事者、プレイヤーになっても興味が持てず、本気にもなれないという話です。
2 「経営者の教科書」からの引用。
そんなことを書いていたら、経営コンサルタントの小宮一慶氏の「経営者の教科書」に似たような記述を発見しました。
以下、引用します。
地位は人をつくらない。
地位を与えることに関して、私は一つ持論を持っています。
「地位は人をつくる」と言いますが、私は必ずしもそうだとは思いません。
正確には、「もともとの実力や潜在能力のある人が地位につけば、地位は人をつくる」という意味だと思っています。
一般の人が、プロ野球のバッターボックスに立つことができたとしても、プロの投手の球を打てるということはまずありません。
それと同様に、実力や潜在能力を持った人でない限り、地位を与えても活躍はしません。
身体的な能力だけでなく、知的能力や精神的能力ももともと持っていたもの、あるいはそれをある程度まで努力などで伸ばしたものでない限りは、場を与えても発揮できないのです。
ですから、人を昇進させる際などには、その人の能力や潜在能力などを見極めて地位を与えなければ、組織も大混乱になり、本人もとても大変なことになるのです。以上、ここまで。P293より。
3 人には天分がある。
僕は当事者やプレーヤーになり、打席を与えるチャンスを与えるのは大事だと思っていました。
しかし、興味がない人もいるので、チャンスを与える人を見極めないといけないとも書きました。
僕とほぼ似たようなことを書いていたので、紹介しました。
誰もが経営者や一流のプレーヤーになれるわけではなく、そう考えると、「人には天分がある」という言葉がぴったりと当てはまります。
「人には天分がある」のだから、皆を打席に立たせる必要はないのでしょう。
管理職の適性がない人を管理職に就けるのは部下も迷惑を被り、本人も苦しみます。
親になってはいけない人が、親になれば子どもが苦しみます。
当事者意識、プレーヤー意識を持たせ、早めに打席に立たせたり、チャンスを与えるのは大事なことなのですが、それには才能があり、野心がある人限定という特徴があるのです。
そういう才能も野心もない人は、出世させるべきではないのです。
周りも本人にも害が及びます。
4 人には天分があるを理解しないと組織や国が滅ぶ。
の本質を理解しないと、組織や会社や国が滅ぶかもしれない重大事だと感じます。
極端な例をいえば、「誰が社長や首相をやっても同じ」というのはほぼありえません。
属人性が高い政治や経営の世界ではそうなります。
社長や政治家はよく選ばないといけません。ふさわしい人がやらないといけません。
例えば、かなり愚かな知能な人が首相をやり、教育改革やたくさんの政治改革をやったら、国の方向性がおかしくなり国が衰退します。
結局、出世できなかった人というのは、やはり「見る人」から見て「ふさわしくなかった人」なのです。
傲慢に聴こえる人もいるかもしれませんが、その地位に「ふさわしい人」というのはいます。
そして、その地位にふさわしい人をきちんとつけないと、組織は傾きます。
かなり要注意な点です。
ではこの辺で。(2199文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
参考・引用文献。
「経営者の教科書」