人類共存・多様性の意味とは?「人類、皆が分かり合うことはない。だが、頷くことはできる」

どうも、武信です。(No925)  

 

突然ですが、「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という言葉は実は進化論を提唱したダーウィンの言葉ではないらしいです。

 

しかも、この解釈は都合よく使われています。

 

企業などでも「時代の変化に対応できた会社だけが生き延びた!」というように捉えられがちです。

 

ですが、変化に適応できる人が生き延びたということは「非効率で無駄が多いこと、つまり余力・バッファ」が必要だったこととイコールなのです。

 

例えば、行き過ぎた効率化により、冗長性が失われた社会は、予期せぬ災害や疫病流行に対応できなくなります。

 

不透明で先が見えない時代において生き延びるために、企業の「選択と集中」と効率化を正当化するために、「時代の変化に対応できた会社だけが生き延びた!」という言葉が使われるのはあまり良くないのでしょう。

 

つまり、毒にも薬にもならない、将来、役に立つかも分からない人やモノや研究や企業が、時代の変化によっては台頭し、急に輝くこともあるということです。

だからこそ、多様性は意味があると言えます。

 

そもそも、画一的で同じような人ばかりなら、1極集中であり、この世の中でも商品にせよ、サービスにせよ、品揃えや種類がまったく少なくなります。

いろいろな人がいて、切磋琢磨して、いろいろな挑戦をして、商品やサービスを作るから、多様性があり、品揃えも豊富になります。

 

今回は、そんな多様性の話です。

また、タイトルにあるように、「人類、皆が分かり合うことはない。だが、頷くことはできる」というテーマから入り、多様性の話へとつなげます。

興味がある人は続きをお読みください。

 

1 「人類、皆が分かり合うことはない。だが、頷くことはできる」

人類、皆が分かり合うことはありません。

 

価値観・思想・趣味など、全く異なる人達が、共存して暮らしています。

 

ここで大事な価値観として、「他人の価値観などを心底理解し、同意しなくても、一方的に否定したり、攻撃したり、迫害することはすべきではない、ということ」と、「他人の価値観まで入り込み、阻害せず、踏み込まず、ただ頷くことはできる」ということを言いたいのです。

 

何が言いたいかというと、まったく価値観が合わないと思う人がいたら、金だけの関係になればいいですし(金銭社会)、相手を攻撃したり、迫害したりせず、「頷いて、そっと距離を取ればいいのでは?」ということです。

 

もちろん、犯罪行為であれば、法治国家である日本においては裁判で決着をつけるのでしょう。

 

そして、嫌な人と付き合わない権利もあると思うのです。

 

ネオ高等遊民@哲学Youtuberさんのツイートを貼ります。

 

「twitterで健全な精神を保つには、 違和感を3回もったアカウントは、ミュートするかフォロー外しましょう。この規定に従ってなんらかの有益な情報を得る機会を失うことは、きっとありません。多少有益だとしても、私たちの健康上は不利益な情報のほうが多いかと思われます。」以上、ここまで。

 

これはTwitter界隈において、「自分とは価値観がまったく合わないなぁ」と思う人がいたら、「ミュートかフォロー外しか、攻撃されたなどならブロックすればいい」ということと僕は解釈します。

 

3回が適切かは分かりませんが、「この人のツイートはもう見たくない」と思ったら、ミュートかフォロー外しすればいいでしょう。

 

また、僕はツイート主で、違和感や文章が下手な人のツイートを見たら、なるべくスルーか、見ないようにしてます。

 

なぜかというと、感染して、自分の文体にも微妙に影響してしまうからです。

 

下手な人のスポーツのプレーを見ると、自分も下手になり、上手い人のプレーを見ると、自分も多少、上手くなる感覚があるように思います。

口調や口癖は長く一緒にいる人と似てきます。

ミラーニューロンが働くからでしょう。

 

文章やツイートはそこまで影響はないでしょうが、僕は文章を書く人なので、そこも最新の注意を払っています。(変な癖が移るのを防いでいるのです)

 

話を戻します。

 

「価値観は人それぞれ」であり、「別に見たくない、付き合いたくない相手とは付き合わなくていい権利がある」と思うのです。

 

ですが、ここで注意点を述べます。

 

記事の冒頭では、多様性の大事さを説いてきましたが、ここで「多様性はそんないいことばかりじゃない」ということを言います。

 

2 世の中には勝者になりやすく、出世しやすい価値観がある。

世の中には「勝者や出世しやすい価値観」というのがあります。

それはここでは詳しくは省きますが、間違いなくあります。

 

その勝者の価値観を否定するのは自由ですが、もし受け入れないとするならば、出世はしません。

世界中で経済戦争が起きており、勝つため、生き延びるために皆、必死です。

 

そんな中、日本も勝者の価値観が出来上がっています。

勝者の価値観とは、簡単に言えば「不正をせずに結果を出せる人、または才能がある上に、努力を猛烈にする人が報われるべき」というものです。

 

努力を猛烈にし、不正をせずに結果を出せば、国が潤いますし、それは国力につながり、国民へ還元もできるのです。

 

また、弱者への分配も可能になります。

つまり、勝者がたくさんいた方が、弱者も救われる可能性が高くなるのです。

 

金持ちから貧乏人へ富がこぼれ落ちる「トリクルダウン説」は否定されていますが、僕はある程度は機能すると思います。

いざというときは、金持ちがたくさんいた方が、良いのです。

税率の調整ができるからです。

 

そして、多様性の担保の本当の目的は、勝者になるためであり、日本が豊かだからこそ、多様な人が存在できるのです。

 

これが仮に、日本が貧乏になったら、多様性なんて言っている余裕がなくなるので、ある意味「多様性が確保できている」のは日本が豊かな証拠なのです。

 

ですから、岸田さんが言うように、安倍政権により、大企業と一部の人は潤ったかもしれませんが、中小企業や地方まで豊かさが到達しなかったのは事実なので、そういう層への適切な分配という話につながるのでしょう。

 

単なる岸田さんの分配策ではなく、もっと地方や中小企業を飛躍させる案を以下に書きます。

 

ここからは政治系の話に移ります。追加事項です。

 

3 テレワークこそが、地方と中小企業を救う!(補足)

僕はそもそも地方というのは、「東京と比べたら、生産性が格段に落ちる」と思っています。

中小企業もそうですし、人材の質的にもです。

 

また、地方は観光産業や農業などに頼っている部分もありますし、東京や首都圏みたいに大企業が集積しているわけでもありません。

 

交通インフラの面でも、東京は電車で効率よく人が動くのに対し(今はコロナで人が少ないですが)、地方は車社会であり、移動の効率が悪いのです。

 

そういう側面を考えると、まさに地方や中小企業こそ、「デジタル化を強烈に推し進めるのが生産性を上げる最善策なのでは?」と思えてきます。

 

観光は当分、壊滅的であり、Go toキャンペーンが展開されていますが、不透明です。(海外からの顧客は当分、見込めません)

 

で、地方でも、テレワークを強烈に推進し、「地方の車移動という弱点を逆手に取り、働き方改革を進めればいいのでは?」と思うのです。

 

また、テレワークを強烈に進めれば、地方に住んでいても、首都圏の人と仕事ができます。

 

もちろん、対面じゃないと難しい仕事はありますが、テレワークが地方や中小企業にとっては救世主になる印象を持っています。

 

また、役所の事務手続きなども、電子化を強烈に進めれば、わざわざ出向く必要もなくなり、これも生産性をあげます。(地方移住者は特に)

 

テレワークにもいろいろな弊害があるのは知っています。

孤独時間管理の難しさコミュニケーションの難しさ(Zoom飲み会疲れ、チャットが面倒くさい、リアルならすぐ横の人に聞けるけどできないなど)などありますが、それを補う良さもテレワークにあると感じます。

 

地方や中小企業こそ、テレワークが効くのでは?という仮説です。

 

東京にある大企業やベンチャーは、移動の効率も良く、人材の質も高く、テレワークの効果もある程度あるにせよ、劇的なのかどうかは不明です。

 

ですが、コロナ下においては、首都圏でも通勤電車の人数を減らすため、テレワークが推進されました。

 

効果のほどはどうだったのでしょうかね?

 

ではこの辺で。(3707文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・Youtube動画などを基にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。 

参考・引用文献。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70729

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