どうも、武信です。(No880)
過去記事です。
ピコ太郎が流行ったのは2016年ぐらいからなので、その当時の記事です。(2020年7月26日に追記しました)
今さら感満載の時事ネタ記事ですが、「普遍性のある話題・テーマ」だと思ったので、取り上げて、記事化します。
「ピコ太郎が日本で一時的にも流行ったことが、いかに害であるか?」、「そのテーマがどんな普遍性を持つのか?」興味がある人は続きをお読みください。
1 ピコ太郎が流行るのが害な理由1
ピコ太郎が世界的に流行っているようです。(2016年〜)
YouTubeの再生回数がものすごいことになっています。
ここでピコ太郎の大ヒットを基に、「なぜピコ太郎が流行るのが害なのか?」を論じたいと思います。
1 ヒットの基準を歪めることで、クリエイターの創作意欲を奪うか、質の低い作品が濫造され、世界的にも日本の作品が恥をかくことになるかもしれない。
これが僕の主張です。
ピコ太郎の良さが少なくとも、僕や家族や友人の数人には分からなかったようです。
ピコ太郎の「PPAP」や「ネオサングラス」は特に、どこが良いのか全く分かりませんでした。
2 ピコ太郎が流行ることの害の具体例。
ここで「芸術とは主観だ!」という前提がありますが、主観といってもある程度の質の基準がある立場で論じたいと思います。
ピコ太郎とは逆に、質が高い例として、RadioFishを挙げたいと思います。
2016年の年末に、ピコ太郎とRadioFishは紅白に出ていましたね。
「ピコ太郎の動画の質の低さ」をいったん基準としてしまうと、世の中に不公平さが出てきてしまう問題があります。
つまり、ピコ太郎ぐらいで認められるなら「俺も!」というようなYouTuberが大量に発生するのです。
そして、YouTuberの人達は嘆くことになります。
ピコ太郎とほぼ同等か、それ以上の質が高いと思われる動画を挙げているのに、ヒットしないと。
そうなると、「ピコ太郎は単に世間での露出(TVです)が多いだけでヒットしているのでは?」と嫉妬するようになります。
3 ピコ太郎はやらせ?
実際、ピコ太郎は僕は「やらせの要素が高い」と感じています。
TVでのプッシュが半端ないからです。
いわゆるゴリ押しです。
TVでこれだけ話題になると、ピコ太郎を検索して、1度は見てみようという層が必ず現れます。
その人達がYouTubeの回数に貢献することになります。
こうして、虚像が作られるのです。
そして、ヒットの基準を歪めることで、制作者たちの負担が出てきしまう問題があります。
4 小説に応用してみる。
これを小説や音楽に当てはめれば、すぐに「ピコ太郎を無理やり流行らせたことの害」が分かります。
小説で駄作と言われるレベルがバカ売れした例として、歌手の絢香の夫である水島ヒロの「KAGEROU」があります。
これはミリオンを超えましたが後に、酷評にさらされることになります。
あんな駄作が売れまくり、やはり小説は「誰が書くのか?」が重要であり、「中身なんて大して見られていないんだなぁ」と失望した人も多いと推測します。
5 僕の芸術論。
ここで芸術論を書きます。
芸術とは主観であり、人それぞれで満足度が違います。
質が低くてもその人が満足しているならば、芸術としては成り立っているとは言えます。
ただし、それが大衆品やバカ売れや大ヒットとなると、問題点が出てきます。
質が低い作品が少数派だけの間で認めれているうちは、「まぁ芸術は主観だからね」で済ますことができます。
しかし、大衆作品や大ヒットまで行き着くと、それが日本の基準になり、世界から見たら「あんな作品で日本人は喜んでいるんだ」と思われるということになります。
ピコ太郎の場合、世界的ヒットなので、世界の大衆が満足したように思われますが本当でしょうか?
「日本人はこんなので満足しているのか?」と思われてしまった可能性はないでしょうか?
RadioFishが世界的に流行ったとなれば、日本人の僕としても「日本の基準は世界基準レベルだ!」と主張できるのですが。。。
ピコ太郎の場合「これが日本基準だ!」とは決して言えません。
僕だけでしょうか?
実際、2020年7月26日現在、ピコ太郎はまだ活動を続けており、最新作の「PPAP2020」のYouTubeの再生回数は1146万回となっています。
チャンネル登録会員数は65.9万人です。
で、コメント欄を見ると、「まだ、日本人で見ている人いる?」が多いです。
つまり、世界中の人が見ているようですが、日本人はほぼ見ていないのです。
日本人の大半は「ピコ太郎の実力なんて認めていない」ことになります。
そして、世界中の人が一応、見ているようですが、「日本人の音楽はこの程度だ」と認識されたのです。
「日本人の大半の人に実力を認めていない作品が世界の人に見られた」のです。
6 質の低い作品の大ヒット現象はろくなことがない。
このようにクリエイターの創作意欲を奪ったり、嫉妬心を生んだり、ろくなことがないのが「質の低い作品の大ヒット現象」の背景にはあるのです。
ちなみにピコ太郎の初アルバム「PPAP」が2016年の発売初週に2万1000枚を売上げ、オリコンランキング3位になったそうです。
2万1000枚ってしょぼくないですか?
これらの数字には自社買いも、加えて少数ですが、身内買いも含まれるでしょう。
そうなると、実数は1万枚台になりそうです。
金を払ってまで聞きたいアルバムではない、つまり「質が低い」という証明になります。
ピコ太郎がいかに「TV局の過剰なプッシュにより作られた存在か?」が分かります。
ピコ太郎なんて、日本人の多くには認められておらず、売れてもいない上に、TV局のゴリ押しと、世界的なプロモーションのおかげで、YouTubeだけ見られただけなのです。
しかも、悪い意味で、多くの世界中の人に見られたと思われます。
7 ブログ界でもピコ太郎現象は起きている。
この現象はブログ界でも起きています。
イケダハヤト氏は炎上商法で注目を集め、質がそれほど高くないと思われる記事を量産しながら、大儲けしたと言われています。
なぜイケダ氏が叩かれるのか?
まっとうなやり方でまっとうな成果物を出してないからです。
ここにも「ピコ太郎現象と似た構造」を見ることができます。
イケダ氏が他のブロガーよりも質が高く、まっとうなやり方で儲けていたら、ほとんどの人は批判なんてしないのです。
批判されるには理由があるのです。
僕の今回の記事で書いた「他のクリエイターの創作意欲を奪うか、嫉妬心を生む、さらには世界の恥になる」ということですね。
幸い、ブログ界は世界への進出はないようので、世界の恥は除外です。(国内問題です)
8 イケダ氏を批判するブロガーはイケダ氏の正当性を認めていない&ネット界の事情。
批判するブロガー達はイケダ氏の正当性を認めていないわけです。
これはイケダ氏を認めた信者たちにも責任があります。
イケダ氏を信者たちが認めていなかったら、イケダ氏は生まれていなかったのですが、その信者たちがもっと質の高い人達を目指し、認める傾向があれば、その結果生まれたであろうポストイケダ氏は正当性があることになり(質が高い記事量産なので)、批判は起きづらくなるということになります。
つまり、紙の出版物並みの編集社らによるフィルターがかけられているからこそ、紙の出版物は質が担保されているのですが、ネットではそのフィルター役が無知な信者達であり、だからこそイケダ氏を生んだということになります。
「情弱の無知なレベルの低い人達が、イケダ氏を産んだ」のです。
ネットの世界は玉石混淆であり、くだらない記事で満載なのです。
フィルターはほぼかかっていません。
だから、イケダ氏の批判派やアンチが生まれるのは必然だったのです。
ちゃんとした正当性のあるブロガーを認める文化があれば、こういうことは起こりづらいです。
世の中、批判されるにはちゃんとした理由があるのですね。
とここまで書きましたが、YouTubeのイケダハヤト氏は、喋り方が面白く、やり手だと思いました。
少なくとも、ブログのような質の低い記事ではなく、内容のあるYouTube動画であり、これなら批判やアンチは少なくなるだろうなぁと思いました。
イケダハヤト氏はブログで散々、炎上しながらも、上手い波乗り(YouTube界)をしたなぁと思います。
ではこの辺で。(3817文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。