どうも、武信です。(No849)
落とされない小論文という本があります。
小論文試験というと、大学受験では稀であり、就活や公務員試験などでようやく受けるという人もいるでしょう。(大学時代は論文を書かされますけどね)
そして、小論文試験において、「落とされない」という意味では、減点方式が中心であり、無難であれば、通るということも意味します。
つまり、加点の要素が少なくても、減点が少なく、無難な内容で、少なくとも落とされない小論文が出来上がります。
僕はこの考えに一石を投じたいと思います。
興味がある人は続きをお読みください。
1 基本的に小論文というのはエリート向けの試験である。
まず、小論文という試験は「基本的にはエリート向けの試験である」、という点を抑えておく必要があります。
僕は大学受験において、日本論文プラットフォーム案を構想しましたが、対象受験生は偏差値60以上で、16%に過ぎません。
それ以外の受験生は対象にしていないのです。
なぜなら、「採点の大変さ」という理由もありますが、そもそも「論文を書く行為はエリート向け」あると考えており、偏差値59以下の受験生はそこまでの論文力を必要としていないと考えたからです。
2 小論文試験が発展するとどうなるか?
小論文試験が発展すると、「論文・企画案・ビジネスコンテスト・小説など芸術作品の賞」になると僕は考えています。
詳しく説明します。
小論文は文章力の基礎を見ており、さらに減点・加点方式になっているでしょう。
加点となると、新規性のある独自アイデアか否かや、論理的に書かれているか、または「論文試験が求める採点基準により、加点するか決まる」と思われます。
まず、大前提として、小論文試験には採点基準があり、その求める基準に沿う・応える内容を書かないと、減点されますし、加点につながらないということが言えます。
しかし、その減点・加点方式において、「基準を満たしていればとりあえず機械的?に採点する」というのは僕は滑稽だと思っているのです。
なぜかというと、受験生は落とされたくなくて必死ですから、採点基準を満たす無難な内容に落ち着く回答が頻発するようになるからです。(予備校なども、そういう風に指導しますから、余計に同じような回答だらけになります)
そして、このような回答が多くなると、試験主催者側も採点基準を満たしているため、落とせず、さらに受験生側もそのように対応してくるので、双方にいいことがないのです。
ここで、小論文から話をずらし、小論文の発展型の「論文・企画案・ビジネスコンテスト・小説など芸術作品の賞」に焦点を移します。
3 「論文・企画案・ビジネスコンテスト・小説など芸術作品の賞」の性質。
「論文・企画案・ビジネスコンテスト・小説など芸術作品の賞」の性質を詳しく解説します。
論文が評価されるには斬新な内容・視点(今までに発表されたことがない)が不可欠でしょう。
過去に発表された内容を改善する・パワーアップさせた内容も多少は意味があるでしょうが、基本的には今までにない画期的な内容・視点が盛り込まれていると評価されます。
そして、減点方式の無難な内容の論文なんて評価されないのです。
次に、「企画案・ビジネスコンテスト」に移ります。
「企画案・ビジネスコンテスト」も、基本的には新規事業の成功率は極端に低いので、無難な内容を書いても評価されません。
加点方式で、攻めの内容で、上手くいきそうな内容が評価されます。
もちろん、突飛な現実化できない内容は意味ないですが、現実的に実現可能性がある上での突飛な発想で、上手くいきそうなら、評価されます。
そして、「企画案・ビジネスコンテスト」も、無難な内容のモノなら、却下され、採用されず、ビジネスコンテストも受賞者なし、とかあり得ると思います。
最後に、「小説など芸術作品の賞」はそれこそ売れそうなモノが賞を受賞します。
売れそうな芸術作品ということは、無難にまとまっているモノではまったく評価されず、小説では特にそうですが、「受賞者なし」がけっこう出ます。
つまり、尖っていて、攻めていて、加点方式の魅力ある芸術作品に賞が与えられます。
ここまで読んできて、気づきましたか?
「論文・企画案・ビジネスコンテスト・小説など芸術作品の賞」は、減点方式の、無難な内容など求めておらず、攻めていて、尖っていて、加点方式の魅力あるモノが評価される世界なのです。
「受賞者なし・採用なし」も普通にある世界です。
「落とされない小論文」のような、無難な内容のモノなど求めていません。
もちろん、最低限の文章力や、ミスが極力少ない完成品は評価の対象にされますが、それよりも加点方式の方がよほど重要視されます。
僕は「小論文試験は全部、基本的に加点方式にすべき」だと思っています。
100点の配点があるとしたら、魅力がある場合だけ、加点していき、無難な内容のモノは0点にするのです。
こうすれば、受験生は加点方式に適応し、無難にまとまらず、攻めの尖った内容を書いてきます。
採点者も、毎年、「予備校に指導されたお決まりの無難な落とされない小論文の文章」を見なくて済むようになるのです。
双方に、Win-Winになります。
4 ビジネス・戦争の世界でも、攻め・スピードの視点は大事。
「「破壊的イノベーション」と「進化」の経営 DISRUPTIVE STRATEGY」という本に戦争や経営のことが書かれていたので、紹介します。
ミッドウェイ海戦において、実はアメリカの方がかなり不利だったそうなのですが、日本はチャンスを活かせず、敗北しました。
その理由として、著者は「攻め」と「スピード」の視点がなかったからと言っています。
日本は空母を6隻持っており、アメリカには2隻しかなかったですし、その2隻のうちの1隻もわずか3日間の応急修理で戦線に送り込まれたモノです。
アメリカが暗号解読に成功したのが勝利の要因だったという分析もありますが、現実はそうじゃなく、航空機そのものと航空隊の技量は圧倒的に日本が優勢だったのです。
それにも関わらず、負けたのは日本のエリートとアメリカのエリートの考え方の違いであり、それこそが「攻め」と「スピード」だったのです。
詳しくは本を読んでみてください。
さらに、この日本の伝統的な「失敗を恐れ、考えすぎる性質」は、日本の大企業にも適用できると言います。
シリコンバレーにせよ、中国にせよ、イスラエルにせよ、スタートアップ企業はとにかく決断が速く、日本企業は決断があまりにも遅いので、蚊帳の外に置かれがちです。
ここでも、日本の大企業の「攻め」と「スピード」のなさが浮き彫りになります。
もちろん、日本の大企業の「守り」と「遅さ」が有利に働くこともあり、その典型例が「内部留保を溜め込んだこと」にあります。
リーマンショックで痛い目に遭った日本の大企業は、政府にいくら「内部留保を積極的に使え!」と言われても全く応じませんでしたが、コロナショックにおいて、その正しさは証明されてしまったのです。
ですが、これも時と場合によりけりであり、「守り」と「遅さ」ばかりでは、成長性という面では期待できず、現実に日本のGDP・日本人の給料は低迷中です。
アメリカは「攻め」と「スピード」により、成長しまくり、GDPもかなり増えました。(もちろん、人口の数、若さ、など成長要因はいろいろありますが、「攻め」と「スピード」という視点の違いも影響しているでしょう)
あとは、日本のスピードの遅さの象徴として、「紙の書類、関係部署への広範な稟議、形式、ガバナンス」はあるでしょう。
対して、イスラエルや欧米は、キーデシジョンメーカー(組織の意思決定者)の理解と、口頭での説明で事足ります。
この手続きで、「組織的な合意が決まる」のですが、イスラエルや欧米と日本では踏む手順が違いすぎて、スピードに遅さが出るのは当然と言えます。
また、日本の企業でイノベーションに関しては、意思決定がコーポレート(イノベーション室などの本社機能)と、事業部門に分かれており、事業部門はROEや利益、キャッシュなど短期の利益最大化重視であり、それが弱みなので、コーポレートが音頭を取り、アライアンス、VCなどへの投資、CVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)の設立運営を考えることなどを行っています。
これらのコーポレートと事業部門の分離により、最終意思決定が遅くなる要因もあります。
また、日本のメンタリティとしての「失敗をしない」は、電車の正確な運行、医療技術の高さ、商品の欠品率の低さ(カップラーメンなどに少しでも欠陥があると大量に回収される)、今回のコロナでの日本の民度の高さ、などにプラスに働いています。
コロナで、日本人の死者が極端に少ない、または感染拡大が欧米ほどには到っていない理由として、麻生太郎氏は「民度の違い」と述べましたが、僕は以下のように解釈しました。
それは、日本人は「失敗をしない」「マイナス方向に捉えがちが国民性」という点です。
対して、欧米(特にラテン系は該当)は「大雑把」「楽天的・プラス方向に捉えがちな国民性」だと思っています。
日本は災害が多い国なので、慎重で用心深い人が生き残ってきたからでしょう。
マイナスに捉えがちな国民性ということは、頻繁に手洗い・うがいなどをしますし、3密もなるべく守ろうとし(日本が従順な国民性という意味もある)、マスクも頻繁にちゃんとつける行動に表れます。
もちろん、欧米のように「ハグや握手やキスをしない文化」など違う要素もあるでしょう。
ですが、「慎重で用心深い」「マイナスに捉えがちな国民性」が、今回のコロナでは相当、活きたと僕は思っています。
さらにSatoshi Nakagawaさんのツイートにあるように、以下の分析も考えられます。
「USって一握りのめちゃくちゃ優秀なエリートがその他の人があまりがんばなくてもいいスケーラブルな仕組みを作って全体として高い成果を上げてる国なので、今回みたいな全員ががんばらないといけないみたいな状況には構造的に弱い。」以上、ここまで。
アメリカの「エリート主義・庶民は弱い」と日本の「エリートは弱い・庶民は最強」がそれこそ民度の高さで表れたとも表現できるでしょうかね。
加えて、アジア圏の人々は「コロナに強い」「コロナに罹りにくい」など言う人もいますが、まだ不明です。
文化的理由だけで、ここまでの欧米との死者数の差は証明しづらく、交差免疫説が有力と言う人もいますね。(簡単に言えば「コロナに罹りにくい」ということです)
以下の記事に詳しいです。
https://blog.goo.ne.jp/oioi1234567/e/3dc1c5ee494ed8260905dedb840226af
「軽い風邪」の経験が免疫に?…注目される「交差免疫説」
さて、日本の伝統的な思考・文化が、「落とされない小論文」に全部、表れていると僕は思っています。
加点方式の「攻め」と「スピード」より、「いかに減点しないか、失敗しないか、ミスをしないか」に思考が偏り、よって無難な内容に仕上がるという形に落ち着きます。
さて、最後に、余談として、将棋やスポーツや生き方の話をしますね。
5 将棋やスポーツや生き方の話。
将棋でも、棋風が表れます。
攻撃的なタイプと防御型のタイプです。
もちろん、一流棋士ともなれば、万能型(攻撃も防御も一流)になりますが、それでも積極的に自陣が危なくなっていても攻めていくのは棋風によります。
安全策で勝てる試合もあるのに、敢えて、リスクを冒して攻めていくのです。
そして、こういう勝ち方をする人には高い技量が求められ、実力があります。
次に、ボクシングで言えば、「守り重視かポイント重視の判定型で勝つタイプ」がいますが、それよりも「KOばかりを狙うタイプ」もいます。
難易度で言えば、KOタイプでしょう。
KOを狙うには、リスクを冒して積極的に攻める上に、相当なタフさが求められますからね。
僕の事例ですが、テニスでも「守り重視か攻め重視か」表れると思います。
僕は素人テニスですが、攻め重視です。
素人なので、かなり失敗するリスクがあるのに、なるべく攻めるようにしています。
理由はその方が面白いから。
安全策で無難に勝つのはそこまで面白くないのです。
プロのテニス選手は攻めも守りも一流でしょうが、積極的にミスを恐れず、攻めてスーパーショットのような魅せる戦い方をする選手もいます。
そういう攻めの選手の方が、安全策の選手より、実力が高いです。(難易度が高いので)
さらに、やる気の出し方でも、攻撃型と防御型があります。
以下のDaiGoのブログに書かれているので、読んでみてください。
やる気の出し方がわかる心理テスト
これは生き方の問題と捉えることもできるでしょうかね。
積極的に、攻めていく生き方と、あまり攻めず安全策でいく生き方です。
日本人は災害大国や、失敗・ミスを叩く風潮がある上に、不安遺伝子を持っている人が多いので、攻めるタイプより、安全策重視の人が多いと思われます。
それが、日本という国のあらゆるところに表れています。
小論文の話から、かなり話の範囲が広がりましたが、参考になったら幸いです。
注意。平易に書いたので、この情報のどこが「超・有料級」なのか分からない人もいるかもしれませんが、内容的には高度で重要なことを言っています。
ではこの辺で。(5941文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
参考・引用文献。
「「破壊的イノベーション」と「進化」の経営 DISRUPTIVE STRATEGY」