どうも、武信です。(No701)
2017年の記事です。
コミュ力の重要性は最近、叫ばれており、僕も教育改革において重要項目に挙げていました。
従来のペーパー試験では測ってこなかった能力ですし、定量化も難しいです。
定義もいまいち、はっきりしていませんでしたが、僕はその定義化に挑戦してきました。
しかし、ここで改めて原点に返ってみて、「コミュ力って本当はどれくらい必要なのか?」を考察してみたのが今回の記事です。
意外な結果でした。興味がある人は続きをお読みください。
短く、サクッと読める内容です。
1 コミュ力が必要ない仕事。
僕が言うまでもなく、昨今の傾向では企業が従業員などに、コミュ力を求める傾向が高まっています。
コミュ力は僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本」では重要要素として挙げています。
しかし、世の中にはそこまでコミュ力が必要ない仕事もあります。
典型例が第一次産業です。
農業、林業、漁業(水産業)では、コミュ力がほとんど使われません。
第二次産業はどうでしょうか?
製造業、建設業、鉱業です。
現代においては製造業も多様化しており、古典的な第二次産業の枠内に収まりきれない業態も出現しているそうです。
第二次産業も基本的には、そこまでコミュ力を必要としないでしょう。
では、第三次産業はどうでしょうか?
産業の大分類を3部門に集約したもののうち、第1次産業、第2次産業以外の産業。
電気・ガス・水道・運輸・通信・小売・卸売・飲食・金融・保険・不動産・サービス・公務・その他の産業。
現在の日本において、第3次産業の従業者数は全産業の約75%を占めている。コトバンクより。とあります。
第三次産業では、電気・ガス・水道・運輸・公務では高度なコミュ力は必要なさそうです。
通信、小売、卸売も、そこまで高度なコミュ力を必要としないような気がします。
ITなんて、アスペルガーのような人でも活躍できます。
ただし、ITでもSEや上層部にはコミュ力が必要でしょう。
飲食、金融、保険、不動産、サービスでは高度なコミュ力が必要です。
つまり、営業系です。
つまり、製造業の一部と飲食、金融、保険、不動産、サービスとその他の産業の上層部には、コミュ力が必要ということになりそうです。
となると、コミュ力が必要な割合はどれくらいになるのでしょうかねー。
2 動画の要約。
次に、以下の動画を見てください。
中野信子さんのコミュ力の究極的なあり方について述べています。
「社会性、コミュ力いりません!」というタイトルです。
簡単に要約します。
「機械がかなり高度化したら、コミュニケーションは必要ない」といいます。
社会性は無駄だといいます。
無駄な社会性を身に着けなければいけなかった理由は、個体では生き延びれなかったからです。
社会性のなさを補うために都市化が発達してきたのですが、「機械化が進めば都市化と同じ効果だ」といいます。
「機械が高度化すれば、言語化せずとも生き延びれる」といいます。
人間性も大した意味がなく、生き延びるためにコミュ力や社会性が必要だっただけなのです。
個体の脆弱性(個体では生き延びれない)から、社会を変えてきた(都市化など)のです。
「生殖さえ必要ない」といいます。
恋愛は娯楽です。
「女性は子供を皆、生みたいといいますが、嘘だ」といいます。
「同調圧力に負けているだけだ」といいます。
「ロボットを完璧にせず、人間らしさを残していると共感されやすいロボットになる」といいます。
「AIができにくいのは非合理性だ」といいます。
「人間はコンピュータができない残酷なことをするのだ」といいます。
「AIがコンピュータを超えると言う研究者は1人もいない」と言います。
「人間の進化もゴールが決まって、進化してきたわけではなく、建て増しであり、追加してきたものだ」といいます。
「人間がAIに勝つとしたら、田舎の旅館のようなぼろさを打ち出すべきであり、都会の綺麗な旅館はAIに任せればいい」といいます。以上、ここまで。
3 僕の意見。
コミュニケーションさえ、ほとんど要らない時代が来るかもしれないと主張ですね。
しかし、僕は恋愛にせよ、家族にせよ、コミュニケーションなしに成立しにくいと思っているので、仕事上のコミュ力の割合は減るかもしれませんが、根本の部分でのコミュ力は必要だと思います。
高度なコミュ力をどれくらいの層が必要としているのか?
改めて、考えてみると意外と少ないと実感しました。
ただ、重要職業ではコミュ力は必須です。
ではこの辺で。(2121文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。