好きにすれば?論「本人の意思をどれだけ尊重するべきか?」

どうも、武信です。(No661)

 

2017年の記事です。

 

「本人の意思というのは成功を目指すにせよ、何かの選択をするにせよ、尊重されるべきだ」と世の中では思われているでしょう。

 

強制的に本人の意思を無視して、何かをやらせるのはいろいろと面倒なことをもたらします。

 

今回は、本人の意思の問題について考察していきます。

 

このテーマに興味がある人は、続きをお読みください。

 

 

1 ITや起業が良い理由。

 

本人の意思が目的達成のためには重要です。

本人にやる気がなければ始まりません。

 
ですが、例えば、以下の例を書きます。

 

僕は膨大な情報を収集し、世の中の構造を知っています。

そんな中で、能力があるなら、起業ITの世界が最適だと思っています。

 

ITの世界が良いと思う理由は、「費用がそこまでかからず稼げるようになること」と「在宅ワークも可能なこと」と「アスペルガーなどのコミュ症でもできること」と「収入の幅が広い(天井は青天井であり、低くても年収300万ぐらいは行きそう)こと」です。

 

N高校やprogateや本などの独学により、やる気さえあれば格安でITは学べます。

 

最初は中小企業でもいいから勤務しなければなりませんが、実力がついたら独立、フリーランスも可能な世界です。

 

また、コミュ症でもある程度、実力があればやっていきやすいです。

 

収入も実力と生産性に応じて決まることが多いです。(特に、外資は) 

 

2 本人の意思の問題。

 

それに対して、身内のAの子どもですが、「医者になりたい」といいます。

 

その子どもが医者を目指す理由はAの刷り込みが主です。

 

そのAが充分に世の中を調べ尽くした上で、医者という職業を選んだのなら僕は何も異論は挟みませんが、「なんとなく高収入そうだから」という理由で「医者を目指せ!」と言っているのです。

 

ここで、「本人の意思をどれだけ尊重するべきか?」の問題が出てきます。

 

明らかに、医者よりも良い選択肢があるかもしれないのに(身内のAの子は能力が高そうなのです)、「Aの狭い情報から医者という目標を設定し、目指させることを尊重し、僕が新たな情報を知らせずに介入しないでおくべきか?」という問題です。

 

他の例で例えると、「英語で良い勉強法を僕が知っているのに、それをAの身内の人に知らせるべきか?」または、「本人の意思(僕の話にあまり興味ないので聴かない)に任せて放置し、英語を下手くそなやり方でやらせておくべきか?」という問題です。

 

また、Aの家は収入が豊富にあるわけでもないので費用対効果という面でも、医者の道はかなり金がかかってしまいます。(中学受験で私立中学の学費が3年間で500万ぐらい。2人の子がいますので、1000万。さらに塾代などで300万(2人合わせたら、600万)はかかるそうです。合計1600万ぐらいです)

 

ここに高校の授業料や塾代、さらに医学部の学費などを考えると、かなりの負担になります。 

 

3 本人の意思が充分に発揮されるときとは?

 

さて、本人の意思が充分に発揮されるのは充分な情報を得て、判断したときです

充分な情報を得られていない人の判断は将来、誤ることが多いと思います。

 

さらに、充分な情報を持っていなく、判断力がない人から将来、「なんで、過去に言ってくれなかったの?」と言われる場合もあると思います。

 

例えば、僕の知り合いの敏腕営業マンは、今の営業の仕事をやめたいそうです。

 

そして、僕に対して「過去、なんで、公務員を目指したほうがいいって言わなかったの?」と言ってきます。

 

まぁ、冗談も軽く入っていると思いますが、僕は「いや、本人の意思の問題だしね」と答えたと思います。

 

またはその当時、僕は公務員が日本で楽な仕事だとあまり認識していなかったこともあります。

 

この例は、敏腕営業マンは本人の意思の尊重より、強引に押し付けてほしかったという意味であり、表明なのです。

 

「なんで、過去に言ってくれなかったの?」ということですから。 

 

4 どこまで介入すべきか?問題。

 

しかし、本人の意思を尊重するのは大事という人もいて、「どこまで介入すべきなのか?」は難しい問題です。

 

Aの子の例で言えば医者は能力があるのなら、それなりにベストな選択肢かもしれないので僕は放置しようと思います。

 

もっと良い選択肢はITかもしれませんが、向き不向きがありますし、「本人の意思を尊重しろ」と猛烈に反対されたので放っておくことにします。

 

それにしても、介入しようということはそれなりに心配しているという意味であり、「身内に行うことが多い」と思います。

 

過去の記事では以下で言及しています。「人は人、自分は自分」で割り切れるのか?」

家族と他人「「人は人、自分は自分」で割り切れるのか?」

 

僕も身内だからこそ、自分の情報を伝えて、有利に生きて欲しいと思ったのです。

 

他人やそこまでの知り合いじゃなかったら、「本人の意思だよ」と言って、放置していると思います。

 

他人に対しては別に自分に関係ないので、責任などないので「本人の意思の問題だ」「好きにすれば」という意見になるのです。

 

要するに、押し付けたり、強く強調するということはその人のためを思ってのことが多いのです。

「叱られるうちが花」なのです。

 

どうでもよくなったら叱ることさえしませんから。(といっても、自分に迷惑行為をしてきたら、怒りますよ) 

 

5 他人には「本人の意思の問題だ」になりがちであるが、身内でも結局は「本人の意思の問題だ」に行き着く。

 

まぁ、僕のブログ読者には有利に生きて欲しいから、ちゃんと質の高い書いて応援しようと思っていますが、それでも「金をもらっているわけでもない」のでちゃんとフォローする義務もありません。

 

コメントにもきちんと答える義務すらないと思いますが、今のところ僕は返しています。

 

結局、他人やどうでもいい人には「本人の意思の問題だ」や「好きにしたらいい」などの返答になるのだと思います。

 

とはいえ、身内でも最終的には「本人の意思の問題」に落ち着くことは多いです

身内だからこそ、真剣に説明し、介入しようとしても拒否されることがあるからです。

 

僕はその場合は、もはや「身内でも仕方ない」と思っています。

家族や親戚といっても限界があるのです。

 

理解力がない人とも付き合っていかなければならないのです。

 

ではこの辺で。(2924文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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