自分の基準が当たり前ではない論「人は落差を感じて初めて認識する」

  • 2020年2月10日
  • 2020年12月29日
  • 哲学
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どうも、武信です。(No654)

 

2017年の記事です。

 

人は落差を感じたときに初めて、いろいろなことを認識します。

 

この表現だけだと抽象的でよくわからない人も多いでしょうが、記事でもう少し具体的に話していきます。

 

興味がある人は、続きをお読みください。

 

 

1 自分の基準が当たり前となる現実。

 

人は環境に慣れる生き物です。

 

例えば、裕福な家庭に育った子どもは裕福な家庭の子どもで囲まれ、親も裕福な層が多いと、貧困層やヤクザ系の人間とは知り合わないかもしれません

 

つまり、裕福が当たり前、自分の基準となって育つのです。

 

そして、そのまま大人になり、エリートコースに進むと、「できない人間」が世の中にいるということを認識できなくなります

 

「ホンマでっか」のTV番組でやっていましたが、エリートコースの女性ほど、できない人を見たことがないので、できない人と遭遇したとき「自分を困らせるためにやっている」、または「自分への嫌がらせ」だと捉え、かなり常軌を逸した切れ方で怒るそうです。

 

豊田真由子元議員の例ですね。

 

逆に、貧困層やマイルドヤンキー層はそれが当たり前の世界であり、恵まれた層を想像しにくいかもしれません。

 

高学歴系とは出会わないかもしれません。 

 

2 恵まれていることが当たり前になることの弊害と恵まれていることのありがたさとTVは当たり前じゃない話。

 

さて、話を戻します。

 

エリート系は自分とは世界の違う人間(例えば貧困層やヤクザ系やできない人間や性格や育ちの悪い人間など)と出会って初めて、自分がいかに恵まれていたか悟ります。

 

または、普段、性格が良くて、実力者ばかりと付き合っていると、それに慣れてしまい、それが基準となり、ありがたみを忘れてしまうのです

 

そして、「できない人間」と出会うと、実力者や性格の良い人の存在が当たり前じゃないのだと気づくと思うのです。

 

または、何かが下手な人に出会うと、「ああ、実力者の人は上手いし、当たり前だと思っていたけど、全然、当たり前じゃなくて、あの人は上手かったんだ」と気づくのです。

 

会話にせよ、スキルにせよ、下手な人に出会うと、できる人との会話やスキルとの落差に気づきます。

 

そして、反面教師になり、自分はこういう風にはならないようにしようと戒められるのです。


TVの世界の人は、当たり前の世界の人じゃありません。

 

あのコミュ力やプレゼン力が当たり前だと思ったら、マズイです。

彼らはプロですから、相当上手いのです。

 

しかし、TV慣れしてしまうと、そこに気づかなくなってしまいます。

 

アナウンサーの流暢な喋りが当たり前だと感じてしまうのです。(一般人であんなに上手く喋る人は逆に、珍しいです) 

 

3 恵まれていない人が自分と違う世界の人と出会うとどうなるか?とネットの影響で可視化。

 

逆に、貧困層やヤクザ系が高学歴や富裕層など、自分と違う世界の人と出会うと、そのギャップに衝撃を受けます。

「こんな世界があったのか」と驚くわけです。

 

安い飲食店や自炊が当たり前な人にとって、富裕層の高い飲食店が日常の世界を知ったら、驚くわけです。

味にも驚くでしょう。

 

または、貧困層やヤクザ系が高学歴層に出会うと、「あまりの坊っちゃんぶり?」に驚くかもしれません。

 

こんな甘やかされたというか、贅沢な環境で過ごしているのかと驚くわけです。

 

このように、人は落差を感じて初めて認識するのです。

 

狭い世界で生きていて、落差のある人などに出会わないと、比較しませんから、気づくこともありません。

 

とはいえ、今はネットの登場で、普段、接する機会がない人と出会えてしまいます

 

「ネットがなかったら、おそらく、出会う機会がない人というのは多い」と思います。

 

ネットの登場でいろいろな人が可視化されたのです。

 

僕のブログを見慣れている読者は、違う人のブログを拝見してみてください。

 

いろいろなブログがあると思いますが、質という面でかなり差がある場合もあるでしょう。

 

まず、文字量が僕のブログの場合、基本的に多いです。

 

それに比べて、文字量も少なく(まぁ、マーケティングで情弱用に敢えてしているかもしれない)、質も低い記事も発見するでしょう。

 

僕のブログが当たり前じゃ、全然ないわけです。

 

もちろん、僕と同等レベルの記事を書いている人もいると思いますが、少数だと思います。 

 

4 人間は普段、接しているものが「当たり前の基準」になる&ではどうするべきか?

 

上手いものばかり食べているとそれに慣れて、マズイものが耐えられなくなります。

 

「できる人間」とばかり付き合っていると、「できない人間」に耐えられなくなります。

 

人間は普段、接しているものが「当たり前の基準」になりがちだからです。

 

その基準から外れている(特に下に)モノに出会うと、嫌悪感や反発心など負の感情が沸き起こります。

 

しかし、僕は思うのです。

そういうときほど客観視すべきだと。

 

つまり、自分の基準があまりにも高いレベルで当たり前になっていないか?と深呼吸して考えるのです

 

そして、「できない人間」や「マズイもの」に出会ってもある程度、許すという気持ちを持つか、長い目で改善させる方向に持っていくか、他人は変えられないからコントロールできる自分だけに集中しようと思うか、などの選択を選ぶしかないのです。

 

以下の記事でも書きましたが、中小企業やベンチャーの社長(特に、エリートから起業した場合)ほど、そのことを身にしみて感じるでしょう。

 

「人を見る目は大事であるが、資源制約下にある以上、ローパフォーマーでも使いこなすしかない。」というタイトルです。

マネジメント初心者シリーズ6「人を見る目は大事であるが、資源制約下にある以上、ローパフォーマーでも使いこなすしかない」

 

なぜなら、起業すると、大企業にはいなかった変な人材が来るようになるからです。

 

普段、接してこなかった人材が来るのです。

 

ここからが勝負どころです。

この変な人材をどう活かすか?です。

 

かなり難しい課題だとは僕も認識しています。

 

このように、人は落差を感じて(経験して)初めて認識する(ありがたみや別世界があるなど)のです。

 

ではこの辺で。(2951文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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