多様性の意味とは?「結局は人それぞれの部分が多いのが世の中」

  • 2020年2月9日
  • 2020年12月28日
  • 思想
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どうも、武信です。(No647)

 

過去記事です。

 

「人それぞれの部分が多いのが世の中」と聞いて、皆さんはどう感じましたか?

 

「人それぞれってことは、皆バラバラであり、価値観などが多様ってことかな?」って思った人もいるかもしれません。

 

このタイトル、テーマについて深堀りしたのが今回の記事です。

 

興味がある人は、続きをお読みください。

 

 

1 人それぞれの分野とは? 

 

人それぞれと聞いて思い浮かぶ分野は僕なら、「主観的要素が強い分野」、すなわち、「趣味や食べ物や価値観系の話」になります。

 

人の趣味の多様性に文句をつけるべきではないですし、食べ物の好き嫌いも同じです。

 

または、異性の好みも該当するでしょう。

 

ライフスタイルもそれに入るかもしれません。

 

大枠では、価値観系に入ります。

 

人生設計や職業の多様性も、価値観系に入るでしょう。 

 

2 主張とは人それぞれな割合が多いこと。

 

ただし、人それぞれとはいえ、「勝者になりやすい価値観」というのはあります。

 

それは高学歴なら、知的分野で稼げる確率が高まるのもそうですし、異性でもイケメンや美人なら子どももそうなりやいと言えます。

 

そして、思うのが世の中の主張とは究極的にいえば、「人それぞれ」「人による」という主張の割合が多いということです。

 

それが多数派なのか、それとも中間ぐらいか、少数派なのか、外れ値なのかという違いはありますが、主張とは「人それぞれ」な割合が多いと思うのです。 

 

3 人生に絶対に目的は必要なのだろうか?について。

 

人生戦略では僕は、「人生に絶対に目的は必要なのだろうか?」と問いかけています。

 

仕事ではPDCAサイクルを踏めとよく言われますし、同意します。

 

しかし、人生戦略という視点で見たら、絶対に必要なのかは疑問です。

 

会話にも目的のある会話と、目的を求めない会話があります。

 

人生にも目的がない時間を使う時期があるでしょう。

 

僕は目的が定まっていない期間は、「とにかく何かスキルを磨け」と思っています。

後に、それが役立つ、使える可能性があるからです。

 

目的がないからといって、何もしないよりはマシという主張です。

 

しかし、これも人によるのでしょう。

人生は「常に目的ありきなんだ」と考え、目的のない期間は何もしない人もいるかもしれません。

 

それはその人の自由です。

僕はそれこそ、人生の無駄遣いの時間の使い方だなと感じるのですが。 

 

4 本を読むことについて。

 

また、どんな主張にも、その人の価値観は反映されます。

 

成功者や起業家や社長などに本を読む人が多いのは事実ですし、出世するつもりだったり、有利に生きたいなら、本を読んだほうがいい点は僕は譲りませんが、別に出世するつもりもなく、有利に生きるつもりもないのなら、本を読む必要もないかもしれません。

 

僕は「絶対に本を読め」とは言いませんが、人生、不利になるや出世はきつくなるかもとは言っておきます。

 

また、身内には僕は本を読むように勧めることが多いですが、それは身内だからです。

 

ですが、拒否られており、そのため僕は今、放置気味です。 

 

5 多様性豊かということは国力を反映している&人それぞれの部分は多い。

 

「勝者になりやすい価値観」は当然あるのです。

 

そして、人それぞれという多様性が許されるのも勝者の割合が多く、世の中が豊かな場合だけです。

 

貧しくなってきたら、人それぞれの許容度が下がり、多様性が減っていくでしょう。

 

ある意味、多様性豊かということは国力を反映しているのです。

 

「人それぞれ」の部分は多いです。

一つの主張にせよ、絶対的に100%と断言できるのは、自然科学ぐらいなものでしょう。

 

社会科学や人文科学では、外れ値などの例外があります。

 

人間が絡むので、「統計的に有意であるとか、多数に当てはまる」としか言えないわけです。

 

コンピュータの世界は答えは決まっているケースが多く、ミス入力(プログラミングにせよ)したら、動かなくなります。

 

コンピュータは正直です。

 

「人による」という部分が多いのが、人文科学や社会科学なので、そういう分野を扱う場合は統計的に有意であるかとか、外れ値の存在はあるよと示すことなどで、主張の精度や正しさを主張するしかなくなります

 

まぁ、大雑把に言えば、「どれだけ多数派が言っているか、思っているか」で、常識かどうか判断されます。

 

しかし、2対6対2の法則があるように、自分の主張をすれば、2割の反論やアンチ層が湧いてくるのが世の常です。

 

必ず、反論者がいます。

そういう層を相手にするかどうか悩みますよね?

 

そして、自分の主張に全面的に同意か賛成、またはファンの人が2割ぐらいいるのです。

 

さらに、6割のどっちでもない無関心層や浮動票層がいます。

 

自然科学の世界では「人それぞれ」なんてなく、物理的法則に基づいて動いているでしょうから、正しければ反論はないのです。(ですが、科学である以上、反証されることはあります) 

 

6 皆が分かり合えない理由&本の評価軸。

 

「人それぞれ」の分野で主張しているから、皆、分かり合えないのです。

 

少数派だとしても、その人たちはそういう価値観であり、言い分がありますしね

 

そう考えると、「人それぞれの分野」で議論しても徒労に終わるケースが多いと感じます。

 

人文科学や社会科学の議論では、このことを意識して議論する必要があるでしょうね

 

さて、本の評価でも、いくら質が高いと多数が思う本でも、低評価を下す少数派はつきものです。

 

本の評価軸には以下があります。

1 多数が高い評価をつけるケース。いわゆる質の高い本。(少数だけが低評価をつける )

 

2 多数が低い評価をつけるケース。いわゆる質の低い本。(少数だけが高評価をつける)

 

3 半々ぐらいの評価にわかれる本。いわゆる賛否両論の本。(高評価も低評価も同じぐらいか、割合が近い。6対4とか、4対6とか)

 

4  そもそもレビューがほとんどつかない本。いわゆる隠れた本。(高評価だけがついている場合と、低評価がついている場合がある)

 

僕が名著と呼ぶのは、だいたい1のケースが多いです。

 

ですが、たまに3と4もあります。さすがに、2は外すことが多いと思います。

 

ですが、出版の世界(ビジネス書は特に)はベストセラーは1が多いのです。

 

しかし、僕はベストセラーは好きではありません。

そういう売れたベストセラーはあまり勧めません。

 

それより、隠れた名著である、1か3か4のケースの本を勧める場合が多いです。

 

本の場合、ベストセラーほど、凡庸なケースが多いのです

 

やはり難易度というものがあり、ライト層やあまり知的ではない層に読まれるためには、難易度を下げないといけません。

 

そういう本は差別化としては使えなく、差がつかない本なので、僕は嫌うわけです。

 

このように、価値観は本当に人それぞれなので、世の中は難しいなぁと思います。

 

あまり、まとまりませんでしたが、以上です。

 

ではこの辺で。(3137文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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