「企業の採用試験で取り入れるといい案3」

どうも、武信です。(No567)

 

2017年の記事です。 

 

前回の記事が以下です。

「企業の採用試験で取り入れるといい案2」というタイトルです。

「企業の採用試験で取り入れるといい案2」

 

2012年~2013年頃に書いた記事が元なので、情報が古い上に、僕の実力がそこまで高くなかった頃なのですが、「僕の実力がどう向上したか?」の変遷を見るには面白い記事かもしれません。

 

過去の僕は未熟でしたが、そういう人でも上達するのです。

 

興味がある人は、続きをお読みください。

 

では書いていきます。

約5000文字ぐらいあります。

 

 

1 「新聞の進化形への反論?にさらに反論」

 

「新聞の進化形への反論?にさらに反論」

 

「朝日新聞の生き残り策を考える」の記事で、新聞の進化形として、個々にカスタマイズされた記事が配信される形だと書いた。

 

要は、個人が読みたい記事だけ読めるようになるということ。

 

この記事に対する、反論めいた記事を見つけたので紹介する。

 

「インターネットではチャンネル争いが起こらない」という記事。

 

簡単にまとめると、TVでは昔は1台が基本であり、家族団欒で見ていて、何を見るかでチャンネル争いがあった。

 

次第に、ビデオなどで録画するようになり、個人の時代が始まった。

 

今では、インターネットが普及し、個人がスマホなどで自由に見る時代。

 

そうなると、昔は大人が「この番組、くだらないよ」と言ってくれたのが、ネット時代には誰も言ってくれなくなる。

 

自分で内容の良し悪しを判断しないといけなくなる。

これは恐ろしいことではないか?と。

 

新聞の進化形が「インターネットではチャンネル争いが起こらない」状況と一緒。

 

つまり、新聞という権威が、国民(特に若者)に、啓蒙や善意の押し付けをできなくなるということだ。

 

しっかりした判断力がある人は新聞の権威がいらない。

 

でも、情報弱者は自分の判断力が高くないので、ネットの偽情報に騙されるというわけだ。

 

でも、僕の考える新聞の進化形は一応、朝日新聞なら朝日新聞の看板があるわけで、記者がある程度、選別できる。

 

朝日新聞の記者が書いた記事なら、その旨を載せる。

そして、素人が書いた記事なら、素人と書く。

 

そうすれば、朝日新聞の権威とある程度の品質は保てる。

 

NAVERまとめに、「朝日新聞の記事ですよ」と載せるようなもの。

 

あとは、個々の判断に任せればいいと思うのだ。

 

つまらない記事に夢中になる人もいるだろうが、そういう人はそもそも、新聞を読まないか、世間の動向に興味がないか、勉強に興味がないのだ。

 

それに、集合知のほうが優れている可能性も高い。

 

結果的に、新聞が押し付けるより、個々が判断力を磨いた方が強くなる。

 

教養や道徳や情報などは学校で教えるか、大学受験で課せばいい。

 

大学受験の力はかなり強力。

大学受験があるおかげで、嫌いな科目でも我慢して学ぶ。

 

メディアが啓蒙することも大事だが、新聞やテレビを強制的に見せることはできない。

 

強制的に読ませても、すぐに内容を忘れる。

 

昔のほうが、今より真面目だったのだろうか?そういう話も聞かない。

今の若者の方が従順という話すら聞く。

 

ネットの力で、逆に情報通になったと思うのだ。

 

昔は10代は学校や親やメディアの世界しか知らなかった。

でも今は、10代でもネットの広大な世界へアクセスできる。

高校生ですら、SKYPEで30代とも話せる。

 

今の若者の方が賢いのは間違いない。だから、もっと個々の判断力を信じてあげるべきだ。

チャンネル争いは起こらなくていいのだ。

 

むしろ、メディアが一つの流れへもっていく方が怖い。

情報統制でもある。

 

ネットで皆で噂を言い合ったほうがいい。

 

「インターネットではチャンネル争いが起こらない」の記事を書いた人は、この状態は恐ろしいと書いたが、では新聞という権威をそこまで信じ切れるのだろうか?

 

もしくは、政府の言うことを信じられるのだろうか?

新聞も政府もミスリードしまくりの過去がある。

 

原発報道の是非、年金不祥事、発掘あるある大辞典の不祥事など、挙げたら切りがない。

 

結局は、個々が判断力を磨くしかないのだ。

 

大手メディアだからといって、信じ切るのはよくないし、昔より、皆が情報を共有できる場所(ネット)ができたことは、好ましいのではないか?

 

ネットはいろいろな意見が書き込まれる。

大手メディアは一方方向の垂れ流し。印象操作、やりたい放題。

 

どちらがまともだろうか?

 

そういう意味では「インターネットではチャンネル争いが起こらない」は確かな事実だが、僕の提案する電子新聞では朝日新聞などの看板を記銘するので、ある程度の品質は保てると主張しておく。

 

ある程度の品質は保てるが、素人の参入もあるので個々の判断力も必要だ。

 

ところで、ブログ主は僕の記事に反論したのかどうかはよくわからない。以上、ここまで。

 

4〜5年くらい前の記事なので、未熟ですね。

 

2 「情報化社会は情報では儲けられない」の記事をレビューしてみた

 

さらに、2012年~2013年ごろに書いた記事を載せます。(未熟なときです)

 

「情報化社会は情報では儲けられない」の記事をレビューしてみた。

 

ネタ元は以下。(今、見たら、リンク先がなくなっていました)

 

著者の意見を要約してみると、雑誌やTVの情報が儲からなくなっているのは、端的に言えばネットのせい。

 

情報化社会だから、情報で儲けられると勘違いしては困ると主張している。

 

情報は一部しか知らない情報を拡散すること(落差)から、利益を得る。

 

しかし、ネットの登場で、情報格差が縮まった。

 

TVや新聞や雑誌が独占していた情報が、ネット上に容易に広まるようになった。

 

著者はさらに主張する。

本で稼ごうとは思わないこと。趣味でやるべき。

 

そうなると、ジャーナリストやクリエイターは食えなくなるので、その場合には税金投入もありうると。

 

それでも、ぎりぎり生活できる程度にすべき。

収入が少なくても、本当に情報発信したい人だけがそういう仕事をするべきだと。

 

これが一つ目の記事の大まかな主張。

 

二つ目は、信頼性の問題について、著者は書いている。

ネット上の玉石混交とした情報は、大手メディアと違って、信頼性がないのでは?と。

 

著者は反論する。

著者はネットの情報は意外と信頼できると主張。

 

オープンなので、相互チェックが入る。

間違いなら、反論されて、ツイッターなどでも拡散されるだろうと。

 

逆に大手メディアは間違った意見は書けないかもしれない。

もしくは過激な意見は。

 

もし、どこかの企業が倒産寸前と書いたら、その予言を自己成就させてしまう力が大手メディアにはある。

 

そして、後で修正して、「あの記事は間違えでした」では済まされない。

 

もし、その企業がその記事のせいで、本当に倒産してしまったら、尚のこと。

 

その点、ブログ記事は、修正可能。

 

しかし、修正可能ということは意見がコロコロと変わるのでは?という心配は持たれるが。(この部分は著者は指摘していない、念のため)

 

著者は「正しい情報」はオープンなネットの世界だからこそ、逆に健全だと主張する。

 

大手メディアは「正しい情報」を内部だけで判断している。

それを盲目的に信じるのもどうかと。

 

オープンなネットの世界だからこそ、相互チェックが入り、正しさが更新される。

ウィキペディアが典型例(これは僕の意見)。

 

最後に著者は信頼できる情報取得に、有償メディアがやはり必要というのには賛成しないという。実名である必要さえない。

 

以上、著者の主著をまとめた。曲解もあるかもしれないが。

 

3 「情報化社会は情報では儲けられない」の記事をレビューしてみた2

 

ここで、僕の意見を書く。

 

まず、信頼できる情報取得に有償メディアが必要かどうか。

 

僕は、コンテンツに金を払う人はけっこういると思う。今後も。

理由は、有償メディアは総じて、質が高いからである。

 

特に、雑誌(週刊ダイヤモンドなど)や本は質が高い。

要は、ネットの質の低い情報で満足できるかどうか?なのだ。

 

ネットの検索エンジンで情報収集してみたが、質が低いこと、低いこと。

 

もっと検索技術が優れていれば、もう少し質の高い情報が入手できるのかもしれないが。

 

次に、記事を書いて、金をもらう人をプロと呼ぼう。書くことで稼いでいる人はプロ。

 

そして、金をほぼもらってない人はアマチュアと呼ぼう。

 

ネットの世界はアマチュアだらけと言えよう。

記事を書いて金をもらっている人はほとんどいない。

 

そして、質の高さでは総じてプロの方が高いと言えよう。

だから、金をもらえるわけだ。

 

アマチュアで、もし質の高い記事を書ける人がいたとしたらどうなるか?

 

そういうアマチュアがネット上に溢れるほどいるようになると、確かに、著者の言うように情報化社会は情報では儲けられなくなるだろう。

 

しかしだ。現段階ではアマチュアではそういう人は少ない。

そして、アマチュアで質の高い記事を書ける人は、プロの世界にスカウトされると思う。

 

稼げる能力があるのだから、無償でやるより稼いだ方がいいよ となる。

 

そうなると、ネットの世界はいつまでたっても、アマチュアだらけの世界になる。

 

アマチュアの質の低い記事で満足できる人が増大したならば、有償メディアは危機だ

 

でも、そんな世界が果たして訪れるのだろうか?

これが僕の著者への反論だ。

 

信頼性がどうという世界だけではないのだ。質の問題なのだ。

 

信頼性で言えば、新聞もTVも誤報をすることがある。

TVで言えば、発掘あるある大辞典が有名だ。捏造である。

 

嘘のダイエット番組を流していた。

 

新聞も、ミスリードしまくりである。

今では、本でよく売れる題名に「新聞、メディアが報じない~」と書かれるほどだ。

 

新聞の権威も落ちたものだ。

 

そもそも、データだけは信頼に足るが、記者の個人的な主張は疑問を持ちながら、読む必要がある。

 

さらに著者に注文を。

 

情報化社会では情報で儲けられなくなるが、コンテンツを作るのには金や労力がかかる。

 

人件費などをねん出するために、税金を投入してはどうか?と著者は提案した。

 

では実際に、どれくらいの金額を想定しているのだろう?

 

その具体的な金額を出してみたら、コンテンツに関わってない人には非難・反対を受けるかもしれない。

 

いったい、いくらぐらいなのだろう?

 

それと、制度的に難しい面もあるのでは?書籍が出される過程は複雑だ。

 

税金の配分はどうするのだろう?かなり、複雑になるのではないか?ここの具体策まで、きちんと詰めていたとしたら、ぜひ書いてほしい。以上、ここまで。

 

4 後から考察。

 

5〜6年くらい前の記事なので、未熟な点があったと思います。

 

アマチュアの質の低い記事で満足する層が今は一定数現れたと思います。

 

僕は想定していなかった世界です。

 

イケハヤ氏やはあちゅうさんや、その他の派生ブロガーの記事が氾濫しています。

 

ですが、有償メディアもきちんと生き残っています。

 

やはり、質の高い内容を求める読者層が一定数いるのです。(さらにYoutubeなどの動画に移ったことも想定外でした)

 

この層に、有償メディアは支えられています。

 

やはり、アマチュアレベルの記事に満足できない層はまだ残っているのですよね。

 

この層が今後、どうなるか?次第で、有償メディアの行方が決まると思います。

 

出版業界は縮小気味なようです。

ビジネス書ブームも終わりました。

 

ビジネス書の場合、同じことを主張しており、読者が飽きたという説もあります。(実際は目新しい情報は更新されて、出版されているのですけどね) 

 

勝間和代さんのような、ビジネス書のスター的著者がいなくなったのも原因でしょう。

 

また、有償メディアは有料メルマガや有料noteに軸が移ったとも感じます。

 

藤沢数希氏の恋愛工学メルマガやホリエモンのメルマガが代表例です。

 

昨今、流行りのオンラインサロンは有償メディアというより、コミュニティでしょう。

 

そこは情報強者の集まりかといえば、そうではない気がします。

 

音楽業界も同じく縮小傾向です。新しいスターがいません。

スターがいてこそ、その業界は輝きます。

 

まぁ、音楽業界はCD売上より、物販やコンサートに儲けの軸を移しています。

 

以上、「企業の採用試験で取り入れるといい案」という論点からは遠ざかりましたが。 

 

ではこの辺で。(5247文字) 

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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