「人間の論理と感情は別」

  • 2020年1月24日
  • 2020年12月24日
  • 心理学
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どうも、武信です。(No545)

 

2017年の記事です。

 

ウーマンラッシュアワー村本さんの記事から、深堀りした人間心理を考察していきます。

 

一般層の大半の心理を、知ることができる記事です。

 

アンチがなぜあれほど騒ぐのか?理解できるかと。

 

興味がある方は、続きをお読みください。

 

 

1 ウーマンラッシュアワー村本「選挙に行かなかった。多数が国民の総意なら、選挙に興味なかった俺たちが国民の総意。台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ。」の記事の要約。

 

まず、以下の記事をお読みください。

 

「ウーマンラッシュアワー村本「選挙に行かなかった。多数が国民の総意なら、選挙に興味がなかった俺たちが国民の総意。台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ。」というタイトルです。

 

https://togetter.com/li/1164048

 

ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんが、以下のツイートを書きました。

 

「声を大にして言う。僕は今年は選挙に行かなかった。全国民で選挙に行かなかったやつの方が多い。多数決の多数が国民の総意なら、選挙に興味なかった俺たちが国民の総意。わがままを言う。台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ。」以上、ここまで。

 

2 僕の意見。

 

これは僕の以下の記事を読めば、論理的にはある程度、正しいことを言っているとわかると思います。

 

「なぜ、選挙で棄権すると政治に意見を言う資格がないと言われるのか?」というタイトル記事です。

日本の選挙システム「なぜ、選挙で棄権すると政治に意見を言う資格がないと言われるのか?」

 

僕も選挙を棄権しました。

 

理由は、誰が敵か味方か不明だったので、中立の立場を取りたかったのと、「投票先がない」というものでした。

 

投票先がないということは欲しい商品がないということなので、「選挙にいかせるぐらい政治に興味を持たせろ」という主張も僕はある程度、わかります。

 

ですが、政治や選挙の構造上、それは難しいとも書きました。

 

だからこそ、「マシなものを選ぶのが選挙の投票行為」とも書きました。

 

ここまで理解した上で、アンチがコメントを書いていないことは明白です。

 

アンチは言葉尻をとって、感情的に反応し、批判するからです。 

 

3 人間は論理と感情でできている。

 

人間は論理(理性とも言う)と感情でできているので、論理でいくら説明しても、感情では納得できないという人がいるのです。

 

選挙の件も、僕の理屈を理解すれば「投票に行かなくても文句いってもいい」とある程度、わかると思いますが、感情的にはやはり「投票も行かず、政治に文句言うなよ」となるわけです。

 

僕は、そういう人間の感情部分も重要視しなければいけないと思います。

なぜなら、論理的に考えられる層の方が少数派だからです。

 

大半の人間は、感情で動く人が多いのです。

 

だからこそ、従来の合理的な人間を想定した経済学が崩壊し、不合理を前提とした行動経済学が流行っているのです。

 

人間の行動は不合理であり、非論理的であり、感情の動物です。

 

または、直観もかなり重視します。

 

そういう面を理解していればたぶん、いくら正しいことを言っていても、感情で反発される意見は炎上ということになります。

 

人間社会ってそういうものなのです。論理だけじゃないんですよ。

 

感情面があるのです。嫌いな人の言うことは、「論理的にいくら正しくても、あまり聞きたくないか、まず反論から入る」のです。

 

好きな人の言うことは、「まず、ちゃんと聞こうということから入り、そして疑う人はちゃんと検証する」という姿勢です。

 

嫌いな人とと、好きな人とでは、人間は聞く姿勢がまるで違うのです。

これが人間の感情です。 

 

4 僕の事例。

 

僕のブログにケチをつける人も、僕が嫌い(というか、僕に好かれてないから嫌う面もある)だから、反論できるところはないか?という姿勢からまず入ります。

 

全部、疑いながら読むのです。

 

僕のことを好きな人はまず、ちゃんと理解しようという姿勢から入り、明らかにおかしいと思った箇所は指摘する、ということになります。

 

言う前から、勝負はついているということです。

 

人間は感情の動物なので、嫌われている場合、まずは嫌われるから、嫌われてない時点までもっていくことが大事です。

 

好かれるまでいくには、さらに努力が必要になります。 

 

5 村上大輔さんの記事の引用。

 

加えて、村本大輔さんの意図が書かれています。

 

「ウーマン村本、衆院選投票せず、を告白 行かなかった人の理由を可視化させたいと」というタイトル記事です。(消されたようです)

 

自分が行かなかったことを告白して叩かれることで、行かなかった人たちに選挙の意義を伝える狙いがあるのだという。

 

選挙に行かなかった理由として、村本さんは「日本は病気だとして政治家は医者。薬が公約だとして、その薬のいいとこだけ教えてくれて肝心の副作用を伝えない医者をおれは信じない。そんな怪しい医者に大切な日本を任せきれない。だから行かない」と説明した。

 

「たった3週間でいい政党悪い政党判断できない」ことも理由で、数社の新聞を読んでいるが、「溢れる疑問と不信感。だから行かなかった」そうだ。

 

「行かなかった」ことを告白した理由については「選挙になぜいかないかを議論したい。半分いるならぜひすべきだ」と明かした。

 

「ぜひ今回のおれを叩いて、投票行かなかった無党派の人に、選挙の素晴らしさをアピールして。(中略) 一緒に次回選挙の投票率、いや関心率をあげよう」と、その意図について語った。とあります。以上、引用ここまで。

 

6 感情的な人の反応。

 

それらに反論やアンチからのツイートもけっこう来ているようです。

感情的なコメントも多いでしょうね。

 

また、論理的には、高学歴の人ほど、学歴を気にしてしまいます。

 

いくら頭では学歴は通過点であり、仕事での実績が大事と知っていても、おそらく田中角栄の中卒の学歴には、感情的に「なんか、嫌だな」レベルで見てしまうと思います。

 

あれだけ登り詰めた人でも高学歴層からしたら、どこかで「結局は中卒だろ」と感情的には感じてしまうのです。

 

僕のことも、僕がいくらブログ記事で頻繁に実力というかシグナルを出しても、学歴やその他の結果を出していないなどで、頭では実力者なのだろうなと思ってくれる人もいるかもしれませんが、感情的には「だけどなぁ」と思うのです。

 

他にはスポーツの試合では、善戦しても多くの人、例えば、厳しいタイプ(特にエニアグラムタイプ3が当てはまる)は、「勝てなかったら意味ないな」と思うでしょう。

 

プロセス主義者の僕でさえ、たまに善戦してる姿を見ても「やっぱり、勝たないとなぁ」と思ってしまうことがあるくらいですから、他のもっと多くの結果主義者は余計に「勝たないと意味がない」と思うでしょうね。

 

さらにボクシングで言えば、勝ったとしても、僅差でKOがないと、「もっと打ち合って欲しいし、KOしてくれ」と思ってしまうのが、人間の感情的な反応なのです。

 

自分は棚に置いておいて、他人には厳しいのが多くの人ですから。

 

僕はそこで認知の歪みに気づき、「でも、プレイしている人たちは必死に努力している」んだよなぁと、感情面は封印して、論理的に考え直してます。

 

このように人間は、論理と感情の動物です。

そして、感情の方が勝る場合が多いです。

 

僕のような「中身でなるべく判断しよう」という層は1割いないと思います。

 

僕はプロセスをめちゃくちゃ研究することで、選挙の結果もある程度、当てました。

 

プロセスが結果に結びつくと心底、信じているから、プロセスをちゃんと見て、結果はおまけと考えているのです。(結果を出すことはもちろん、大事と考えていますが、猛烈に死ぬほど努力しても結果が出ないことありますという意味です。特に、一流のライバルがいる世界ではそうです。敵が強すぎるのです)

 

ではこの辺で。(3670文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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