誰のせい?「自己責任と他者責任と社会的責任」

どうも、武信です。(No508)

 

自己責任はよく叫ばれていますが、他者責任と社会的責任については多く語られていない気がします。

 

今回は3つの視点で切り込みます。

 

「具体的にどのような内容なのか?」興味がある人は続きをお読みください。

 

 

1 3つの割合は人によって異なる&3つの割合の事例。

 

社会人になると、精神的にも経済的にも自立していくと思いますが、自立や自活していても、「自己責任意識、他者責任意識、社会的責任意識」の割合は、人によって異なると思います。

 

自己責任とは、自分に責任がある(自分のせいだと考えること)という考えであり、他者のせいや、社会(世の中)のせいにしません。

 

しかし、現実の世の中において、他者責任、社会的責任(世の中)は存在します。

 

例として、自動車事故を挙げます。

 

自動車の玉突き事故が起きたと仮にして、雪の日だったとしましょう。

 

雪の日に、タイヤにチェーン義務付けされるそうですが、議論が割れています。

 

「大雪時のチェーン義務化、国交省→スタッドレス義務化でいいだろ。」というタイトルです。

 

 

「スタッドレス義務化でいいだろ」という意見が多いようです。

 

玉突き事故が起きた場合、それを起こした車は当然、悪いことになり、玉突きされた車は悪くありません。(自己責任ではなく他者責任)

 

しかし、そもそも雪の日にノーマルでいるのが悪いのでは?という視点で考えると、社会的責任(世の中)まで広がります。

 

このように何か問題が起きた場合、「自己責任、他者責任、社会的責任」の割合が異なります。

 

実際、損害補償の額も変わるでしょう。

 

さらに例を挙げます。

 

「イヤホン付け自転車、はねなくても「ひき逃げ」という記事です。(消されたようです)

 

一部、引用します。

 

東京都大田区で今年5月、主婦が車にはねられた事故は、イヤホンを付けて近くを走っていた自転車が原因だったとして、警視庁は27日、自転車に乗っていた東京都大田区の医師の男(30)を重過失傷害道路交通法違反(ひき逃げ)の容疑で、東京地検に書類送検した。

 

警察庁によると、直接、自転車が人をはねていない事故で、イヤホンの「ながら運転」が立件されるのは極めて異例。

 

警視庁は、起訴を求める厳重処分の意見を付けた。以上、ここまで

 

この事件は「誰のせい?」をかなり考慮した事件と言えるでしょう。  

 

2 3つの割合の持ち方で生き方が変わる。

 

社会人として自立している大人なら、「この3つの責任の割合感覚を、どれくらい持っているか?で生き方が変わる」と僕は思っています。

 

例えば、医者にかかるときも、医者は専門家ですが、たまに間違えることも多々あります。

 

その際、自分の病気までなるべく調べて、医者の言うことより、自分の方が正しいと思ったなら、強く言うことも必要なのです。

 

結局は治るかどうかや、治る期間が短縮されるかなどは、僕らの自己責任、自分の判断次第になるのです。

 

間違っている医者の指示通りに、治療や薬を出されたら、マズイでしょう。

 

こういうとき、他人のせいにせず、他人になるべく頼らず、自分の判断、責任で考え、決断、行動すると騙されたり、惑わされることが減り、トラブルが減るのです。

 

そのためには、専門家の領域にまで、知識を地道に増やすことが第一です

 

知識が少なければ少ないほど、自分で判断できる領域が減り、医者などの専門家の指示を仰がなければならなくなります。

 

これはどの領域、分野でも言えます。

 

確かに、他者社会(世の中)の責任の部分もありますが、そこに甘えず、自分の責任であり、自分でなんとかするという気持ちがあり、実際にそうする人が多いほど、世の中で騙される人が減り、自立度が高くなります。

 

社会人になっても、「上司が悪い、会社が悪い、学校が悪い、他人が悪い」などと言っていて、自分が悪い箇所を少なく見積もる人は成長がありませんし、他人や環境任せにしがちになります。

 

もちろん、ほとんど全てを自分のせいだと思い込むのは、精神的にもきついですし、度を超すと病気になりますが、自分が成長したいなら、自己責任の意識の部分を増やした方がいいと思います。

 

自己責任の割合を増やすことが成長につながり、騙される率が低くなり、トラブルは回避でき、予防もでき、生きやすくなるのです。

 

この逆のパターン、他者責任、社会的責任ばかりが多いと、他人任せになり、他人に左右され、挙句の果てには黙され、トラブルは多発し、生きにくくなります

 

3 M1騒動の件。

 

以下の記事を貼りますね。

「茂木健一郎氏「誰も悪くない」M1暴言騒動で見解」というタイトルです。(消されたようです)

 

M1グランプリで、審査員を務めた上沼恵美子さんに対し、「おばはん」や「更年期障害だろ」と酒に酔っていたとはいえ、暴言動画を投稿した2人「とろサーモン久保田さん」と「スーパーマラドーナ武智さん」の件を皆さんは知っていますか?

 

暴言を吐かれた上沼さんは、審査員の引退宣言まで飛び出しました。

 

この件で、僕はそもそもの疑惑判定や好き嫌いによる主観色の強い判定を下した上沼さんが発端であり、きっかけですから、悪いと思っていたのですが、茂木さんは誰も悪くないと言っています。

 

そもそも主観で、好き嫌いで判定するのはありであり、その表現をストレートにするのが上沼さんのキャラであり、それを売れるかどうかの瀬戸際で必死で頑張るM1の舞台において、「許せない」と感じたのが2人だったのだと。

 

そのため、暴言を吐いてしまったのですが、審査判定より、違う部分を批判してしまったのは確かに問題であり、謝罪すべきですが、メディアでは上沼さんが怒って、2人を干すとか言われており、僕はそのお笑い界の構造も問題だなぁと感じています。

 

将棋やスポーツの世界は完全実力主義世界であり、「結果こそ全て」であり、年齢は関係ありません。

 

40代のレジェンドの羽生さんが10代の藤井くんに負けて、「まいりました」というのが将棋の世界です。

 

対して、お笑い界は前にも物議をかもした件があります。

 

パーフェクトヒューマンこと、中田敦彦さんが大御所の松本人志さんを批判したとして、「周囲が謝れ」と言っている騒動がありました。

 

どうも、お笑い界は「大御所の特別待遇」が目立ちます。

 

年功序列、終身雇用の古い世界なんじゃないでしょうか?

 

さらに、メディアの情報操作もすごいです。

 

今や、2人が謝罪し、上沼さんが認めるかどうか?が焦点だと騒いでおり、上沼さんの非は消されています。

 

そこで、茂木さんは「誰も悪くないと言って、おさめようとしている」と感じます。

 

芸能界って「干す」という言葉がかなり使われており、嫌な世界です。

 

大企業でもそんな言葉、使わないんじゃないですか?

能力ある社員をフル活用しないと、業績悪化ですからね。

 

芸能人は僕の以下の記事に書いたように、人生の戦略を練った方がいいと思います。

「いつ、干されるかわからない嫌な世界」ですから。

 

「今の日本で成功者でい続けることの難しさ」というタイトルです。

日本で成功し続けるために「今の日本で成功者でい続けることの難しさ」

 

で、「誰のせい?」という論点は意外と世の中には多く、これが責任の焦点になります。

 

今回のM1騒動も、「誰のせい?」という視点で捉えた、茂木さんの主張は面白いと思います。

 

世間ではメディアのミスリードに引っ張られて、「2人がさかんに悪い」の連呼ですがね。

 

M1騒動については以下の記事でも触れています。

 

「M1上沼審査は的外れ!?お笑いもビッグデータで評価できる時代」の記事について僕が思うこと」というタイトルです。

「M1上沼審査は的外れ!?お笑いもビッグデータで評価できる時代」の記事について僕が思うこと

 

ではこの辺で。(3746文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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