「M1上沼審査は的外れ!?お笑いもビッグデータで評価できる時代」の記事について僕が思うこと

どうも、武信です。(No507)

 

いろいろな記事が出回っていますが、今回、僕はビッグデータに着目した記事を読んだので、その記事に対する僕の見解を述べたいと思います。

 

いろいろな論点を、突っ込みました。

 

興味がある方は、続きをお読みください。

 

 

1 「M1上沼審査は的外れ!?お笑いもビッグデータで評価できる時代」の記事の要約。

 

まず、以下の記事をお読みください。「M1上沼審査は的外れ!?お笑いもビッグデータで評価できる時代」

https://news.yahoo.co.jp/byline/suzukiyuji/20181209-00107152/

 

簡単に、引用・要約します。

 

視聴者はどこで離脱したのか?で、お笑いの評価ができると書いています。(インターネット接続テレビ80万世帯超から、16万世帯ほどから操作ログを抽出したようです)

 

4分の漫才が始まって、何台のテレビが途中でチャンネルを替えたり、テレビを切ってしまったのか?で視聴者によるお笑いの評価ができると言っています。

 

途中流出の多さは、「つまらなかった」とみなすそうです。

 

このデータ分析によると、上沼さんの判定は他のプロと比べると、かなりユニークで変わっていたそうです。

 

ですが、視聴率命のTV局としては流出はヤバイので、その流出の多さも良い評価軸とすると、上沼さんの判定は庶民と似ていたといえるそうです。以上、ここまで。

 

2 僕の意見。

 

この記事で言えることは、流出が指標として重要であり、その指標に沿った判定を上沼さんはしていたということですね。

 

しかし、そもそも流出(途中でチャンネルを替える、チャンネルを切る)が、お笑いの判定の指標として正しいのか?も不明だということです。

 

視聴率という点からは正しいかもしれませんが(紅白でも歌手によって、視聴率が変わるので。最高瞬間視聴率とかもあります)、お笑いの評価として流出を挙げるべきなのでしょうか?

 

そもそも、そんなに頻繁にチャンネルを替えます?

 

「4分あるお笑いで、2分くらいでつまらなかったから、チャンネル変えよう」となって、また終わった頃合いを見て、戻る行為を繰り返すってことですか?

 

視聴者がそんなにこまめに、ザッピングするのですか?

紅白なら、好きな歌手だけを見るザッピングしそうです。

 

年末ですから、他局のTV番組も面白いのがあるでしょう。

 

そして、紅白の歌手ごとの視聴率は「良い曲かどうか」より、単に人気があるかないか、ファンが多いか少ないか?の違いが大きいです。

 

想像すれば分かりますよね?

好きな歌手だけを見たい欲求が視聴者にはあり、好きでも嫌いでもない歌手の場合、見るかどうかは微妙なところです。

 

ただ、こまめにザッピングするか?も微妙です。

紅白でもそんなにこまめに、歌手ごとにザッピングしますか?って話です。

 

かなりランダムに、適当にザッピングしていると思えます。

 

ましてや、M1はそこまで知名度がないお笑い芸人が出場しているのでしょう?

 

「面白いかどうか」を判定するには、きちんと最後まで見ないとわからないじゃないですか。

 

途中で離脱する(2分程度)のも確かにある程度の目安にはなりますが、視聴者心理を考えると、もっと適当にランダムにザッピングしていると思われます。

 

いいでしょう。

ここで、流出をお笑いの評価として仮に認めるとして、上沼さんはその流出という尺度では、庶民に近かったとしましょう。

 

次の章でその意見に反論します。

 

3 僕の意見2

 

そもそも、皆さんは集合知をご存知ですか? 

多くの人の知識が、集合したものですね。

 

集合知は、選挙結果であり(民意とよく言われる)、株式投資であり(美人投票です)、視聴率と言えるでしょう。

 

ですが、そもそも集合知自体が、いい加減であったらどうでしょうか?

 

選挙で言えば、集合知が正しければ民意が正確なのですから、ヒトラーなんて生まれなかったはずですし、日本で言えば民主党が生まれなかったはずです。

 

視聴率でも、そこまで高くない番組でも一部の層に、高く評価されているモノはあります。

 

一例でいえば、「白夜行」というドラマですね。名作ですよ。

 

集合知自体がけっこう怪しいものであり、一人の天才のアイデアのほうが正確だったり、素人の集まりである集合知より、プロの意見の方が正確だったりするのです。

 

政治で言えば、そこまで集合知が正しいのであれば、政策を打ち出したら、毎回、選挙?(データ分析など)でその政策を実行するかどうか、決めればいいじゃないですか?

 

なぜしないのかというと、専門性のある政策は素人には判断が難しいからです。

だからこそ、ある程度勉強した議員が政策を考えたり、投票するわけです。

 

そう考えると、M1の審査でプロじゃなく、集合知の判定を当てにするという論点はどうなんでしょうかね?

それならば、プロの審査員、要らなくないですか? 

 

全部、AIに任せればいいじゃないですかね。

 

完全なる集合知判定という、名目のお笑い番組にするのです。

 

しかし、こういう名目を立てた後は、判定の正確さは増しますが(最初に判定すると言ってますから、視聴者も真剣になる)、今回の場合、宣言してないのですから、視聴者は適当にザッピングしていた説も濃厚なのです。

 

集合知が正しいし、効率的なことももちろんあります。

 

市場ですね。

民間による資本主義の経済活動はお金を尺度して、効率よく資源配分しました。

 

対して、一部のエリートが分配する共産主義は滅びました。

 

ただし、市場にも失敗があります。

 

以下の記事に詳しいです。専門用語だらけなので要注意です。

https://kotobank.jp/word/%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%81%AE%E5%A4%B1%E6%95%97-167614

 

情報の非対称性がある場合も挙げられており、それこそプロと庶民の知識格差でしょう。

 

株式市場ではインサイダー取引は禁止されてますが、知識がある人が有利になるからですね。

 

正直、裁判員制度も微妙なんですよね。

プロの方に判定してもらった方が正確な気がします。

 

ただ、法律や犯罪に対する意識の醸成という意味で、参加させる意味があるかもですね。

 

つまり、市場や、集合知でも当てにならないケースがあり、情報の非対称性もあるのであれば、M1審査に流出という尺度を完全に適用すべきなのか?は微妙なのです。(事前に判定しますよ、という通知があれば、まだ素人の判定も参考になる)

 

ここまで考えて、この著者はお笑いも、ビッグデータで評価できる時代だと主張しているのでしょうかね?

 

まともな今回の件の件に対する記事って、以下の2つぐらいですね。

 

「たけし 久保田&武智の暴言問題に「審査員が判断しちゃいけないこともある」(消されたようです)

 

「茂木健一郎氏「誰も悪くない」M1暴言騒動で見解」」(消されたようです)

 

他の記事は、上沼さんの審査方法には目がいかず、ただ2人の暴言が酷い、「干される」とかそんな内容ばかりでした。

 

最後に、上沼さんが他のプロの審査員と比べてユニークな審査だったとしたら、他のプロの人達はどうなるの?と思います。

 

上沼さんが有能であるとしたら、他のプロの審査員は庶民とは、ズレているとも言えますよね?

 

つまり、主観の要素が満載であり、審査方法は難しいと言っているたけしさんや茂木さんは、かなり一理あることを言っているのです。

 

ではこの辺で。(3221文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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