人間は比較する生き物「人間とは値踏み、比較する生き物である」

どうも、武信です。(No371) 

 

人間とは、「値踏み、比較する生き物!」と聞いて、あなたはどう感じましたか?

 

「そんな邪悪?な生き物なのか!」と思った人もいるかもしれません。

 

または、「どういう意味なんだ?」と慎重な方は考えたかもしれません。

この言葉は実は深い意味があり、その意味を詳しく解説したいと思います。

 

深い意味を読み解きたい方は、続きをお読みください。

 

力作記事かもしれません。

 

 

1 比較の説明。

 

まず、比較から、説明していきます。

 

人間は比較するからこそ、自身を区別できます。

 

極端な話、地球に自分1人しかいなかったら、自分が人間ということさえ、認識できないかもしれません。

 

数人しかいなかったら、天才や特殊な病気の人などが、いない可能性が高く、そういう人達と比較することもないでしょう。

 

つまり、人間社会に生きている以上、多様な人達を目にする機会が増え、僕たちは以前より比較するようになりました。

 

メディアの発達、特に、ネットの存在は大きいです。

 

Facebookでは、いろいろな人達がおり、自己をアピールしています。 

 

2 値踏みの話。(パラメーター、数値化の話)

 

ここで、値踏みの話をします。

 

値踏みとは、簡単に言えば、「ランキング付けをすること」です。(値段をつけることですから)

 

それは、人も対象にします。

 

例えば、ゲームの「三国志」や「信長の野望」や「野球ゲーム」では、能力値がパラメータ化、数値化されています。

 

他の例では、女性や男性の外見などに偏差値をつけたり、ABCDEなどのランキングをつける人もいるでしょう。(藤沢数希氏の小説「僕は愛を証明しようと思う。」では、実際にABCDEなどのランキングがつけられています)

 

ランキング、パラメータ化は、人によって幅の広さが異なります。

 

「上手い、下手」という二分法の人もいれば、100点満点など、もっと詳細に点数化する人もいます。(個人の詳細さ、厳密さの好みの問題かもしれません)

 

3 比較と値踏みを総合する。

 

さて、比較と値踏みを統合すると、人間は「比較、値踏みする生き物」と言えそうですが、言葉の選び方の順番が大事なのです。

 

もっと突き詰めていうと、「値踏み、ランキング化する」とは、「比較していること」なのです。

 

「値踏み→比較化の順番」と言えます。

 

比較だけだったら、比べるだけですが、そこに点数をつけるのが値踏みなのです。

 

値踏みまでするかどうかは、個人差がありそうですが、比較はほとんどの人がしていると思います。

 

つまり、「比較化→値踏みの順番」ではありません。 

 

4 人間は値踏み、比較する生き物であるが正しい。

 

なので、人間はタイトル通り、「値踏み、比較する生き物である」が正しいと思います。

 

もちろん、もっと正確には、人間は「比較する生き物である」(値踏みもやる場合がある)ですけどね。

 

どちらもやるという表現にしたら、「値踏み、比較する生き物である」になり、ここではそう定義します。 

 

5 具体的事例1。

 

さて、人間は 「値踏み、比較する生き物である」の、具体的事例を見て行きましょう。

 

これは、自分がする場合が多いのですが、盲点があります。

 

気づいている人は気づいていますが、「自分がそうするということは、他人にもされている」のです。

 

「他人にも、値踏み、比較されている」のです。

 

例えば女性は、綺麗で若い子は、優秀な大人の男性と付き合ったり、接することができます。

 

そういう大人たちを見てくれば、当然、普通の男子と接すると、面白くないわけです。(この普通の男子はつまらない男だな、と彼女たちは感じているわけです)

 

または、優秀な人と接している人は、普通の平凡な人と接すると、「この人は退屈だな」と内心、ジャッジしているはずです。

 

6 具体的事例2(人間以外)

 

これは人間以外にも、当てはまります。

 

一度、いい体験やサービス、モノに触れると、平凡な体験やサービス、モノがつまらなく思えるのです。

 

サービス業や娯楽業(映画などの芸術系含む)は、苦しい戦いを強いられます。

 

つねに、過去の優秀な作品と比べられるからです。

 

より面白い、過去を超える作品を提供しないといけません。

 

人間は一度、「いいモノ」に触れてしまうと、それが基準になり、それ以下の品質のモノや人へのジャッジは厳しくなります。 

 

7 今の若者の晩婚化へつながる。

 

よって、今の若者の晩婚化が起きている、とも考えられます。

 

マイルドヤンキーが結婚が早いのは、地元以外の世界を見てないからです。

 

つまり、高望みしてないのです。

 

これが高学歴女子になったり、都会に行くと、洗練された大人たちと触れるので、高望み傾向が出てきます。(基準値が上がるのですね)

 

そして、自分の魅力はその洗練された大人たちと同等ではないのに、基準値が上がってしまった結果、セフレにされたり、普通の男子では妥協できなくなり、婚期が遅れるわけです。 

 

8 結論。

 

このように、「値踏み、比較する」人間の性質は、現代では悪い方向に影響していそうです。

 

値踏み、比較することから解き放たれれば、つまり、狭い世界に生きていれば、それなりに幸せなこともあるのです。

 

ではこの辺で。(2433文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

最新情報をチェックしよう!