どうも、武信です。(No205)
2016年の記事かな。
この記事で言う、哲学とは学問の哲学ではなく、「生きる上での哲学、つまり生き様や価値観」という意味です。
評価基準とは、「採用や人づきあいでの選別やモノ・サービスなどの購買、判断軸」などです
この2つを確立しておくと良いことづくめですよ、という内容です。
具体的な話については記事の続きをお読みください。
処世術として役立つでしょう。
短く、サクッと読める内容です。
1 哲学、評価基準の定義など
今回は「哲学、評価基準などをきちんと確立しておこう」という話題について、論じます。
哲学とは、自分の生きる上での哲学です。生き様です。生きる上での価値観です。
これを確立しておかないと、他人などに左右されてぶれることになります。
まだ若いうちは自分の生きる哲学など、確立できないでしょう。
徐々に確立していき、出来上がった後はぶれないようにした方がいいです。
評価基準とは、採用や人づきあいでの選別やモノ・サービスなどの購買、判断軸などです。
人づきあいは選別基準を確立しておかないと、ヤバイ奴と付き合うことになり、後で痛い目に遭います。別れるのが大変なのです。
2 購買などで騙されないために
モノ・サービスなどの購買でも企業側のセールス手法はプロですから、きちんと評価基準を確立しておかないと、無駄な買い物をさせられることになります。
あの手、この手で買わせようとしてきますから。
この具体的なテクニックについてはビジネス書や心理学の本に詳しく書かれています。
「心理学者が教える思うように人の心を動かす話し方」という本は参考になります。
人間は感情やそのときの気分などによって容易に買わされたり、騙されたりします。
評価基準をきちんと確立し、感情や気分、セールストークにも左右されないようにしないと騙されます。
判断軸とは、生きていく上での様々な判断においての軸です。
これもある程度、確立しておかないと毎回、選ぶことに労力を使い、消耗します。
3 哲学や評価基準を確立するには?
このような哲学や評価基準は徐々に確立していくものでしょう。
本や実体験などで、確立するものです。
成功者になりたいなら、本を参考にすると、周りの身近な大半の普通の人の価値観に染まらないように、哲学や評価基準を確立できるようになります。
評価基準を持つには宣伝になりますが、僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本」や僕の著作、または経営学であれば「経営戦略全史」などの全体図、俯瞰図的な、情報の整理本が役立つと思います。
または、「人事の超プロが明かす評価基準」という本も、それぞれの役職ごとに評価基準が示されており、仕事をする人の指針になります。
評価基準が確立されていない人は容易に他者や環境に流されます。
多数派やサクラや成功者に弱いのが人間です。評価基準をきちんと持たないと、軸がぶれまくります。
人事の採用者もフィーリングではなく評価基準をきちんと作って採用すべきです。
実際にフィーリングで採用を行った企業があるようです。以下の記事に載っています。
「入社2年目が採用人事を体験したお話」というタイトルです。
4 世間は冷たいという話
また、「世間は冷たい」ということを認識しておくべきです。
助けてくれるとしたら、身内(家族や親しい友達ぐらい)が基本です。
その他の他者は他人事であり、非常に冷たいと僕は思っています。
「いや、世間は優しいよ。私は親切にされまくりだし」という人は、特に若い女性に多そうですが、それはあなたの「身体目当てか、女性と話したい欲求目当て」です。
男の場合、役に立つスキルを提供できなければ相手にすらされません。
老人が金を貯め込むのも金がなくなったら、相手にされなくなるのを知っているからです。
「世の中、思ったよりも、冷たいですよ」。
また、「人間はされたことを他人にしてしまう」という記事を書きました。
以下に載せます。
「統治論」国民や社員の不満をどのようにしたら為政者はそらせるのか?という記事です。
「統治論」国民や社員の不満をどのようにしたら為政者はそらせるのか?
世間が大して努力もしていない人を礼賛し、賞賛することはまずありません。
そして、他人はあなたの人生に責任を取ってくれませんから、自己責任原則を基本として、あまりにも強引な勧誘や勧めについては断固として拒否することです。
相手が間違っていても責任とってくれませんからね。
自分の判断で間違えた方がマシじゃないでしょうか。
僕はほとんど助けを得られた経験がなく、ほぼ自助努力でやってきましたから、「世間は冷たい」という認識なのかもしれません。
多くの人に助けられた人は「世間は優しい」と思っている可能性があります。
少なくとも僕は搾取やパクられることはすれど、他者から大いに助けられた経験はありません。
そりゃ、こういう歪んだ価値観になってしまいますよ。
執筆術もコンテンツも全部、自助努力で築き上げ、ウェブサイトのデザインだけは外注しましたが、これも金をちゃんと払ってますしね。(Webデザインは過去のブログの話です)
だから、僕は「助けてもらいまくった」人が嫌いなのです。
なぜなら、僕はその間、泥沼の中を這いずり回ってきた人生だったからです。
自助努力以外の何物でもありません。
僕には「自己責任」と言えるポジションがあると言えます。
他人から助けられまくった人は、自己責任なんて言葉は恥ずかしくて言えないと思いますね。
もし、そんな言葉を言う人がいたら僕はよくそんな言葉が言えるなぁとひそかに軽蔑しますね。(他人に助けてもらいまくって感謝している、運が良かったと素直に言えば、正直だと思います。とはいえ今後、僕も誰かに助けられたら考えが変わる可能性はあります)
まぁ僕の生い立ちはともかく、大半の8割ぐらいの人はそんなに恵まれた環境下で育っていないでしょう。
2割の恵まれた層へのルサンチマンがちょっとあるだけです。
そして、その2割の層は自覚もしないで、「自分の力で勝った」と思い込んでいるでしょう。
別に、僕は世の中はこういう構造になっているのだから、仕方ないとしか言えません。
いくら嘆こうが、現実は変わりません。
僕も今後、何とか読者に価値ある情報を提供し、のし上がっていくつもりです。
そして、そんな世の中の構造を少しでも変えたくて、「フィクサーによる日本の教育改革本」で情報格差を少しでも縮めようとしてブログで今後、公開予定です。
現実的に多少は影響、効果があったようなので役目はある程度、こなせたと思います。
ではこの辺で。(3128文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。