2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本5 第3章 下」PART2

どうも、「ホントのメディア」~自由人のための起業・フリーランス・副業塾~運営者の武信です。(No145)

2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本5 第3章 下」PART2です。

構想約5年以上!総文字数約31万2000文字以上の執筆物です。

フィクサーだと僕が思う理由は、2014年頃(正確には2013年頃から着手)から、この本を書き始めており、それと連動して日本の教育改革も進んだことが、まず挙げられます。

また、それ以上の確固たる証拠もありますが、それは伏せることにします。(本が1冊書けるほどの情報量になります) 

5 非認知能力「好奇心」

重要な非認知能力をもう一つ加えましょう。

それは「好奇心」です。

「子どもは40000回質問する」という本によれば、学業的な成功の裏では知的好奇心「労力を伴う認知活動の機会を求め、積極的に携わり、楽しみ、突きつめる傾向」が、大きな役割を果たしていると書いてあります。 

知的好奇心の強さとは知識を習得し、新しい考えを吸収する意欲に他ならないということです。

データによると、好奇心が成績に対して、勤勉さと同じくらい大きな影響を及ぼしているとのこと。

勤勉さと好奇心という性格的特質を合わせると、知能と同程度の価値があることもわかったそうです。P147から。

僕の意見では、好奇心が重要なのはシータ波が出ているからだと考えています。

「受験脳の作り方」という本によればLTPという物質が刺激を繰り返す回数を減らす(つまり、復習回数を減らす)鍵だと書いています。

LTPが出る条件は脳波がシータ派のときであり、シータ波は好奇心の象徴なのです。

はじめてのものに出会ったり、未知の場所にきたりすると自然に脳に生じる脳波ですね。

つまり、わくわくしたり、ドキドキしたりして、好奇心が強く外に向かっている状態です。

反対に飽きたり、マンネリ化したりして興味が薄れると、シータ波は消えてしまいます。

シータ波が出ている海馬では少ない刺激の回数でLTPが起こります。

うまく刺激すると、繰り返す回数を80~90%も減らすことが可能です。

10分の1の刺激数で済みます。記憶力がいい人は何事にも興味を持って接しているからだと思います。

つまり、知りたいという欲求、好奇心が強いのです。記憶力が高ければ学業成績が良くなりますね。

このように、性格(非認知能力か?)は人生の成功においてかなり重要であると言えるでしょう。ペーパー試験は学力など一部しか測ってこなかったのです。

6 ストレス対処能力と話し方

また、サラリーマンに特に必要な能力ですが、ストレス対処能力は重要です。

通勤地獄、会社の人間関係、クレームなどストレスだらけです。

これに家庭内の育児、姑問題、夫婦間のいざこざなど含めたら、ストレスを上手く処理しないとパンクしてしまいます。

集団内にいると、ストレスで疲れてやる気がなくなってしまう人も大勢いると思います。

会社側はそれらをよく理解し、社員のストレスをなるべく少なくし、やる気を上げるべきです。

集団の中に長くいると、教育の弊害を感じていてもそれを克服しようという意欲もなくなってくるし、会社内の問題にも克服しようという気力が失せてきます。

学校や会社の仕組みに疑問を感じていても、それを変えるには相当なパワーが必要です。

そこまでの労力をかける意欲がなくなってしまうのです。

学校や会社で従うことによって、「上手く乗り切れればそれでいいや」という気分になってしまいます。集団の力とはそういうものです。

国や会社が上手く仕組みを作り上げ、マネジメントしないと構成員はそういう態度になってしまいます。

常勝集団を作るのなら、上がちゃんと仕組みを作りあげないといけません。

そして、話し方(ノンバーバル)が重視されます。

ノンバーバルとは「身ぶり・手振り・表情・声など」のことです。

表情や態度が魅力的だったり、声のトーンがちょうどよかったりすれば、印象は良いです。

内面ではなく外面の良さです。芸能人はノンバーバルの手本でしょう。

面接ではノンバーバルがよく判定されます。

営業マンとして恥ずかしくない言動を取れるか?見られます。

一番大事なのは中身ですが、ビジネスでは外面も重要です。コミュ力の説明は以上です。

7 「なぜ理系は文系に使われるのだろうか?」の要約

ここで話題を多少、ずらします。

理系と比べて、文系の方が高い地位に就くケースが多いと言われます。

例えば、大企業のサラリーマン社長やマネジャーや官庁などは文系が多くを占めます。

厚生労働省にあって、官僚のトップ・ポストである事務次官に就くのは、ほとんどが法学部の出身者だそうです。

僕は理系はモノに興味を持ち、文系は人間を研究対象としていると考えています。

つまり、文系学部出身者は人の上に立ちやすい傾向があると言えます。

典型例はマネジメント営業です。

つまり、コミュ力(人間に対する興味)です。

理系はモノに興味を持つので開発や研究をしたがる傾向があります。

しかし、会社の売上を左右し、支えているのは注文やお客を持ってくる営業マンです。

ここからは、ネットの山崎元さんの記事「なぜ理系は文系に使われるのだろうか?」からの引用・まとめです。

http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1405/08/news098.html

ビジネスの世界では、「客を持っている」ことと「ノウハウを持っている」ことの2つが人材価値の根拠となることが多いのですが、確実にかつ高く評価されるのは前者です。

必然的に、営業の王者がビジネス組織全体の王者になりやすいです。

組織のマネジメントにおける意識と行動力でも、理系人材は後れを取ることが多いです。

「技術的に何ができて、組織が今後何をするべきか」という問題はもちろん重要ですが、ある程度組織が成熟してくると同じくらいか、あるいはより重要になるのが「人」「お金」の管理です。

特に、資金繰りは会社の生死に関わるし、人事は組織に属する人々のモチベーションに関わる最重要のテーマです。

理系の人々は他人に対して、専門的に「できるか」「できないか」という専門能力面にだけ関心が向きやすいです。

しかし、良い人事を行うためには評価対象者たちを「どう使えるか?」を価値にして、評価の与え方と人材の使い方を考える必要があります。以上、ここまで。

つまり、理系はモノにばかり興味が偏重しすぎなのです。もっと人間を理解する必要があります。

しかし、人間が苦手なので理系に来たという人は多いと思われます。

したがって、なかなか克服するのは難しい問題かもしれないです。

理系の人たちは自分たちが好きなことをやっているだけだから、そういう人ばかりだと世の中が回りません。というわけで彼らを使う人(文系)が必要になります。 

8 日本の高学歴のまとめ

このように、高学歴はあくまでペーパー試験突破者の場合(AO入試は省く)、ペーパー試験で問われない要因については、能力を測られていないのです。

イノベーターが主に日本を救うと僕は考えています。

スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが数人いるだけで莫大な金額を稼ぎ、税金を収め、雇用も生み出すからです。

ですが、日本の高学歴はそもそもそういう人材育成のための試験ではなかったのです。

経営系・ビジネスの適性とコミュ力(非認知能力も?)が測られていないので、ビジネスで事業を興せるかどうかは未知数です。

対して、学問の素養を見る、つまり、学者や研究者や官僚養成には高学歴は向いています。

学問を使う仕事や研究には高学歴(理系)は強いでしょう。思考力重視路線です。 

しかし、学問だけじゃ国は栄えません。起業家や経営者、そこで働く従業員の能力と勤勉さによって金は稼げます。

研究・開発だけでなく、営業・マネジメントなども大事です。

学者や大学受験信奉者はこう言うかもしれません。教育の目的は教養を身につけたり、人格を育成したりすることだと。

僕は思います。それは「そういう人たちが教養で食っているから言えることだ」と。

大半の民間企業で働いている人は顧客がいて、その顧客のニーズを満たすためにスキルや知識を磨くのです。

教養はあるに越したことはありませんが、もっと実践的なスキルのほうが生きるのに重要です。

もちろん、知識集約型のイノベーションは高度な勉強が重要ですが、主に理系です。文系の教養系は僕から見れば、優先度は低いです。

9 歴史と歴史学と英語について

特に、歴史(近現代は除きます。さらに細かい重箱の隅をつつくような知識の暗記)などは、理系の最重要人材に比べたら価値は落ちると思っています。

ですが、欧米、特にイギリスの大学のオックスフォード大学の歴史学部は、日本で言えば「東大理3」と同じ位置付けだそうです。難易度の話です。

それだけ、歴史学が重視されています。この後、述べますが歴史ではなく歴史学です。

イギリスでは歴史学を学んだ首相は、戦後の首相経験者16人のうち3人います。

ゴードン・ブラウン元首相(2007~10年就任)とハロルド・ウィルソン元首相(1974~76、1964~70年就任)とサー・アレック・ダグラス=ヒューム元首相(1963~64年就任)は皆、オックスフォード大学で現代歴史学を専攻しています。

一方、日本では歴史学を専攻した首相は一人もおらず、圧倒的に多いのは法律学と政治学で近年は経済学専攻の首相も増えています。(「ユダヤ式エッセンシャル学習法」という本を参考にしました) 

ここで、「歴史と歴史学は違う」という話を書きます。

高校で教える「歴史」とは「過去から現在までの出来事の記録」であるのに対して、大学で教える「歴史学」とは「歴史そのものを研究の対象とする学問」のことをいいます。

歴史と歴史学では、学ぼうとする態度がまったく異なります。

そして、歴史学は法学や経済学、社会学、数学、化学、物理学などと異なり、現実の社会やビジネスにおいては役に立たない学問であると思われていますが、本来の歴史学はそうではありません。

歴史学とは過去に起こった出来事を考察し、そこから導き出されたものを教訓として、後の時代に役立てるための学問だからです。

歴史は「人類の失敗史」であり、そこから多くの教訓を学ぶことができます。

歴史の知識を詰め込んだだけでは、「ああ、今回の出来事は過去のあの出来事と似ているなぁ」と考えるだけで終わってしまいます。

ところが、過去の歴史の背景、状況を正確に調べ、現在の背景、条件、状況と比較分析すれば、将来的に同じ出来事が起こるのか起こらないのかを、かなり高い精度で予測することができるようになります。

また、同じ出来事が起こる場合には、その具体的な回避策を考えることもできるようになります。

歴史学の存在意義は知識として丸暗記することではなく、その知識をもとにさまざまな方向から分析し、しっかりした思考方法を身につけることです。

ただし、歴史に関する豊富な知識量がなければ、俯瞰的な視点で物事を見ることはできないのは注意点です。

日本の大学受験の歴史の膨大な細かい暗記は必要なのか?僕は懐疑的です。

大学での歴史学に沿って大学受験の問題を作りなおして欲しいと切に願いますが、マークシートでは限界があるのかもしれません。

ちなみに、歴史学と宗教はグローバル展開を考えている企業は必須事項です。各国の歴史や宗教や文化を知らないとビジネスになりません。

言語は現地の言葉を浅い部分で使えればいいでしょう。現地の言葉で挨拶してくれれば、現地の従業員のやる気も変わるかもしれないです。

最悪の場合、通訳も使えます。英語が必須という今の教育は議論すべきかもしれません。

ここで、話題を変えて英語について述べます。英語は翻訳機・通訳機の大幅な発展が見込める可能性があります。

翻訳家の一部は残ると予測します。完全で正確な翻訳はまだ難しいので、微修正する役割として残るからです。

ですが、大半のHPはそのうちにGoogle翻訳などが向上するのではないでしょうか?

洋書の翻訳機は電子データを解読し、翻訳可能になると思いますが、こなれた訳になるかは分からないです。

優秀なライター(翻訳家も)は必要不可欠でしょう。通訳機も他の企業が開発中でしょう。

研究者が論文を読み書きする際に英語は必要なわけで、聞く・話すの部分はどこまで必要なのか?議論の余地は残っていると僕は考えています。(もう、文科省は外部の民間試験の活用を決めたみたいですが。英語の4技能を使うエリートはほんの一部だろうなぁ)

ではこの辺で。(5575文字)

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・Youtube動画などを基にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

参考・引用文献。

 「子どもは40000回質問する」

「受験脳の作り方」

ネットの山崎元さんの記事「なぜ理系は文系に使われるのだろうか?」

「未来予測を嗤え」

「ユダヤ式エッセンシャル学習法」

「未来予測の超プロが教える本質を見極める勉強法」

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