どうも、武信です。(No102)
3からの続き、4です。
就活の対策や情報やアドバイス「キュレーターが就活本の読書ガイドを書くとしたら」PART3
有料note記事(だった)の一般公開です。
僕の有料記事では、質の面では下位のほうだと思いますが、僕の有料執筆物がどれくらいのレベルなのか判断してもらう意味で公開することにします。(紹介している本が古いという理由もあって、有料で売るのに気が引けたという面もあります)
就活本のキュレーションをして紹介し、その就活本を実際に読んでもらえたら、就活にかなり役立つという内容の記事です。
まぁ就活の本を読まなくても、仕事選びで悩んでいる人は必見の記事です。
1 努力の娯楽化
さらに「努力の娯楽化」という概念もあります。
それは、「他人にはとてつもなく苦行だと見えるのに、本人にはそれほどの苦行には感じないこと」です。
「本人にとって苦行に感じないのは、強みで得意だから負荷が低いのかもしれないし、強烈に好きでのめり込んでいるなどの理由」が推測できます。
他人には苦行の仕事が本人にとっては苦行ではないのならば、強みに昇華できる可能性があります。
そもそも、努力しようと思う時点で、その分野には才能がないと思った方がいいと思います。
「努力とさえ思わないほどのめり込んだり、好きだったり、得意なことがやはり天職なのではないか?」と。
「努力の娯楽化」でキーポイントな点は、「他者からのインセンティブもそれほど必要ないこと」です。
仕事や勉強は普通の人にとっては、かなりのインセンティブを必要とします。
それはアメ(金銭的報酬や褒め言葉や名誉や仕事や勉強だけに専念できる環境など)であり、ムチ(解雇や降格や減給など。)などです。
しかし、「努力の娯楽化」ができている人は、それらがさほどなくても続けられてしまいます。
これは会社にとっても得がたい人材です。
会社にとって社員の成果を上げるためのマネジメントは骨が折れる作業なのですが、「努力の娯楽化」ができている人にはそれほど負担がかからないので楽なのです。
「好き」でこだわりがある分野で、「努力の娯楽化」ができ、強みに格上げされ人に感謝され、金も稼げたらまさに天職でしょう。
そういう職業はほとんどないのが玉に瑕なのですけどね。(だいたい、ほとんどの人が好きな職業は「クリエイターや芸術家や芸能人などの花形」であり、それらは少数しかなれません。また、なれたとしても、ほとんどの人は金が稼げないのが現実です)
2 仕事を好きと言っているうちは一人前じゃない。
違う視点からの意見もあります。
仕事を「好き」と言っているうちは一人前ではないという主張です。
例えば、テニスを趣味でやっているうちは試合などで成果を絶対に出さないと行けないというプレッシャーはありませんし、体調管理もそこまでしなくていいでしょう。
ですが、プロのテニスプレーヤーになれば体調管理、毎日の厳しい練習、そして思うように結果がでない日々に悩むことになります。
そこには、趣味のときの純粋な「楽しさ」「好き」は減っているかもしれません。つまり、「好き」とか言っているうちはまだ真剣にやっていなく甘いという意見です。
よく、制作者も趣味のうちは楽しめますが、職業にすると楽しめなくなると言います。
これは娯楽を受ける側のうちは楽しいのですが、作る側となると苦痛になるとも言い換えられます。(もちろん作るのが楽しいという人には当てはまりません。作り、他人を喜ばせるのが好きという人は天職でしょう)
仕事を「好き」とか言っているうちは一人前ではないのでしょうね。
3 「やらされる15歳 数学への関心「世界最低」」という記事について。
その話題を次のテーマにつなげます。
http://blogos.com/outline/205207/
「やらされる15歳 数学への関心「世界最低」」というタイトルのブログ記事があります。
簡単に要約すると、日本の15歳の数学嗜好は世界最低レベルですが、日本の数学的リテラシー(習熟度など)の平均点はOECD加盟国ではトップということです。
これらを著者は、数学リテラシーはトップだがやらされており、関心・意欲・態度が伴っていないので外圧がなくなったら、メッキがはがれると捉えています。
ですが、僕は別の意見を持っています。
そもそも、成績上位者または難易度が高くなればなるほど、練習や勉強やトレーニング自体はつまらなくなるものなのです。スポーツ選手でも、上位者ほど練習がつまらないと言います。
楽しいと言っているうちは趣味レベルであり、苦しくなった辺りから難易度が上がり、成績として表れるようになります。
よって、日本の15歳の数学嗜好が世界最低なのと世界一の数学リテラシーが同居するのは、別に矛盾でも何でもなく起こり得ることです。
それだけ、日本の15歳は数学が嫌い?になるほど真剣に取り組んでいるのです。本当に好きだけで上位に入れる世界は稀です。
好きというより、嫌いになるかまたは好きや楽しいまではいかないけれど、苦痛度が減るぐらいの感覚の人が上位者だと思います。
ノーベル賞級の人でも、好きだからのめり込むというよりはできるし、勝てるし、結果も出るからどんどんやりたくなっていくが正しいと思います。
これが、いくら好きでもできないし、勝てないし、結果も出ず、おまけに貧乏だとしたら仕事として続けたいと思うでしょうか?
勉強も同じです。数学がいくら好きでも結果が出なければやはり続けたくなくなるか、仕事としては続けさせてもらえませんし、趣味でやるくらいなのです。
今回のブログ執筆者の分析は、別に心配する必要ないのではないでしょうか。
とはいえ、成績の結果も出せてなおかつ、関心も持たせられたら言うことないですけどね。しかし、なかなか難しいことなのです。
上級者になればなるほど、練習や勉強自体は苦痛度が増してくるのが普通ですから。
好きという意味と得意は異なるのですね。上の文章の「好き」といっているうちはまだ真剣にやってない、熟達者じゃないという趣旨のことですね。
4 「数学嫌いの人のためのすべてを可能にする数学脳のつくり方」からの引用。
この話はこれで終了だと思っていたら、別の視点が出てきました。
苫米地英人氏の「数学嫌いの人のためのすべてを可能にする数学脳のつくり方」という本で気付きました。以下、引用です。
もちろん、日本の暗記重視の教育法が100%ダメというわけではない。
数学と理科の教育に関する国際的な評価動向調査TIMSSの最新版2011年小学生の部の結果を見てみると、日本は第5位にランキングされているのに対して、アメリカは第11位と低い。
中学生の部でもアメリカは第9位で第5位の日本に負けている。
こういった結果は2011年だけではない。1995年の第1回TIMSSからずっとそうで、アメリカは数学と理科で日本に勝ったためしがない。
であるのに、なぜ、日本の教育法の批判をするのかといえば、TIMSSで行われているアンケートにこんな結果があるからだ。
「数学は楽しいと思いますか?」という質問に、「凄く楽しいと思う」と答えた小学生が、日本では29.2%なのに比べ、アメリカでは51.1%にものぼっている。
中学生では日本13.2%に対して、アメリカでは27.2%という数字が出ている。
また、「将来自分が望む仕事につくために数学で良い成績を取る必要があるか」に、「強くそう思う」と答えた日本の中学生は22.7%、アメリカでは62.4%と高水準だ。
「数学を使うことが含まれる仕事につきたいか」では、「強くそう思う」と回答した日本の中学生はわずか4.4%。この数字は主要先進国10カ国中最下位だ。
一方、アメリカは上から3番目の16.3%という数字が出ている。
参考までに、第1回から最新の第5回までほぼトップを独占しているシンガポールの数字を紹介すると、51.1%の小学生が「数学が凄く楽しい」と答え、43.1%の中学生が「数学が凄く楽しい」と答えている。
これは日本の数学教育に楽しさがなく、将来性も感じないような教育を施していることの証拠だろう。
では、シンガポールやアメリカで行っている数学教育とはなにかといえば、暗記ではなく、思考訓練なのだ。
単純にいえば、問題の図形化やグラフ化であり、クリティカル(批判的)に物事を見ていく力なのである。さらにいえばアメリカのトップの数学教育は日本とは根本的に違う。(詳しくはP44~46)
中略。
アメリカと日本の教育を比較すること自体が、ナンセンスな話なのである。
日本がアメリカの教育法から学ぶことは、思考を大切にすることは当然として、トップの教育法をどう取り入れるか、だ。
つまり、天才たちの伸びようとする芽をつまないこと。
アメリカのように、優秀な生徒には大学から教授が来るようにするなどの差別化は必要だろう。落ちこぼれを出さない教育は決して悪いものではない。
ただし、それが行き過ぎれば暗記一辺倒になってしまうように、問題はバランスなのだ。以上、ここまで。P42~47引用。
ではこの辺で。(4011文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。