「嫌われる勇気」というビジネス書がいらない考え方。「健全に見下す意識を持つ」」PART1

どうも、 武信です。(No78)

 

人は他人の評価を気にする生き物です。

まったく他人の評価を気にしない変わった人も世の中にはいると思いますが、どちらかと言えば少数でしょう。

 

それでここからが本題なのですが、「嫌われる勇気」という本がミリオンセラー突破したように「あまり他人の評価を気にしないで生きたい」というニーズはけっこうあると踏んでいます。

その他人の評価に振り回されない価値観の持ち方を紹介します。

僕の記事を読めば「嫌われる勇気」を買わないで済むようにしたいです。

 

1 他人への判断軸・評価軸がない人からの評価は当てにならないのだから受け流せ。

まず、ほとんどの人は他者(他社や世の中含む)への正確な判断軸・評価軸を持っていないという事実があります。

 

以下の記事でも触れましたが、ダニング・クルーガー効果のように人は自身を過大評価しがちであり、自身さえ正確に評価できないのなら尚更、他人を正確に評価できるわけがないのです。

 

「世の中の事象を見る際に気をつけるべき要注意ポイント(人生で圧倒的に差がつく教訓)PART1」というタイトルです。

https://hontonomedia.com/selfenlightenmentstudystudies/517/

 

ということは、他人のあなたに対する評価は間違っている可能性も高いのです。

 

なので評価を気にする場合、「実力者や正確な判断軸・評価軸を持っている人」から真剣に注意されたことだけを気にして直せばいいということになります。

それ以外の雑音は受け流せばいいのです。

 

とは言いつつも、下の人(自身も他者も正確に把握できてない人)でも確率的には低いですが、たまに正しいことを言う場合があるのでその点は要注意です

 

つまり、世の中を正しく知ろうと努力し、自身の中に判断軸・評価軸ができれば他人の訳のわからない指摘で右往左往することもなくなるのです。

 

知識がないか判断軸・評価軸がないか、自尊心が低く自信がないから、他者を選別せずに大したことのない人からの評価も気にしてしまうのです。

 

ここで「健全に見下す意識を持つ」ことにつながります。

大したことのない人の注意や指摘は健全に見下して気にしないようにするのです。(もちろん何回も言いますが、大したことのない人でも確率的に低いですが正しい指摘をします

 

とはいえ、大したことのない人の批判ほど余計に「大したことない奴に言われてむかつく」という意識は多少は出てくるでしょう。

 

頭では「この人は評価能力がない可哀想な人だ」と思っていても、批判されると人間は感情の生き物でもありますから一時は腹が立ちます。

 

ですが、時間が立てば「この人は評価能力がない可哀想な人だった」で済ませることができるはずです。

 

僕もSKYPEで高校生男子から「大したことのない人だ」という長文メッセージをもらいましたし、東大か京大?を目指している浪人生女子に「頭悪そう」と言われたこともあります。(この2人は10分ぐらいしか話していませんが)

 

しかし僕は「高校生じゃ評価能力ないし世間を知らないから仕方ないな」と思いましたし、東大か京大?を目指している浪人生女子には「受験直前期でシステム英単語の第4章?も完璧に覚えてないレベルだし、声も微妙な人だしな」と逆に見下しましたw

 

東大か京大?を目指している浪人生女子は僕に「頭が良い大学ってどのラインを超えたらなの?」と言われ、僕が地方国立大かなと答えると、その浪人生はセンター試験を受けていましたから「それじゃ、全部じゃん」と笑われました。(僕がどこの大学を受けようとしているのか?当てようとした経緯があります)

 

僕は「そうだね。全部だね」とすぐに答えました。

 

僕の意識では、地方国立大はノーベル賞も受賞しているし、大学なんて閾値(いきち)を超えたら十分だと思っているので、そういう返答をしたのですが東大か京大?(あくまで予想です)という高いレベルを目指している浪人生女子にはわからなかったようです。

 

東大・京大レベルが頭が良いという意識なのでしょう。

 

このように評価能力がない人は正しく人を見抜くことなどまったくできないのです。(採用のプロでさえ10分で人を見抜くのは困難なのに、高校生男子や浪人生女子(19歳?)に人を見抜くことなんてできるわけがありません)

 

では正しいことを言う人を見抜くにはどうしたらいいのでしょうか?

 

コツは、正しい人は「分からないことは分からない」と言いますし、そこまで自信のない発言については「たぶんね」と付け足すという点で見抜けます。

 

なぜなら正しい人は「責任感があり適当なことを言わない」からです。

だからこそ「確実に言えること以外は断言しない」のです。

 

ある動画で、落合陽一氏は「分からないことは分からない」または「難しい問題だ」と言ってます。こういう人ほど信頼性が高いと感じますね。

 

最後にいい言い方をすれば、この手法は「分かる人にだけ私のことをわかってもらえればいい」と簡略化して表現できますね。

 

ちなみにひろゆきも僕とは少し違う視点ですが、「人を見下している」そうです。

 

ネット民の批判は相手を「人間と思っていない」つまり動物だと思っているから気にならないそうです。

 

犬に噛まれても「犬だしな」と思うでしょうし小学生に何か言われても「小学生だからな」と気にならないと言います。

 

2 相手への期待値を上げるな。 

次に、他人の評価に惑わされなくなる認知の仕方をさらに紹介します。

「相手への期待値を上げるな」という話です。

 

人間は意識的にも無意識的にも、相手への期待値を上げてしまう傾向があります。

この意識は特に「富裕層の子どもや恵まれた人」に該当しそうです。

 

「富裕層や恵まれた人」は周りに良い人ばかりいて接してきたため、ヤバイ奴にあたると対応に困るのです。

 

良い人ばかりと接していればそれが標準になるため、期待値は当然上がります。

そうなるとヤバイ奴への期待も上がってしまうのですが、当然ヤバイ奴は期待通りに行動も対応もしてくれないので困ったり苦しむわけです

 

僕は期待値を極力下げるようにして生きています。

なぜなら期待値を下げた上でヤバイ奴に出逢うと「まぁ、世の中の大半がこういうタイプだし仕方ないな」で済ませますし、良い人に出逢うと「この変な世の中でこんな良い人に出逢えるとは珍しいしありがたい」と感謝できるからです。

 

この姿勢や認知は仕事にも応用できます。

 

客は上客からブラック顧客(クレーマー体質)まで様々いますが、ブラック顧客に遭遇しても「また、変な奴発見!」みたいな感覚でいられますし、上客に出逢えたら「素晴らしい客だ」と嬉しくなります。

 

人間は期待しすぎるとろくなことがないのです。

そういう意味では「貧困層や恵まれていない環境の人や地方の人」は期待値が比較的低いと思います。

 

「恵まれていない」が標準の意識なのです。

 

地方の女の子は東京に住んでいるという男の条件だけで「良い物件かも」と思いがちですし、都会の女性に比べて小さなこと(例えばファミレス程度のおごり)でも喜んでくれます。

 

対して、期待値が上がった人に対応するのは疲れます。

 

もちろん商売であれば顧客の期待通り、いや期待以上のことをしなければ売れにくいです。

ですが、期待値はどんどん上がり続けていくものなので、無限に上がる期待に応える・対応するのは難しいのです。

 

以上のように期待値を下げた認知の仕方をすると「相手を健全に見下し許せる」ようになります。

 

そもそも相手に過剰に期待していませんから、怒る必要性も薄いですし、相手の評価も気にならなくなります。

ぜひお試しを。

 

3 自分自身がある程度、他者の期待に応えている・役割を全うしているのだから「それ以上」を期待するな。

少し読むのに疲れてきましたか?もう少しで読了ですので頑張って読んでくださいね。

 

さて、「自分自身がある程度、他者の期待に応えている・役割を全うしているのだから「それ以上」を期待するな」という意識を持つという話をします。

 

仕事にせよプライベートにせよ、人は役割を他者に担わされます。

仕事では上司という役割を期待されたり、家庭では親や夫という役割を期待され、恋人にはそのまま恋人という役割を期待され、コンビニ店員のバイトであればコンビニ店員の役割を期待されます。

 

人は役割通りに動かない人のことに腹を立てやすいです

 

コンビニ定員という役割を果たさないバイトに対しては、クレームをつけたり内心腹を立てる人もいるでしょう。

 

このように人は役割を期待されているし、逆に私たちは人にそれぞれ指定した役割を期待しているのです。

 

ということは、私たちが人の指定した役割に最低限応えているのであれば(仕事にせよ恋愛にせよ)文句を言われる筋合いはないと思うのです。

 

もちろん人によっては「期待以上のことをしろ」といいます。

 

以下にありますが、「営業マンは給料の3倍は稼ぐのが当たり前」というタイトル記事があります。

http://www.kigyoujitsumu.jp/accounting/financial-accounting/14140/

 

営業マンは給料の3倍稼げば、とりあえず合格点ということでしょう。(他のサラリーマンの話は分かりません)

 

このように期待されている役割は数字もある程度決まってます。

これを超えないと「役割を果たしていない」となり注意を受けるわけです。

 

そして営業マンであれば、給料の3倍以上を稼ぐかどうかは(日本の企業では給料は成果で増えにくいので)その人の判断によります。

 

他人の評価を気にしないためには最低限の役割を果たせば合格点はもらえます。(注意はされなくなります)

 

なので最低限の役割を果たす意識は持ちましょう。

最低限の役割を果たしている人に文句を言う人は少ないです。(それで文句を言う人がおかしいです)

 

もちろん期待されている日本の宝みたいな人は期待値が上がり「人々の期待以上」の成果を上げないといけないですが。

 

しかし他人の高い期待というプレッシャーに応えるかどうかは本人次第です。

 

または、まったく他人に期待されないけれど、自分の中では「見返してやる」などの気持ちで自分に期待して頑張る人もおり、それぞれでしょう。

 

親は子どもに高い期待を抱きがちですし、社会も学生や人々に高い期待を抱きがちです。

 

しかし、高い期待に応えるかどうかはもらえる賃金も含めたその人の意識次第であり、最低限の役割をこなしているのなら、少なくとも注意や文句を言われる筋合いはないと思います。(もちろん最低限の役割しか果たしていませんから、注意はされませんが褒められることもないです)

 

人は他人の期待に応えようとして苦しむ場合が多いのです。

「最低限期待に応えたら良し!」とする発想の転換も時には必要じゃないでしょうか? 

 

ではこの辺で。(4923文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

PART2に続きます。

参考・引用文献。

「嫌われる勇気」

「幸せになる勇気」

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