どうも、武信です。(No66)
「幸福論」幸福(幸せ)な人とは◯◯で、◯◯な人である」というタイトル記事ですが、◯◯の中身が気になった人もいるでしょう。
多少、哲学や論理っぽい話であり定義や理論に拘っている話なのでそういう系統の話に興味が薄い人は「こんな話をして何になるの?何の役に立つの?」と思うことでしょう。
哲学系の話は即、実用に耐える話は少ないので興味がない人には面白く感じられないことを前置きしておきますね。
幸福について真剣に考えたことがあるか、一度はふと考えて気になった人には読んでもらいたい記事です。
1 幸福の4象限。
では答えを述べていきます。
「金や異性や名誉などを手に入れられる能力があるか、ないか?」と「金や異性や名誉などで満足しやすいか、しにくいか?」の2軸で4象限を作ります。
1 「金や異性や名誉などを得られる能力がある」 ☓ 「金や異性や名誉などで満足しやすい」
2 「金や異性や名誉などを得られる能力がある」 ☓ 「金や異性や名誉などで満足しにくい」
3 「金や異性や名誉などを得られる能力がない」 ☓ 「金や異性や名誉などで満足しやすい」
4 「金や異性や名誉などを得られる能力がない」 ☓ 「金や異性や名誉などで満足しにくい」
この順番で幸福になっているのでは?と思います。(いきなり、イメージしにくい概念ですいません)
幸福の要素として年収や資産などの金や異性や名誉(承認欲求や自己実現欲求など)や物質的なモノ(高級住宅など多数)などを手に入れられることが挙げられます。
手に入れられるという表現を使ったのは意味があります。現在手に入れていなくても、例えばポルシェや高級バッグなどがいつでも買えるという精神状態は幸福だと思うからです。
逆に言えば現在年収が高くても、運の要素が強かった場合将来が不安であり幸福感とはずれる可能性があります。
だからこそ、金や異性や名誉などを(今後もまたはいつでも)手に入れられる能力と表現したのです。
これらを手に入れられる能力があれば幸福へ近づきます。もちろん全部手に入れるのは難しく、1つか2つの人もいるでしょう。
この「金や異性や名誉などを得られる能力があるか、ないか」は幅があり、得られる人でも全部得ているわけでもなく得られない人でも全部得られないわけじゃないとは書いておきます。
いわゆる、得られる量と質に差があるという意味でもあります。
そして「金や異性や名誉などで満足しやすいか、しにくいか」も幸福の要素として重要です。
なぜなら、幸福とは極めて主観的なものなので「自分が満足している」と思えればそれはそれで幸福だからです。
ちなみに「金や異性や名誉などで」とという前提条件を設けているのはこれらでは満足しにくくても他の要素(生活レベルなど)では満足しやすい人もいるからです。
あくまで「金や異性や名誉など」という限定条件をつけて幸福感を定義し分析しています。
2 金や異性や名誉などを求めると常に上には上がいる世界になる。他の分野(生活レベルなど)では満足しやすい人もいる。
話を戻します。例えばいくら金をもっていても幸福そうじゃない人もいます。
「いつでももっと上がいる」と悩みもがいているからです。
金や異性や名誉となると「上には上がいる」世界なので極端な話、金の面で言えばNO.1つまりアメリカの大富豪にでもならなければ満足しにくい人は幸福じゃないかもしれないのです。
年収300万でも質素な暮らしで節約生活をしていて、異性が一応いて(高望みはしない)満足している人もいるでしょう。
こういう人はある意味幸せです。他人と比べない性格だからかもしれません。
しかし、結果という面で見ると2番目の「金や異性や名誉などを得られる能力がある」☓「金や異性や名誉などで満足しにくい」人が、成果を出しやすいと思います。
満足したら成長が止まるからです。
満足しにくいことでたとえNo.1になっても、さらにNO.1を維持し続けようとする人こそが本当の結果を出し続ける人でしょう。
今回は幸福という要素で見ただけなのです。
そして「金や異性や名誉などで満足しにくい」人がいて結果を出し続けている一方、「他の要素(生活レベルなど)では満足しやすい」人であるかもしれず幸福の感じ方も厳密には違います。
金や異性や名誉などで満足しにくくなおかつ、他の要素(生活レベルなど)でも満足しにくい人であるならたとえ成功しても生活レベルを絶えず上昇させるか維持しないといけないので金銭的負担は高いのです。
いったん仮に金や異性や名誉などを失って生活レベルを下げないといけなくなったら不幸まっしぐらです。
★ついてこれていますか?
3 一番、不幸な人。
さて、続きです。もう少しで読了です。皆さん、お疲れ様です。
一番不幸な人は「金や異性や名誉などを得られる能力がない」☓「金や異性や名誉などで満足しにくい」または「他の要素(生活レベルなど)で満足しにくい」であり当然幸福感は感じにくいという結果になります。
金や異性や名誉などを得られないのは辛いですが(得たとしても、量や質が悪い)満足しにくいという主観的な感じ方で上の立場の他者と比べすぎて余計に不幸になっているというわけです。
しかし幸福を語るには主観の要素は外せません。
結果とは別物です。結果を出すには主観を重視するのではなく客観を重視しないといけない場面が多くなります。
「幸福とは、感じ方である」は名言であり「ないモノねだり」ばかりすると不幸へまっしぐらでしょう。
ちなみに幸福と年収の相関では年収900万円が最大ピークの幸福であり(年収900万円までは幸福感は上がる)それを超えると幸福感は薄れるそうです。(年収800万円説もあります)
ではこの辺で。(2630文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。