どうも、 武信です。(No37)
才能論シリーズの記事です。(どんどん洗練されていきます)
皆さん、才能の正体について考えたことはありますか?
才能とは「生来備わっているもののことを言う」のであり、磨けるものではないという主張を本で読み、悩んでいますw
才能とは何か?興味がある人、例えば「グリット(やり抜く力)」などに興味がある人と相性が良い記事だと思います。
今回はPART3です。
1 才能についてのおさらい
僕は才能とはいったい何なのか?の以下の2つの記事でこう書きました。「才能とはいったい何なのか?」
「才能とはいったい何なのか?PART2」
才能とは分野別(大学受験やスポーツなど多数)において、成功(一発屋ではなく持続的成功と定義)するために、遺伝5割(「上達の速さとセンスの良さ」が1割、猛烈に努力ができるが4割)×環境4割×運1割の要素が求められると書きました。
そして猛烈に努力ができるとは情熱(好きであり、のめり込める素質がある)があり、「苦痛度が低い」からこそ、やり遂げられると書きました。
2 僕の事例からの考察
この記事を書いた後に僕の事例を考えてみると、若干、説明不足な点があると思いましたので以下説明します。
それは僕は文章を書くことや企画案を出すことは好きであり、勝手に創造できてしまうのですが発想のためのインプット作業(文章を読む)は苦痛度がそれなりにあるという事実です。
まぁ他人と比べたら読書の苦痛度が低いからこそ、ここまでビジネス書を何千冊も読んできたのでしょうがその苦痛度が低いがもしかしたら「暗示のせい」という可能性があります。
または限界的練習により苦痛度を下げてきたとも言えます。
詳しく説明します。
何事も初心者のうちは苦痛度、負荷が高いです。僕も最初のうちは読書の苦痛度は高かったと思います。
しかし自身に暗示をかけ、「読めるのだ」と思い込み、強引に読み続けてきた結果、語彙力や背景知識が増えまくり本を読む際に苦痛度が下がったのだと思われます。
そうなのです。大量の強引な訓練により苦痛度を下げてきた面があるのです。
それは暗示もありますし訓練により、語彙力や背景知識が増え、「すでに知っていることが増えた」のでそこは負荷をかけずに読めるので、読書が比較的、楽になったという結果です。
3 努力も才能
続きです。
要は何事も「慣れ」であり、努力(苦痛度が高い時でも諦めず続ける力)をし続け、その結果苦痛度が減り、さらに「情熱」が加わり、それが才能の遺伝の努力と言う部分4割につながるのでは?という話です。
前に向いてない仕事の話を書きましたが「苦痛度が高い」といっても最初のうちは大半の人はそうなので諦めずに続けていき、苦痛度が減ってきて努力が続くようになったら、他人から見たら猛烈に努力しているように見えるレベルに到達するかもしれません。
しかし数学や物理学や現代文、仕事でも将棋やスポーツや芸術系は苦痛度が減ることや情熱があることで猛烈に努力ができたとしても高い到達点(天才レベル)まで行き着くかは不透明です。
よって高い到達点を目指すのであれば上記に挙げた分野では猛烈な努力をいくら続けても結果が出ないとなったらある種の諦めも必要な気がします。
また僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本」からの引用をします。
努力できることが才能ということは「あなたの脳のしつけ方」に書かれています。
何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が高く、かつ損得を冷静に計算する機能が鈍い人こそが「努力できる人」なのです。
逆に何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が弱く、損得を計算できる人が「努力できない人」といえます。
つまり努力できるかできないかは本人のがんばりというよりも脳の構造の違いによるところが大きいことが判明しました。P155、156から引用・まとめ。とあります。
このことから言えることは努力ができる人は努力自体に報酬を感じる素質があるのです。また損得をあまり考えないので、努力ができるとも言えます。
僕は損得に関しては暗示により、鈍らせるようにしています。
努力自体に報酬を感じることは「僕は努力することは非常に大事」という価値観が根強くあり、努力そのものを信じているのである意味報酬を感じているのでしょう。
これらから僕は今まで何千冊のビジネス書を読み続けることができたと言えます。
努力自体を重要視し、報酬を感じていたし、損得(この仕事、やる意味あるのかななど)も暗示により鈍らせました。
逆に言えば努力自体に価値を置いていない上に報酬を感じず、損得を計算してしまう人は努力をしないので、成功の一要因(遺伝の4割の猛烈に努力できる体質)がないと言え、成功からは遠ざかると言えそうです。
つまり努力ができるのもやはり才能であるということですね。
そもそも「苦痛度が減る、負荷が減るまで努力をし続けられる人」も稀ですし「苦痛度が減った後も高い到達点に達するまで努力し続けられる人」はさらに稀になります。
そう考えると世の中、職業選択は難しい話です。
向いている、向いてないはある程度やり続けてみて初めて分かります。苦痛度が一向に減らないのであればその分野には才能がないのかもしれません。または結果が何年続けても出ない場合も言えます。
4 まとめ。
1 僕の場合、文章を書くことや企画案を出すことは勝手に創造できてしまうが、発想のためのインプット作業の読書は苦痛度がそれなりにあり、現時点で読書の苦痛度を低くさせたのは暗示による思い込みと、限界的練習により苦痛度を下げてきたという側面がある。
2 要は何事も「慣れ」であり、努力(苦痛度が高い時でも諦めず続ける力)をし続け、その結果苦痛度が減り、さらに「情熱」が加わり、それが才能の遺伝の努力と言う部分4割につながるのでは?という視点を書いている。
3 努力ができる人とは「何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が高く、かつ損得を冷静に計算する機能が鈍い人」であり、努力ができない人とは「何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が弱く、損得を計算できる人」のことです。
4 僕は損得に関しては暗示により鈍らせて、努力自体に報酬を感じることは「僕は努力することは非常に大事」という価値観が根強くあり、努力そのものを信じているのである意味報酬を感じている、つまり、努力自体を重要視し、報酬を感じていたし、損得(この仕事、やる意味あるのかななど)も暗示により鈍らせたということです。
ではこの辺で。(3054文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
参考・引用文献。