我が闘争「人生とは闘いである」

どうも、「ホントのメディア」~自由人のための起業・フリーランス・副業塾~運営者の武信です。(No24)

2016年の記事です。

 「人生とは闘い?」という言葉にビクっとした人もいるかもしれません。

皆さんは「人生とは闘いだ」と考えたことはありますか?「競争だ」ぐらいは思ったことはあるでしょう。

闘いも競争も似ていますが、僕は闘いに絞って今回の記事を書きました。

闘いの種類もいろいろあり、組織の闘い(外部と内部)と人生の闘い(自分と敵)で分けて、それぞれ論じています。

人生とは闘いということを理解しておくと、視野が広がるでしょう。

興味ある方はぜひ読んでみてください。

1 闘いとは何か?についての概略 

いきなりですが、人生とは闘いだと最近、僕は常々感じています。

それは組織においては「直接の外の敵と、内部の敵(造反者など)」がいるということでもありますし、自身の人生においては「自分との闘い、他人との闘い」という表現になります。

組織についてはnote有料記事「僕の君主論」に書いてあります。

https://note.mu/generalisttake/n/nf7e989367751

2 自分との闘いと他人との闘いについて

今回は「人生における自分との闘いと、他人との闘い」を書いていきます。

人生は自分に負けないように、自分に勝つために闘うことは大事です。

直接的な他人やライバルもいますが、まずは自分に負けないことも大事なのです。

自分に勝つということは、日々、毎日、自分に厳しいノルマや訓練を課すということでもあります。

それは、本番の試験や試合に向けてでしょうが、毎日が本番というくらいの気持ちが必要でしょう。

毎日が本番であり、試験や試合は本番の毎日の成果が普通に発揮されたか?というだけのことなのです。

毎日を本番と見なさず、練習という軽い気持ちでやっていたら、実際の本番の時はそれほどの結果は出ないのではないでしょうか?

あくまで、実際の本番は毎日を本番と見なした訓練の結果がでるおまけと捉えるべきなのです。

本番の毎日を過ごさないと、実際の本番(おまけ)では結果は出にくいでしょう。

次に、他人は自分には基本的にどうしようもありません。

スパイ工作などで相手の情報を盗んだり、蹴落とすことはある程度、可能です。

また、野球やテニスや将棋やボクシングなどの勝負ごとであれば他人との直接対決なので相手の弱点を研究し、攻めるということもある程度、可能でしょう。

フィギュアスケートや体操などになると自分がいかにミスをしないで高得点のプレーをするか?という自分との闘いがほとんどを占めますね。

受験勉強もそうです。自分がいかに実力をつけて、試験に臨むかがほとんどです。他人の実力を妨害することは難しいのです。

人生とは闘いであり、自分との闘い他人との闘いの2種類があることは分かってもらえたでしょうか?

他人との闘いもそれなりに厄介です。他人や敵とは自分の味方以外を指します。

自分の味方においては全面的に信頼するべきと簡単に言えればいいのでしょうが、そうも言えないのが厄介な点です。

この意味を具体的に見ていきましょう。

例えば、WBCの野球では日本チームになるので日本人は全員味方でしょう

しかし、その味方の同期に個々の野球の技能や秘密のプレーやノウハウを漏らしたらWBCの間では成果を出しやすくなりますが再び、ペナントレースに戻ったら敵になりますよね?

その際に、その情報がネックになる可能性があるのです。それも仕方ないと言えば仕方ないのですけどね。

野球界の発展のためという大きなくくりで見たら、情報共有をした方がいいでしょう。野球界が発展すれば選手の給料も全体的にアップするかもしれませんしね。

この辺の話はリアルな現実になったようです。以下の記事に書かれていたと思います。(消されたようです)

筒香選手はWBCのときに味方だった他球団のコーチから徹底的に弱点を研究され、それが今の筒香り選手の不振につながっているという話です。

また、味方と思っていた社内の人に自分の情報を包み隠さず話していたら、その人は他社に転職し、後で敵になる可能性すらあります。

「味方が敵に」という局面は意外とあるのです。他人との闘いはかなり厄介な問題です。

自分との闘いは自分でほとんどをコントロールできます。他人の指導やマネジメントは他人次第な面がかなりあり、難しいのです。

できる人は部下を育てるよりも「自分でやった方が早い」と思いがちです。自分でコントロールできる部分が多いからです。

しかし、世の中には自分との闘いにすら勝てない人が大半を占めます。

自分の限界近いところまで、毎日、追い込んで、鍛えている人がどれくらいいるでしょうか? ほとんどいないのではないでしょうか?

そうであるならば、他人との闘い以前に、自分との闘いで既に負けており、勝負の土俵にすら立っていないということになります。

正直、自分との闘いと他人が絡む闘いとの対比では他人との闘いの方が厳しいと思います。

自分との闘いは自分でコントロール可能であり、自分の限界は自分でよく分かっていることが多いでしょう。

ですが、他人との闘いは自分がいくら限界までやっても勝てない場合があるのです。他人との闘いは正直、人生で一番厳しい世界だと思います。

特に、上を目指せば目指すほど過酷さは増していきます。将棋やボクシングやテニスなどの他人との闘いの競技は厳しい世界なのです。

テニスの錦織選手はおそらく自身は限界までやっています。自分との闘いにもほとんど負けていないでしょう。それでも世界5位なのです。

他人、ライバルが強いので、自身の限界までやっても勝てないのでしょう。

自分との闘いの競技であるフィギュアスケート、体操、受験勉強などは他人との闘いほどは厳しくないと僕は考えます。(もちろん大変な世界なのは承知ですが、他人との闘いに比べたらという意味です)

★自分との闘いにまず負けないことが大事ですが、それ以上に過酷なのが他人のとの闘いという指摘でした。

3 人生とは闘いであるという言葉に疲れている人へ

「人生とは闘いである」。この言葉に疲れている人もいるかもしれません。

気が休めませんからね。人生は闘いですから、休息が必要になります。

休息をきちんと取り、休まないと、闘う体力、精神が培われません。

「え、人生って、そんなに敵だらけなの?そんなに油断したり、気を許しちゃいけないの?」と思った貴方!

上を目指す人の世界においては、特に「人生とは闘いである」が当てはまると言いたいです。

芸能界、政界、スポーツ界、ビジネス界などです。

普通の平凡な人生を歩むのならば、「人生とはほどほどの闘いである」と表現が緩やかになるでしょう。

上を目指す人はスキャンダルなどで一気に蹴落とされます。

2016年12月には、俳優の成宮寛貴氏が引退宣言をしました。友達に裏切られたとのことです。

油断も隙もあったものじゃありませんよね。だから、上記に挙げた世界の人達は「人生とは闘いである」を身に染みて感じているかもしれません。

4 まとめ。

最後に、まとめをします。

1 闘いとは、組織においては「直接の外の敵と、内部の敵(造反者など)」がいるということで、自身の人生においては「自分との闘い、他人との闘い」という意味です。

2 人生において、「自分との闘い」が大事であり、まずは自分に負けないこと、そして、実際の本番は毎日を本番と見なした訓練の結果がでるおまけと捉えるべきである。

3 「他人との闘い」においては、他人は基本的に操作できず、「味方が敵に」の展開もあるので、他人との絡みは難しい。

4 自分との闘いと他人が絡む闘いとの対比では他人との闘いの方が厳しく、過酷である。

5 「人生とは闘いである」は特に、芸能界、政界、スポーツ界、ビジネス界に当てはまり、普通の平凡な人生を歩むのならば「人生とはほどほどの闘いである」とやや緩い表現になる。 

ではこの辺で。(3516文字)

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・Youtube動画などを基にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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