ブログ批判「ちきりんの「下から7割の人のための理科&算数教育」への意見」「副題 誰もが理科&算数を本格的に学ばないといけないと皆さんは思いますか?」

どうも、武信です。(No14)

 

読解力強化サイトでもあります。難易度は5段階評価で、今回は1です。問題が一番下にあります。

 

「君はこの文章を正確に読み解くことができるか!?」(初代ガンダムのパクリです)

 

さて、ブログ批判「ちきりんの「下から7割の人のための理科&算数教育」への意見」というタイトルで話していきますね。

昔の記事なので内容が稚拙です。今は内容が濃い文章を書く人でも昔はこういう記事を書いていたという教訓、参考にして欲しいなぁと思い、敢えて載せます。2014年2月の記事です。

 

ちきりんの記事を要約して、僕が反論や意見を言う形式です。つまり小論文のテストと同じですね。

今回は理科&算数教育についてです。

ちきりんの画期的?な主張と、僕のさらなる意見との噛み合いを楽しんでください。

では書いていきます。

 

1 「下から7割の人のための理科&算数教育」の記事の要約。

ちきりんの記事を要約します。

「下から7割の人のための理科&算数教育」というタイトルです。

https://chikirin.hatenablog.com/entries/2014/02/25

 

要約すると理科&算数(数学)が得意な3割の人は「科学技術立国に貢献する高度な内容」を教えればいい。

下から7割の人には「技術者や研究者になるための専門教育ではなく生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー」を教えるべきだということ。

 

理系の素養がない人にいくら高度なことを教えても無駄というわけだ。ちきりんの人生においては理科は小学校レベル、数学は中学1年までで事足りていたという。以上、ここまで。

 

2 僕の意見。

ここで僕の意見を書きます。

 

そもそも大学受験とはコンテンツ(内容)はあまり意味がないものです。

文系でもそうなのですね。歴史の重箱の隅をつつく知識に意味があるとは思えません。

 

英語も同じです。大学受験の英語はクイズみたいなもので実用英語ではありません。古文・漢文の知識はさらに意味がないです。

 

では大学受験の存在意義とは何なのでしょうか?

答えはノウハウ力を鍛えることです。膨大な歴史の暗記は暗記力を鍛えることに意味があります。

 

将来、法律やその他の分野で暗記力を活かせるのです。数学と理科も専門家じゃないと使わないでしょうがその過程で培ったノウハウは何かしらの意味があるのではないでしょうか?

 

脳に文系とは異なる刺激も与えていることでしょう。 

日本史と世界史でも脳に異なる刺激を与えています。日本史を学べば漢字に強くなります。世界史を学べばカタカナに強くなるのです。僕はそれを実感しています。

数学の難しい概念に挑戦し、きつくても慣れることで脳に刺激を与えていると思うのです。

 

世の中にはこういう概念があるのかぁと知るだけでも意味があります。それを科学リテラシーに置き換えることも一理あります。

原理を知る必要性の是非をちきりんは問うているのでしょう。

 

★今となっては僕の中では常識になっている知識ですが、当時はまだ斬新だと思ってました。

 

3 僕の意見2 

僕の意見の続きです。

 

ですが科学リテラシーを教えるならばおそらく短時間の授業で済むはずです。

 

科学リテラシーという科目を作るのでしょうが、古文と漢文を廃止した時間数で事足りると思うくらいです。

 

実用生活で活かせる知識など原理を教えることに比べればはるかに理解が簡単なのですから

 

とはいえ科学リテラシーを学ぶ土台の知識量はけっこう多いかもしれません。

科学リテラシーの本って市販の本でたくさん売っていますし、TVでもよく放送されています。

最近では医学の豆知識みたいなTV番組が多いです。

 

実生活に直接活かせる知識も大事ですがその成り立ちの原理は相当腰を据えないと多くの人は学ばないでしょう。

 

若いうちにその機会を与えることにも意味があると僕は思います。ただし、3割の人では少なすぎるでしょう。

 

上位3割中くらいの4割(合計7割)まで教えればいいのではないでしょうか?

下位3割はまったく理解不能ならば教える必要はないと思われます。

 

また上位3割だけの学力争いになるとやる気が削がれる面があるでしょう。

 

学力テストではダメな人がいるからこそ上位者が上位にあがれます。

テストの点数で上位という優越感が自信をもたらしている面はあります。

だからこそ上位7割まではテストに参加させるべきだと思うのです。

 

「働かないアリにも意義はある」のです。

 

★僕は原理原則は若いうちの頭が柔らかくて時間があるうちに学んでおいた方がいいという主張でした。

 

科学リテラシーの知識は短時間で済むと思っていて、大人になってからでも遅くないと思っていました。

今も意見はとりあえず、このままです。(特に反論意見ももらってないので)

 

また原理原則を学ぶとしても、上位3割だけの競争だと過酷すぎて挫折率高くなりそうなので、上から7割までは競争させるべきというのが僕の当時の主張であり、今も特に変わっていません。

 

下位3割は素養がないと思うので、参加させなくていいと感じます。

この意見に対して、なにか異論などはあるのでしょうかね。。。 

ではこの辺で。

 

4 クイズ問題。

最後に、読解問題を出します。「この記事で正しく表現されている文章は以下のどれか?全て答えなさい。正しい答えがない場合もあります」

1 理科&算数(数学)が得意な3割の人は「科学技術立国に貢献する高度な内容」を教えればいいし、下から7割の人には「技術者や研究者になるための専門教育ではなく生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー」を教えるべきだとちきりんは主張しており、ちきりんの人生においては理科は小学校レベル、数学は中学2年までで事足りていたといいます。

2 僕の主張は大学受験の存在意義とはノウハウ力を鍛えることであり、脳にいろいろな刺激を与えており、概念の把握であると言っており、また、ちきりんは原理を知ることの是非をは問うている。

3 科学リテラシーは上位3割+中くらいの4割(合計7割)まで教えればいい。

4 上位3割だけの学力争いになるとやる気が削がれるので、7割は競争に参加させる、つまり「働かないアリにも意義がある」ということであり、下位3割は参加したい人だけが参加すればいい。

 

正解は正解記事に貼ります。

https://note.mu/generalisttake/n/n8240cfb59e29

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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